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■「三島由紀夫・神風連・陽明學」(第三回)





  ▼天皇と神風連―西欧化への最後のトリデとしての悲劇意志


 林房雄との対談『対話・日本人論』の中で、三島由紀夫はトインビーに言及してゐる。トインビーは文明と文化をあまり峻別せず、一つの文化がほかの文化を侵すときには一カ所穴が開いて崩れたらもうおしまひだと考へてゐるといふ。糸車を回して経済的抵抗をしたガンジーは失敗した。それではわれわれは、大衆社会化に抵抗してなにを守るか?

 「・・・どんどん突き詰めていくと、さうして、西洋の武器を使つて西洋人に対抗するといふのは、すでに西洋化の第一歩だからそれはやらない。絶対に日本のものしか使はないで、西洋に対抗したのはなにかといふと、神風連にきちやう。それで僕は、神風連に非常に興味が出てきた。あれは、あそこに文化の本質的な問題があつて・・・」

 と、ここまで三島が話したとき、「神風連は君におまかせするよりほかないが・・・」と林房雄がさへぎつて、話題を転じる。神風連のことばかり話したがる三島にいささか辟易してゐたと見える。

 林房雄は、西洋の武器によつて西洋と戦ふことが日本と日本人の精神を守るための不可避で最良の方法であるといふ。そして、日本が外来文化を受容し抵抗した様々な事例を挙げて、「神風連精神とともに福澤精神を認めなければならぬ」と主張する。

 三島はそれでも「僕は神風連にいつちやう」といふ。林房雄が諦めたやうに「君の神風連学説を聞かせてください」と白旗を挙げると、ふたたび三島は神風連について思ひのたけを語り始める。
 
 われわれは西洋的な生活をしてゐるが、何か究極的なものは、さうであつてはいけない。それは天皇制といふ考へにつながる。神風連は純日本的なものの純粋実験で、あそこにガンジーの糸車がある。日本の政治として取るべき道は西欧化以外にあつたとは思へない。神風連の純粋実験は敗北するに決まつてゐるが、あそこに純粋性と正当性があり、さういふものが日本及び日本人といふものの核になつてゐるのではないか。

 神風連の抵抗精神に劣らぬ抵抗精神は福澤諭吉にもあつたといふ林房雄の意見に、三島は真向から反論する。

 「僕はやはり啓蒙主義の哲学は全部疑問がある。・・・福澤諭吉のいちばんの歴史に対する洞察力のなさといふのは、攘夷論者のなかに、改革する能力を予見しなかつたことです。」

 攘夷といふものはアイロニカルなエネルギーであり、それがあつたから文明開化も成功したと三島はいふ。

 神風連は、天皇をいただく明治政府に反逆して敗れた。ならば神風連の行動は、明治憲法及び近代国家としての天皇制国家機構において、いかなる位置にあるか? この問題について、三島は次のやうに説明する。

 「神風連のことを研究してゐて、おもしろく思つたのは、かれらは孝明天皇の攘夷の御志を、明治政府が完全に転倒させ、廃刀令を出したことに対して怒り、「非先王之法服不敢服、非先王之法言不敢言、非先王之徳行不敢行」といふ思想を抱いてゐた。万世一系といふことと、「先帝への忠義」といふこととが、一つの矛盾のない精神的な中核として総合されてゐた天皇観が、僕には興味深いのです。
 ・・・
 明治憲法の発布によつて、近代国家としての天皇制国家機構が発足したわけですが、「天皇不可侵」は、天皇の無謬性の宣言でもあり、国学的な信仰的天皇の温存でもあつて、僕はここに、九十九パーセントの西欧化に対する、一パーセントの非西欧化のトリデが、「神聖」の名において宣言されてゐた、と見るわけです。神風連が電線に対してかざした白扇が、この「天皇不可侵」の裏には生きてゐると思ふ。殊に、統帥大権的天皇のイメージのうちに、攘夷の志が、それぞれ活かされたと見るのです。これがさつきの神風連の話ともつながるわけですが、天皇は一方で、西欧化を代表し、一方で純粋な日本の最後の拠点となられるむずかしい使命を帯びられた。天皇は二つの相反する形の誠忠を、受け入れられることを使命とされた。二・二六事件において、まことに残念なのは、あの事件が、西欧派の理念によつて裁かれて、神風連の二の舞になつたといふことです。
 ・・・
 福澤諭吉と神風連が対蹠的なのは、明治の新政策によつて、前者は欣喜し、後者は幻滅した。僕は幻滅によつて生ずるパトスにしか興味がない。幻滅と敗北は、攘夷の志と、国粋主義の永遠の宿命なのであつて、西欧の歴史法則によつて、その幻滅と敗北はいつも予定されてゐる。
 ・・・
 僕の天皇に対するイメージは、西欧化への最後のトリデとして悲劇意志であり、純粋日本の敗北への洞察力と、そこから何ものかを汲みとらうとする意志の象徴です。しかるに昭和の天皇制は、内面的にもどんどん西欧化に浸食されて、ついに二・二六事件をさへ理解しなかつたではないか。」
 
 三島由紀夫の天皇論においては、西欧化への最後のトリデとしての悲劇意志である天皇は神風連の精神にそのまま直結するのである。

      (續く)






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■「三島由紀夫・神風連・陽明學」(第二回)







  ●神風連への思ひが迸つた林房雄との対談『対話・日本人論』





 神風連に対する三島由紀夫の思ひを知るためには、林房雄との対談『対話・日本人論』を讀まなければならない。

 『対話・日本人論』は昭和四十一年十月に番町書房から刊行されてゐるが、対談が行はれたのは同年の夏頃と思はれる。

 昭和四十一年夏といへば、三島が『豊穣の海』第一巻の『春の雪』の執筆と並行しながら、第二巻『奔馬』の取材を本格化させてゐた頃である。奈良や熊本に赴き、瀧にうたれたり、神風連の聖地を尋ね歩いたりしながら、神風連の世界にのめり込んで行った時期にあたり、『対話・日本人論』にはその頃の気持ちの高ぶりが反映してゐて、対談の後半で三島はほとんど神風連のことばかり語ってゐるのである。

 「近代の日本人は思想の正当性といふものを、どこにもつてゐたか。そのことを僕はよく考へることがあるのです。橋川文三が、神風連のことを書いてゐるんですが、神風連が実にあの当時さへ滑稽視されて、新聞なんかでも漫画的な扱ひを受けてゐる。近代日本の思想の正当性をつきつめると、あそこに行つちやうのではないかな。」

 これに対して林房雄は、文化人類学者の見解を持ち出して、それぞれの民族にはコア・パーソナリティといふものがあり、この核心性格は十万年くらゐ変はらない。神風連的なるものも日本民族の核心性格の発現でせうといふ意見を述べる。

 ここから文明開化と大東亜戦争といふ問題になる。

 三島は云ふ。

 「文明開化の敗北が、大東亜戦争の敗北なんぢやないですか。僕は大東亜戦争の前、支那事変前までの国家主義運動と大東亜戦争と、どうしても頭の中で一緒にならない。」

 「西洋をもつて西洋に対抗するといふ考へが、大東亜戦争の最終的な破綻の原因であつたといふふうにも考へるのです。」

 戦後日本の精神の空洞化はどこから生れたかいふあたりから、二人の意見に溝が生じてくる。

 三島は、戦後の物質的繁栄は日本が西洋をもつて西洋に対抗するするといふ論理的な帰結ではないかといふ。

 これに対して林房雄は、日本人には外来思想に常に抵抗してきた核心性格がある、といふ。そして、日本人は文明が生み出す空洞化を直観すると抵抗する、その抵抗はすでに始まつてゐる、と。

 戦後の日本人に半ば絶望しかかつてゐる三島由紀夫。一方、何事にも楽観的な林房雄は、日本人の基本性格は戦後も変はつゐないのだからそんなに心配することはないと言つてゐるわけである。

 このあと三島は「さつき話が出た神風連ですが」と言つて、堰を切つたやうに、神風連のことを語り出すのだ。三島の長広舌を聞いてみよう。

 「さつき話が出た神風連ですが、紙幣は西洋風のものだからといふので、箸ではさんで持つたり、電信線は西洋のものだからといつて絶対にその下をくぐらない。毎日、清正公の廟にお参りするのに、電信線のないところを迂回して行く。どうしてもくぐらなければならないときは、頭の上に白扇を乗せて行つたとか。戊辰の役のとき、藩主の護久公について上京したときに、西洋流の鉄砲をかつがされた。途中できたならしいといふので、淀川の水に入つて、羽織を洗濯したといふのですがね。それから塩をいつも袖に入れてゐて、坊さんに会つたり、洋服を着た人に会つたり、葬式に会つたり、汚れた人間に会つたりすると塩をまいた。いまぢやあ洋服を着た人に塩をまいたら、塩がいくらあつても足りやしない(笑)。それからもちろん断髪令・廃刀令には絶対反対で、長刀結髪でせう。火のものを断ち、酒、果物を断ち、鳥獣の肉を断ち、断食をしたりして、祈願を凝らしてゐたのですけれども、太田黒伴雄なんかは、百日間火のものを断ち、三週間の断食をしてゐたわけですね。

 さうして、二大方針といふのは、もちろん新開大神宮の前に祈つて、御神慮をいただくのだけれども、第一は当路に建白して、秕政を改ましめんとすること。第二は刺客となりて当路の奸臣を倒すこと。これはまつたく当人の責任ではない。神様がさうおつしやるのだから仕方がない。行動自体はそれが神のまにまになんだから、ある意味ぢやあ、自分の責任といふのはなんにもないのですね。「うけひ」といふのを神代から伝はつた神儀のなかでいちばん大切にしてゐて、中古以来、ちよつとこの道を伝へた人が絶えてゐたのだけれども、それはなんとか復活しようと、それで結局「うけひ」の道が、溺れる人を救ふのと同じことであつて、これしかいま溺れる人を救ふ方法はないのだと。それでその根本思想といふのは、やはり実際の神に仕へるものも、現世の神である天皇に仕へるものも、幽顕の違ひこそあれ、その理において異なるところはないといふ考えですね。

 僕は人間の思想といふものは、さういふものだと思ふのですがね。もし一つの思想にとらはれたら、(イデオロギーの問題ではなく、僕の言ふのは思想ですが)ここまで徹底しなければ、藝術家を心服させないですよ。藝術家といふのは、一つの作品のなかでは、神風連に近いやうな、完全な体系をつくらなければ、藝術作品として自立しない。そのなかでどんな間違つた思想でも、どんなバカげた考へだらうが、藝術作品といふのは、一つの夢だとか、さういふものに似てゐるのであつて、僕たちはさういふものをシステマタイズする。一つの夢をシステマタイズすることによつて作品をつくつて、それが人の心を感動させることになる。僕はこの熊本敬神党、世間では、神風連と言つてゐますが、これは実際行動にあらはれた一つの藝術理念でね、もし藝術理念が実際行動にあらはれれば、ここまでいくのがほんたうで、ここまでいかないのは、全部現実政治の問題だと思ひますよ。それでは、彼らがやらうとしたことはいつたいなにかと言へば、結局やせても枯れても、純日本以外のものはなんにもやらないといふこと。それもあの時代だからできたので、いまならできないが、食ふものから着物までなにからなにまで、いつさい西洋のものはうけつけない。それが失敗したら死ねだけなんです。失敗するのにきまつてるのですがね。僕はある一定数の人間が、さういふことを考へて行動したといふことに、非常に感動するのです。

 思想の徹底性といふこと、思想が一つの行動にあらはれた場合には、必ず不純なものが入つてくる。必ず戦術が入つてきて、そこに人間の裏切りが入つてくる。それがイデオロギーといふものでせうが、さうして必ず目的のためには手段を選ばないことになつちやう。だけれども神風連といふものは、目的のためには手段を選ばないのではなくて、手段イコール目的、目的イコール手段、みんな神意のまにまにだから、あらゆる政治運動における目的、手段のあひだの乖離といふものはあり得ない。それは藝術における内容と形式と同じですね。僕は、日本精神といふもののいちばん原質的な、ある意味でいちばんファナティックな純粋実験はここだつたと思ふのです。もう二度とかういふ純粋実験はできないですよ。その後いろいろなテロリズムが起こりました。いろいろなものがあつたでせう。しかしこれくらゐの純粋実験といふものはないですよ。日本の歴史のなかで、かういふ純粋事件があつたといふことは、みな忘れてゐますが、当時は笑ふべきことだつたかもしれないが、なにごとかだつたと思ふのですよ。それで僕はいまの、日本だ、日本人だと言ひ、ウィスキーを飲みながら、おれは日本人だと言つてゐる連中の観念のあいまいさ、それは林さんのおつしやるやうに、総括的には立派な日本人ですよ。しかし一度あいまいな日本精神とかなんとかを、ここでもつてもう一度よくこれを振り返つてほしいのです。さういふ意味で、僕は神風連を言ふのですよ。しかし、もし君の言ふ日本精神といふものから、全部夾雑物を取つたらどうなるか考へてごらん、君がそれをやる勇気があるかといふと、ちよつとね。」

 神風連についてこれだけのことを三島は一気にしやべつたのである。対談相手の林房雄があつけにとられてゐる表情が眼に浮かぶやうだ。

 『対話・日本人論』において、このあとも三島は憑かれたやうに神風連について語り續ける。

  (續く)



■「三島由紀夫・神風連・陽明學」(第一回)





  ●三島由紀夫が神風連に捧げたオマージュ―『奔馬』


 

 三島由紀夫が『豊穣の海』の第二巻にあたる『奔馬』を書き始めたのは昭和四十二年の一月のことである。ホテルに「自己缶詰」をしたほどの意気込みぶりで、滞在三日目の午前二時に第一回目を書き上げるとそのまま帰宅した。

 『奔馬』は「昭和の神風連」たらんとして同志と要人暗殺を企図した飯沼勲が、裏切りに遭ひ、最期に単身割腹して果てるまでの物語である。

 『奔馬』の時代背景は国家主義運動が盛んだつた昭和戦前期であるが、飯沼勲の志を形成したのは、北一輝でもなく、青年将校でもなく、神風連なのであつた。

 三島由紀夫の小説の中でも『奔馬』は実に破格の小説といへるだらう。何が破格といつて、作中に山尾綱紀著「神風連史話」といふ書物が嵌め込まれてゐるからである。単行本で四百二ページのうち四十五ページが「神風連史話」に割かれてゐるのだ。

 『奔馬』の讀者で「神風連史話」を実在の書物と勘違ひしてしまふ人をしばしば見受けるけれど、「神風連史話」は架空の本で、作者は無論三島由紀夫である。

 「神風連史話」は、三島由紀夫が神風連の精神と行動を明らかにするために書いた「歴史小説」なのである。森鷗外の歴史小説や史伝に強く惹かれながらも、それまでついぞその類のものに手を染めることのなかつた三島由紀夫であるが、神風連の精神と行動を短編に凝縮して描き切つた「神風連史話」は、小説手法からいふと、鷗外の作品に連なる歴史小説とみるべきものなのだ。三島由紀夫が生涯に書いた唯一の歴史小説。

 主人王の飯沼勲は、「神風連史話」を同志たちはもとより、『奔馬』のワキたる本多繁邦や青年将校にも讀むことをすすめ、宮殿下にも本献上するほど「神風連史話」に深く傾倒してゐた。

 人に紹介されて会ひに行つた陸軍歩兵中尉が、飯沼勲に訊く。

 「では訊かう。飯沼、お前の理想とするところは何か」

 勲は簡潔に答へる。

 「昭和の神風連を興すことです」
 「神風連の一挙は失敗したが、あれでもいいのか」
 「あれは失敗ではありません」
 「さうか。では、お前の信念は何か」
 「剣です」

 中尉がさらに訊く。

 「よし。ぢや訊くが、お前のもつとも望むことは何か」

 勲が口ごもりつつ言ひだす。

 「太陽の、・・・日の出の断崖の上で、昇る「日輪を拝しながら、、かがやく海を見下ろしながら、けだかい松の樹の根方で、・・・自刃することです」

 よく知られてゐるやうに、『奔馬』は勲の自決する場面で終はる。

 日の出には遠い。昇る日輪はなく、けだかい松の樹蔭もなく、かがやく海もなかつた。

 「正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕を昇つた」

 作者がこの場面をどのやうな気持ちで書いたのかさまざまに推しはかられてゐる。

 飯沼勲が神風連に傾倒してゐたやうに、三島も神風連に傾倒してゐた。飯沼勲は単なる作中人物ではなく、明らかに三島由紀夫の分身がその中にゐる。
 
 『英霊の聲』に続いて『奔馬』を書いたことによつて、三島由紀夫は新しい地平へと突き進んで行つた。

 神風連を抜きにしては、これ以降の三島の行動を理解することはできないと思ふ。

 「神風連史話」、ひいては『奔馬』は三島由紀夫が神風連に捧げたオマージュなのである。


   (續く)





■尊王思想の源泉






 ▼内藤湖南著「日本文化史研究」
  戦乱の時代を尊王心拡大の時代ととらへた「応仁の乱に就いて」



 戦後跋扈したマルクス史学者たちは幕末維新の時代を説明するに、「江戸時代の民衆は天皇の存在なぞ全く知らなかつた。天皇絶対主義を植えつけたのは明治新政府である」と唱へるのを常とした。

 これが真つ赤なウソであることは、江戸時代に民衆の間で伊勢神宮の参拝(江戸時代には伊勢参宮を御蔭参と称した)が隆盛を極めたといふ事実ひとつを挙げれば足りる。
 
 宝永二年(1705)の御蔭参の参加人数は三百五十万人、明和八年(1771)は二百万人、天保元年(1830)は五百万人にも及んだのである。

 伊勢神宮は皇室の宗廟である。皇大神宮(内宮)の御祭神は天照大神、御霊代は八咫鏡、豊受大神宮の御祭神は豊受大神である。天照大神は天皇家の守護神、祖先神である。

 江戸時代の民衆は天皇の存在を知らなかつたといふのは、伊勢神宮に押し寄せた民衆たちは伊勢神宮の由来や御祭神さへも知らずに参拝してゐたと言つてゐるに等しいのである。愚民史観である。

 さて、民衆の伊勢神宮の参拝はいつごろから盛んになつたのか。

 それは応仁の乱の時代であるといち早く指摘したのが史家の内藤湖南であつた。

 内藤湖南の「日本文化史研究」に収められてゐる「応仁の乱に就いて」といふ文章(大正十一年の講演録)は、応仁の乱に対する見方を一片させた論考として名高い。

 「応仁の乱といふものは日本の歴史に取つてよほど大切な時代であるといふことは間違のない事」

 「応仁の乱以後百年ばかりの間といふものは日本全体の身代の入れ替りであります」

 「大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありませぬ、応仁の乱以後の歴史知って居つたらそれで沢山です」

 戦乱にあけくれ、皇室衰微といはれた応仁の乱の時代に、それではなぜ伊勢参宮が盛んになつたのか。内藤湖南はその理由を次のやうに説明する

 朝廷が衰微してきて、伊勢の大神宮に差し上げる貢物が少なくなり、応仁の乱の前後に神宮は最も激しい打撃を蒙つた。そこで神宮の維持策として、伊勢神宮へ参詣するための講を各地に組織することが考へられた。御師が一般参拝人の取次をして誰でも参拝せしめる仕掛けがつくられたのである。こによつて伊勢神宮は朝廷の保護を受ける代はりに、日本の一般人民によつて支へられる形になつた。

 それから伊勢で暦を作つた。元来暦は京都の加茂、安倍の家が特権を持つてゐたが、伊勢の町人は土御門家から暦の写本を貰ひ、それを仮名暦にして御師の土産として配つた。これにより暦の頒布が平民的になつたのだといふ。
 
 応仁の乱の時代は、「日本の一番大事な尊王といふ事」に果たしてどういふ影響を及ぼしたかと内藤湖南は自問する。

 皇室が衰微してゐたのは間違ひない。

 「けれどもその一面において、天子の宗廟に対する信仰が朝廷の保護から離れて人民の信仰となつたがために、却て一種の神秘的尊王心を養つたことは非常なものであります」
「一時朝廷が衰へたといふ事は、日本の尊王心の根本には殆ど影響しないのであつて、寧ろ其ために尊王心を一部貴族の占有から離して一般人民の間に普及さしたといふ効能があるのであります」

 内藤湖南はまた、日本書紀の神代の巻が研究され、一つの経典のやうになつてきたのもこの時代であつたといふ。

 南北朝あたりから北畠親房や忌部正通など「日本は神国なり」といふことが言はれ出したが、日本書紀の神代の巻だけの注を書いた一条兼良の「日本紀簒疏」のやうなものが著されたのもこの頃であつた。「日本紀簒疏」は神代の巻を尊い経典にするために書かれたものである。

 つまるところ、応仁の乱の時代は「国民の思想統一の上には非常に効果があつた」「大変価値のある時代であつた」と湖南は云ふのである。、

 内藤湖南は専門が中国史研究で、支那を知らずして国史も知るあたはずといふ考への持ち主であるが、日本の歴史にも該博な知識を有し、卓見に満ちた「日本文化史研究」はいまなほ価値を失つてゐないと評される。




■天成警語





  ▼老いて死せず、是を賊となす




 池袋の地にて悲惨なる事故を起こせし暴走老人に裁判所禁固五年の刑言ひ渡せり。

 求刑禁固七年なれば判決の五年軽きに失すとの意見少なくなきも宜なるかな。

 裁判官、刑を求刑より軽からしめたることにつき、被告既に社会的制裁を受くることを理由の一つに挙げたり。

 社会的制裁なるもの、俗に云ふいやがらせなるもの含むと解せらる。

 老人の家族、老人が事故を起こせし後、加害者家族救済組織に相談せしと伝へらる。

 かの組織代表によらば、老人の家族、かほどの責めを受くるならば逮捕されし方がいかばかりよかりしかと云へりと。

 被告老人上級裁判所に上訴せば、社会的制裁続くこと明白なり。

 かの救済組織代表の言真実ならば、老人の家族、社会的制裁今よりのちも続くよりは牢獄に入りてもらひたる方がよからんと考ふることもありぬべし。

 これにて裁判終結せば、社会的制裁熄み、家族の名誉も守らるべし。家族に一片の正気有する者ありやなきや。

 論語に、老いて死せず、是を賊となすとの言あり。

 原攘夷して俟つ、子曰く、幼にして孫弟ならず、長じて述ぶることなく、老いて死せず、是を賊となす、杖を以て其脛を叩(う)つ、と。(論語憲問第十四)
 
 孔子今の世にあらば暴走老人の杖を以て其脛を叩たむや。


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Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト。皇室研究家。三島由紀夫研究家。國語問題研究家。フェミニズム問題研究家。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論の著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

皇室関連の著作としては『天皇を喰ひ物にした侍従長』『天皇と宮内庁の「背信」』など。

執筆には正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を使用、当ブログも正仮名遣ひを用ゐる。

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