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■売国総理と戦つた靖国神社宮司の無念



 
  売国総理と戦つた靖国神社松平永芳宮司の無念

  「泥靴のまま人の家に上がるような参拝」




 総理大臣中曾根康弘が鳴り物入りで靖国神社に「公式参拝」したのは昭和60年8月15日のことだつた。

 御祭神への不敬極まる売国総理の靖国参拝については、当時宮司だつたの松平永芳氏がその後克明に語つてゐる。(「靖國」奉仕十四年の無念 「諸君!」平成4年12月号) 靖国問題を考へる人の必読文献といへる。

松平氏によると、御祭神への侮辱的参拝は次のやうに強行された。

《私の在任中に、もう一件世間を騒がせたのは、中曾根康弘総理の参拝でしょう。昭和六十年八月十五日。「おれが初めて公式参拝した」と自負したいからか、藤波官房長官の私的諸間機関として「靖國懇」なるものをつくって、一年間、井戸端会議的会合をやりました。そして手水は使わない、祓いは受けない、正式の二礼二拍手はやらない、玉串は捧げない、それなら「政教分離の原則」に反しないという結論を出したのです。しかし、これは私に言わせれば、「越中褌姿で参拝させろ」というのと同じで、神様に村し、非礼きわまりない、私は認めないと言ったんです。そしたら遺族会やら英霊にこたえる会の方々に呼ばれまして、「折角、ここまできたんだから、宮司はゴタゴタいわないで、目をつぶってくれ」と、相当強く追られたのです。》

《遺族会などに「靖國懇」の結論を呑めといわれて、私が反論したのは、手水を便わないのはまあ宜しい。それは前もって潔斎してくるなら、中曾根さんの心がけ次第だ。玉串をあげない、二礼二拍手もしないでお辞儀だけ。これも心の間題で、恰好だけでなく、心から参拝するなら、こちらからとやかくいうことではない。それは譲ってもいい。けれども、お祓いだけは神社側の行うことだから受けてもらわなきゃ困る。火や塩や水で清め、お祓いするのは、日本古来の伝統習俗であって、これを崩されると、一靖國神社のみの間題でなく、地方でも中曾根方式を真似て、お祓いを受けないのなら知事は参拝しよう、そう言いだしかねない。それは神社参拝の本質を根底からくつがえす大きな間題だから、と反論したんですがダメなんですね。それで「分った」と。しかし、いずれにしろ、こういう形の参拝をさせていただきたいと総理サイドがら頼みに未られるのが神に対する礼儀ではないか、と主張しました。》
   
《すると前日の十四日、藤波官房長官が見えたので、目立たないよう、奥の小さい応接間にお通しして、私は言いたいだけのことを言いました。天皇様のご親拝のご作法-手水をお使いになり、祓いをお受けになり、それから本殿にお進みになって、大きな玉串をおもちになって、敬虔な祈りをお捧げになる-それを全部やらないというのは、弓削道鏡にも等しい。そう靖國の宮司が言っていたとおっしやっていただきたいと、しかし、これは恐らく言われなかったでしょうね(笑)。それから、私は明日は総理の応接には出ない、泥靴のまま人の家に上がるような参拝は、御祭神方のお気持に反することで、「ようこそいらっしやった」とは口が裂けても言えないから、社務所に居て顔を出しません、それも伝えてほしいと。》

《ところが、昭和六十年の鳴物入りの「公式参拝」私に言わせれば「非礼参拝」ですが--そのときは、武道館での追悼式のあと、総理は、時間調整のため昼食をとられ、その間に武道館から退場したご遺族さんたちを神門から拝殿まで並ばせたんですね。その中を中曾根首相一行が参拝するという、ショー的な手配をしたのです。しかし善良なご遺族たちは「公式参拝してくれてありがとう」と喜んで拍手で迎えていました。私はすでに武道館から神社に戻っていたのですが、藤渡さんにも職員たちにも宮司は出ていかないと言ってあったので、出ていかない。社務所の窓からご社頭の状況を眺めておりました。ちょっと子どもじみておりますかね(笑)。
 ところが夕刊を見てびっくり仰天。これはしまったと思いました。参拝が終ったあとの写真が出ているんですが、中曾根総理、藤波官房長官、厚生大臣、それとボディガードが写っている。写真では二人しか写ってませんが、四人ついていた。
   
 拝殿から中は、綺麗に玉砂利を掃き、清浄な聖域になっているんです。天皇様も拝殿で祓いをお受けになって、あとは待従長などをお連れになって参進される。警護はなしです。

 だから、中曾根総理が、厚生大臣と官房長官を連れていくのは、幕僚だからそれは結構だ。しかしボディガードを四人も、自分を守るために連れていくのは、何たることだと思うわけです。靖國の御祭神は手足四散して亡くなられた方が大部分です。その聖域で、御身大切、後生大事と、天皇様でもなさらない警備つきとは何事かと、七年経った今でも無念の感情が消え去りません。》
   
《先ほどの祓いの件は、拝殿に仮設した記帳台のまわりに幕をコの字型に張り、外から見えないようにして、署名のときに陰祓(かげばら)いをいたしました。神社としては祓いをした、内閣側では祓いを受けなかった。それで結構です、ということで決着をつけたんです。この程度ですね。》

《そしたら、その直後に韓国と中国からいちゃもんがついたんで、しっぼを巻いて、以未今日まで総埋の参拝は八年間なし、という情けない状態でございます。》

 中曾根が靖国を参拝した直後から中国では反日デモが吹き荒れ、中曽根は青くなつて秋の例大祭参拝をとりやめた。

 靖国神社が軍国日本のシンボルである「A級戦犯」を祀つてゐることがケシカランと中国から脅されて、金丸や二階堂ら中曾根の取り巻きどもは「靖国神社にA級戦犯を祀ってゐることは知りませんでした」と中国要人にペコペコ頭を下げて回つた。

 中国の恫喝に震へ上がつた中曽根は、翌昭和61年8月15日の靖国神社公式参拝も取りやめる。

 後藤田官房長官は8月14日に談話を発表し、首相の靖国参拝中止の理由について、奇怪極まる説明をした。

 「いわゆるA級戦犯を合祀していることもあって、昨年実施した公式参拝は、近隣諸国の間に、そのような我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み・・・・」

 「A級戦犯」といふおぞましい言葉が日本政府によつて公式に使用された初めての例。のみならず、「A級戦犯」合祀が参拝中止の理由づけに持ち出されたのである。

 ここから中曽根政権は、靖国神社の「A級戦犯」合祀取り下げに狂奔し始めるのである。

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■不敬極まりない御陵の世界遺産登録(6)
 
 
 



   ●サヨク考古学者と観光業者が結託する日


 


 天皇陵の問題を考へるにあたつては、考古学者といふ反日勢力の実態をよくわきまえておく必要がある。

 私の手元に、反日考古学者らが書いた『天皇陵を発掘せよ』(三一新書)といふ本がある。

 この本は、日本の考古学者たちが天皇陵の暴露を自己の使命と心得てゐることをよく教へてくれる。

 これら反日考古学者たちは天皇陵といふ言葉を使はない。

 やむなく使はざるを得ないときは、「天皇陵」とカギカッコをつける。

 その理由は以下のやうに説明される。

《特定の人の墓だけを「陵」という変わった表現で呼ぶ理由はないうえ。「天皇陵」の指定(宮内庁用語では「治定」」)は、古くなればなるほどいい加減で、カギカッコをつけているのです。》

《主権在民の現代、日本人民はすべて対等平等です(死者もまた、当然対等平等でなければなりません。天皇・皇后の墓だけを「陵」という特別の用語で呼ばなければならない理由はありません。》

《当然、現代の常用の名詞としては死語にしなければならない言葉です。》

《要するに、「天皇陵」というものは、正確な歴史的由緒があって維持管理されているものではなく、近世に醸し出され、近代に肥大化した天皇制イデオロギーが創作した産物が、現代に温存されているものに過ぎません。》

《もともと根拠がなかったものを、1500年も後になって指定し直したのですからナンセンスというよりほかありません。そういうものを、現代日本人民「天皇陵」として押し付けられているのです。》

 主権在民だとか日本人民だとか天皇制イデオロギーだとか、サヨク史観が丸出しで表現され、かれらにとつて天皇といふ存在がいまだに「階級敵」であることをよく示してゐる。

 「反人民」にして「階級敵」である天皇の墓は暴かれなければならないのだ。

 天皇陵は反日考古学者の暴露攻勢にさらされてきた。今もその状況は変はらない。

 天皇陵を単なる客寄せ資源としか考へない自治体や観光業者が、反日考古学者と結託する可能性は十分にある。

 天皇陵を俗化させるといふ点でかれらの利害は一致してゐる。

 長い歴史の中で盗掘、侵食、荒廃などの憂き目をみてきた天皇陵は今、世界遺産化によつて新たな危険性をはらむことになつた。

 そのことを忘れるべきではない。


■不敬極まりない御陵の世界遺産登録(5)




   濠の清掃まで買つて出て宮内庁取り込みを図つた地元自治体
    







 
 天皇陵を世界遺産に、といふ話が持ち上がつたのは今から15年以上前にさかのぼる。

 折からの世界遺産ブームに目をつけた当時の堺市長(木原敬介)が、「仁徳天皇陵をなんとか世界遺産にできないものだらうか」と言ひ出したのがそもそもの発端とされる。

 堺市はとりあへず庁内で検討をはじめたが、仁徳陵の管理者である肝心の宮内庁が「御陵は世界遺産になる必要はない」とケンもホロロの態度だつたので、仁徳陵単独での申請は困難と判断された。そこから、百舌鳥・古市に広がる古墳群全体を歴史文化遺産として売り込んでいくといふ方針へと転換がなされるゆく。

 堺市と大阪府を中心とした地元自治体が力を注いだのは、もつぱら宮内庁対策だつた。

 渋る宮内庁をどうすれば取り込めるか?

 世界遺産登録申請に宮内庁が反対さへしてくれなければそれでいい。あとのことは宮内庁の意向をすべて受け入れる。これが地元自治体の対宮内庁基本戦略だつた。

 地元自治体にとつて、天皇陵の史跡もしくは特別史跡の指定などはじめから頭になかつた。地元自治体は、天皇陵を史跡に指定したくてたまらない文化庁にも周到に根回しした。文化庁は世界遺産登録手続きの日本政府窓口でもある。

 それから名称の問題。

 堺市などは、天皇陵が大山古墳などと遺跡名で呼ばれる風潮を宮内庁が憂えてきたことをよくわきまへてゐた。

 世界遺産登録申請にあたつて名称は、仁徳天皇陵古墳、応神天皇陵古墳と、「天皇陵」を公式名としたく思ひます。地元自治体は当初から宮内庁にさう提案してきた。

 さらに地元自治体は、仁徳陵の濠の水質浄化作業を買つて出て、宮内庁の歓心をかふことにこれつとめた。
 
 宮内庁を長年悩ませてきたのが仁徳陵の濠水汚濁だつた。

 かうした地元自治体の攻勢を受けて、宮内庁も徐々に軟化姿勢に転じ、「御陵の静安を尊厳を損ねない範囲で必要な協力をしていきたい」と外部にコメントするまでになつた。

 堺市などが世界遺産の国内暫定リストに百舌鳥・古市古墳群を提案したのは平成19年のこと。その時点で自治体側から「宮内庁の一定の理解がえられた」と説明されたものの、宮内庁の姿勢がもうひとつはつきりしなかつた。それがネックとなつて、国内推薦の落選は三度に及んだ。

 最終的に国内推薦獲得の決め手となつたのが、宮内庁の態度の変化だつた。

 地元自治体は、御陵の世界遺産登録問題で、考古学者などの団体とは一線を画してきた。といふより、考古学者団体などは完全に無視し、ひたすら宮内庁の意を汲むことに注力してきたといつていい。

 宮内庁の敵は天皇陵の発掘させろと主張してきた反日考古学者である。

 「世界遺産登録は陵墓の公開につながるものではありません」と自治体側が宮内庁にささやき続けた。

 宮内庁の担当者がこのささやきに動かされたとしても不思議ではない。

 御陵の世界遺産登録は必ずしもマイナスばかりではないのではないか?

 御陵が世界遺産登録されれば、反日考古学者たちから天皇陵を守ることにもつながるのでは?

 宮内庁が、発掘攻勢への防御手段として、世界遺産登録に意味を見出したとすれば、これほど悲劇的な話はない。


 (この項続く)


■不敬極まりない御陵の世界遺産登録(4)



   


   反天皇考古学者らが期待した天皇陵の文化財史跡指定





 
 
 百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録にあたつて、反天皇考古学者らが期待してゐたことに、名称のほかに、天皇陵の文化財の史跡指定がある。

 陵墓は国有財産法の規定により、国有財産たる「皇室用財産」(国において皇室の用に供し、又は供するものと決定したもの)として、皇居、離宮、正倉院などとともに宮内庁の管理下に置かれてゐる。

 宮内庁が陵墓への立ち入りを制限できるのも国有財産法に基づく。

 陵墓を文化財保護法の定める史跡または特別史跡に指定せよと叫び続けてきたのが、反天皇考古学者らである。

 文化財保護法の史跡・特別史跡に指定されれば、文化財として公開を求められる。堂々と天皇陵を発掘できるのだ。なによりも、文化財保護法の所管は文化庁だから、天皇陵が特別史跡に指定されれば、所管は宮内庁から文化庁に移ることになる。

 天皇陵を暴くことに執念を燃やす反天皇考古学者らにとつて、忌々しいのが宮内庁の存在なのだ。

 百舌鳥・古市古墳群に世界文化遺産登録の話が持ち上がつてきた時、反天皇考古学者たちは天皇陵から宮内庁の管理権を奪ふ絶好のチャンスが巡つてきたと喜んだ。

 世界文化遺産といふのは当然公開が原則である。

 「皇室用財産」といふ閉じられた性格のものであつては、世界文化遺産に登録されるわけはない。

「大山古墳」が晴れて世界遺産になるためには必ずやその前に、「大山古墳」に対して文化財保護法の特別史跡指定が行はれるだらう――と反天皇考古学者らは予測した。

 しかしここでもかれらの予測は外れた。

 日本政府は世界文化遺産登録申請にあたつて、仁徳天皇陵をはじめとする天皇陵を特別史跡に指定することはなかつた。すなはち、各天皇陵は「皇室用財産」として申請され、それがそのまま認められたのだ。

 世界文化遺産登録を機に天皇陵から宮内庁の管理権限を奪ふといふ反天皇考古学者らの目論見は崩れた。

 日本政府はなぜ天皇陵の特別史跡指定をスルーしたのか?

 そのへんの背景は、堺市をはじめとする地元自治体の動向と思惑を抜きには語れない。

  (この項続く)
 
 
 
■不敬極まりない御陵の世界遺産登録(3)



  
   反天皇考古学者たちが気に食はない「天皇陵」といふ呼称









 考古学者らの団体が、世界文化遺産に登録された大阪府の百舌鳥・古市古墳群に関して記者会見を開いた。陵墓の公開などとともに、「天皇陵古墳」といふ正式登録名称に異を唱へ、「学術的」な名称も併記せよと求めたのだ。

 「天皇陵を発掘せよ」と戦後一貫して叫び続けてきたのが日本の考古学者たちであつて、かれらは天皇陵といふものに霊的な価値を一切認めない。

 かれらは陵墓が宮内庁によつて管理されてゐることが気にくはない。

 墳丘周辺部の観察などではなく、陵墓の全面発掘がかれらの終局目標である。

 日本の考古学者といふ人種はなぜか反天皇のイデオロギーに凝り固まつてゐる。

 反天皇考古学者たちにとつて、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録は一面で歓迎すべきことだつた。

 ユネスコが世界文化遺産に指定するのは過去の死んだ遺産ばかりだからだ。世界文化遺産とは観光地のシンボルにすぎない。

 百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録されて観光地化すればどうなるか。

 周辺には土産物屋が立ち並び、観光客は陵墓が天皇祭祀の聖地であるなどとは誰も考へないだらう。反皇室考古学者たちが願待したのは天皇陵の俗化にほかならない。

 ある考古学者はいふ。江戸時代には仁徳天皇陵の墳丘は花見の名所だつた。今日においても周辺住民の花見場所として開放されるべきだ―。

 かれらが願望するのは天皇陵のレジャーランド化なのだ。
 
 反天皇考古学者たちにとつて、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録で不満だつたことは、陵墓が、「天皇陵」の名称をもつて正式登録されたことだつた。

 仁徳天皇陵古墳

 反正天皇陵古墳

 履中天皇陵古墳

 仲哀天皇陵古墳

 允恭天皇陵古墳

 応神天皇陵古墳

 天皇陵の治定などいい加減なものだといふ理由で、天皇陵といふ呼称を追放することに血道をあげてきた反天皇考古学者たちにとつて、「天皇陵」といふ名称が国際機関に正式登録されてしまつたことは由々しき事態といへた。

 堺市に存在する日本最大の前方後円墳を反天皇考古学者たちは「仁徳天皇陵」などとは金輪際呼ばない。かれらにとつてあれはあくまで「大山古墳」なのだ。

 今から半世紀近く前、考古学者の森浩一が仁徳天皇陵を「大山古墳」、応神天皇陵を誉田山古墳と遺跡名で呼ぶことを提唱して、呼称変更運動が学者の間に広がり、教科書からは仁徳天皇陵の名称が消え大山古墳へと書き換へが進められてきた。

 反天皇考古学者たちはユネスコの世界遺産委員会が、日本政府が提出した「天皇陵」といふ呼称にクレームをつけてくれることにひそかに期待してゐた。しかし世界遺産委員会は名称にはクレームどころかなんらの関心を示さなかつた。かれらの期待はむなしく外れた。



 (この項続く)
プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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