FC2ブログ
■三島由紀夫雑記 






   ▼日夏耿之介へのお詫びの手紙 




 前回『三島由紀夫 十代書簡集』の仮名遣ひについて書いたので、ついでに三島由紀夫の手紙の中に、仮名遣ひ問題に触れたものがあるのでそれを紹介したい。

 昭和三十五年四月十七日附、日夏耿之介宛の手紙である。

《 先日は御当地名産のの椎茸をお送りいただきまして洵に有難う存じました。家内一同賞味いたしました。
 又当日には奥様がお出で下さいまして、御叮嚀な御挨拶をいたゞき、ありがたうごさいました。
 さて、一つお詫びいたさねばならぬのは、すでに文学座よりお手許へプログラムが行つてをると存じますが、その中で御文章を転載させていたゞきながら、若い者の軽挙にて、勝手に新仮名遣に改変いたし、さぞ御立腹のことと拝察、恐懼してをります。早速編集の者を誡めおきましたが、返らぬこととて、ただゝお詫び申上げます。(以下略)》

 これは日夏耿之介に対するお詫びの手紙にほかならない。

 三島由紀夫は昭和三十五年四月にオスカー・ワイルドの「サロメ」の舞台を演出した。「サロメ」は三島由紀夫が「はじめて手にした文学作品であり、「サロメ」の演出は「二十年来の夢」だつた。

 演出に使ふ台本は日夏耿之介譯「サロメ」でなければならなかつた。三島は「日夏耿之介氏の瑰麗な翻譯」に心酔してゐたからである。

 その前年、三島は譯本使用の許可を得るために日夏耿之介に手紙を書いてゐる。

《・・・この程、やうやう永年の夢が形を結ぶ機会が与へられ、勝手な申し分ながら、ぜひぜひ、先生の御譯本(現行―角川文庫版)を使はせていただいて、小生の演出にて、「サロメ」を文学座の来年四月公演として、東横ホールで上演させていただきたいのでございます。(中略)
 先生の御翻譯のもつ豪華なる趣をどれほど舞台に生かせますか、小生の力は覚束ない限りでございますが、どうか枉げて御許可を賜れば、この上の倖せはございません。(中略)
 右何卒お願ひ申上げたく、御返事をお待ち申上げてをります。  匆々   
  十月十三日                  三島由紀夫
日夏耿之介先生                          》
     
 日夏耿之介から了解した旨の書信が来た。三島は礼状を書く。

《 拝復 お願ひの件早速御承引下さいまして望外の倖せに存じます。この上は御高譯をけがさねやう折角努力いたします。
 秋冷の候、何卒御身御大切に。》 
          (昭和三十四年十月十九日附)

 このやうに、いかにも三島由紀夫らしく折り目正しく礼を尽くして日夏耿之介に翻譯本の使用許可を求めたのだつた。

 三島と同じやうに森鴎外を崇拝する日夏耿之介は、文章と言葉に厳格な文学者だつた。現代仮名遣などもとより唾棄してゐた。

 しかるに、プログラムには現代仮名遣に改変された日夏譯「サロメ」の文章が掲載された。そしてそのプログラムが日夏のもとに送られてゐたのだ。これを知つた三島はすぐさま日夏耿之介に詫び状を書いた。それが上掲の手紙である。

 日夏耿之介先生の「瑰麗な翻譯」がまさかの現代仮名遣。三島の怒りと驚愕、詫びても詮無い非礼を犯した悔悟は、「若い者の軽挙にて、勝手に新仮名遣に改変いたし」云々といふ文面によく現れてゐる。

 三島由紀夫は自作戯曲を上演する時は必ず原本通りの(すなはち正仮名遣の)台本を役者たちに渡してゐたのである。
 







スポンサーサイト



■三島由紀夫雑記





  ▼三島由紀夫書簡集を読む(続)

  『三島由紀夫 十代書簡集』の仮名遣ひの醜悪




 この文章は、決定版全集に依つて書いてゐるのだが、三島由紀夫の書簡集としてはほかに、『川端康成・三島由紀夫往復書簡』(新潮社)、ドナルド・キーン宛の『三島由紀夫未発表書簡』(中央公論社)、『三島由紀夫 十代書簡集』(新潮文庫)がある。

 この中で、『三島由紀夫 十代書簡集』には、残念ながら重大な欠陥があるといはなければならない。それは仮名遣ひのことである。

 川端とキーンの書簡集は単行本で、仮名遣ひは原文に忠実に正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を守つてゐる。ところが『十代書簡集』は、仮名遣ひはすべて現代仮名遣ひに改められてゐるのだ。

 いふまでもなく三島由紀夫は作品はもとより私信もすべて正仮名遣ひを用ゐた。

 新潮文庫の方針として、口語文の作品はすべて現代仮名遣ひに直すといふ方針は承知してゐる。新潮文庫本から出てゐる三島由紀夫の作品もすべて現代仮名遣ひに改められてゐる(『豊穣の海』でさへも!)。

 しかし、いくら新潮文庫編集部の方針だからといつて、手紙を集めた書簡集まで現代仮名遣ひに直してしまふのは、無神経にすぎるといふものである。

 『十代書簡集』は学習院時代の先輩であり早世した東文彦とその母親に宛てた手紙を収録したものである。

《 私への御注意は全くそのとおりで、近頃、ゆきづまっていることは私もよく承知しておりました。「苦しくなければ駄目です」というおことばなど、まことに味わうべきおことばと思いました。》 (昭和十七年七月二十五日附、母親宛)

 戦時下の文学少年が書いた手紙なのに、このやうに現代仮名遣ひで読まされると、時代的雰囲気も書き手の個性も失はれるばかりでなく、未来の文豪の文章が幼稚にさへ見えてしまふのだ。げに仮名遣ひのおそろしさといふべきである。

 三島は手紙のなかでよく自作の詩を披露してゐるが、『十代書簡集』では、ご丁寧にも、口語詩も現代仮名遣ひに改変されてゐる。

 本意ない冬日のなごやかざを
 わたしは装わねばならぬであろう
 怒りの風をうしろにした帆のように。
 (そのやわらぎのなんとわたしに痛いことだ)
 
 これを見たら泉下の三島由紀夫が泣くであらう。

 お粗末なことに、口語詩のなかには、現代仮名遣ひと正仮名遣ひが混在してゐるものまであつて、よく読んでみたら、正仮名遣ひにみえたのは、現代仮名遣ひに直し忘れた「校正ミス」なのだつた。

 書簡集ではないが、学習院時代の親友だつた三谷信が書いた『級友三島由紀夫』といふ本が中公文庫から出てゐる。著者は、自分の応召先に三島が定期的に送つてきた「土曜通信」といふ葉書を多数紹介してゐるが、三島からの葉書文面だけは原文に忠実に正仮名遣ひで載せてゐる。

《 御手紙拝見。何はあれ、このやうな大変に際会して、しかも君とそれについて手紙のやりとりを出来るやうな事態を、誰が予想し得たでせう。わけても軍籍にあつて、これを経験しつゝある君の気持はどうでせう。想像するだに、時代の異常さに想ひ至らずにゐられません。》(昭和二十年八月二十二日附)

 三谷信といふ人は必ずしも文学青年ではなかつたけれど、仮名遣ひの大切さといふことががよくわかつてゐた人なのだと思ふ。それを諒とした中公文庫編集部にも敬意を表したい。

 新潮文庫編集部は宜しく中公文庫編集部を見習ふべきである。




■三島由紀夫雑記





   ▼三島由紀夫書簡集を読む




 『決定版三島由紀夫全集』第三十八巻の書簡集には、百四十一名宛の八百六通の書簡が収録されてゐる。

 漱石全集の三巻にも及ぶ夏目漱石の書簡二千五百通などに比べると少ないやうだけれど、「プライバシ―にかかはる」書簡などは排除されてをり、破棄、散逸、秘蔵された書簡もかなりあると推測されるから、三島由紀夫が生涯に書いた書簡数は八百に倍すると思はれる。

 平岡家から訴へられた、例の福島次郎『剣と寒紅』が引用した三島の手紙などは、もちろん書簡集には収録されてゐない。 

 三島由紀夫はどこかで、文士の手紙は意外につまらないものが多くて、それは文士が書くことのエネルギーを作品に使ひ果たしてしまふからだ、といふやうなことを書いてゐる。

 三島由紀夫の手紙はどれも面白い。それは三島が手紙を書くとき、労力も言葉も惜しまなかつたからである。「三島由紀夫は面白くない文章を書けない人だつた」といふ村松剛の言葉は、その手紙にもあてはまるだらう。

 三島由紀夫名言集のやうな本はたくさん出てゐるけれど、キラリと光る言葉は手紙の至るところに見出され、書簡だけでも優に一冊のアフォリズム集ができると思はれるほどだ。

 書簡集からアットランダムにそんな言葉を引いてみようか。

〇他人の中にある何物かに愕く心は自分に愕く心であり、他の発見は、自己の発見であり、他に感動しなければ自己の発見も終る、・・・  (清水基吉宛)

〇思想といふのははやらない時ほど美味なものです。(同)

〇今日頑健な肉体をもたない作家は、戦争中頑健な肉体をもたない兵士は落伍して行つたやうに、死ぬか衰弱します。 (壇一雄宛)

〇私は「治りたい」といふ病人の焦躁を軽蔑します。(同)

〇Tagewerk は大切です。(新堀喜久宛)

〇かういふ時代にあつては「秩序」といふ思想ほど尖鋭に危険に見えるものはありません。(野田宇太郎宛)

〇日本中が利口な大人になつてしまひました。(清水文雄宛)
 
〇作家は自分自身にたえずおどろくことにより、世界におどろき、美におどろき夢におどろくのだと思ひます。(中村真一郎宛)

〇自分で自分の才能を量り、それに自分で結着をつけるなどとは、キザなことのなうに思はれます。(中村光夫宛)

〇日本人はわかりにくいものを尊敬する妙な事大主義を持つてゐる半面、わかりやすいものに対しては、「わかりにくさ」の価値しか認めない悪癖があります。(林房雄宛)

〇芸術的努力はみんなムダな時代です。(田中美代子宛)

〇本物のヨーロッパはあんまり本家といふ顔をしすぎてゐる。(杉村春子宛)

〇美しいものが美しい故に死刑に処せられるのです。(伊東静雄宛)

 以上はほんの一例にすぎない。

 先ほどアフォリズム集と書いたけれど、このアフォリズムの魔術師は富士正晴宛の手紙の中で、「アフォリズムといふものは大きらひです」と書いてゐることに気がついた。三島由紀夫は警世家を軽蔑してゐたが、それでもロシュフーコーの箴言集などはよく読んでゐた。

 
               (続く)
     


■三島由紀夫の手紙作法






 

  ▼『三島由紀夫レター教室』の読みかた






 『三島由紀夫レター教室』はまつたく型破りな手紙教本である。

 女性週刊誌に連載された『三島由紀夫レター教室』は、若い読者向けに軽いタッチで書かれた文章で、「五人の登場人物がかはるがはる書く手紙をお目にかけ、それがそのまま、文例ともなり、お手本ともなる、といふぐあひにしたい」―と作者はその意図を説明する。    

 氷ママ子、山トビ夫、空ミツ子、炎タケル、丸トラ一といふ五人の登場人物が、恋愛や結婚、恋のさや当て、嫉妬、陰謀やらをめぐつて手紙を取り交はす。その恋愛のドタバタ劇の展開がすこぶるドラマ的で、読者は、この二人はこれからどうなつてしまふのだらうとハラハラさせられる仕掛けになつてゐる。

 『三島由紀夫事典』(勉誠出版)では、『三島由紀夫レター教室』はかう解説されてゐる――「書簡文例集の形式を借りた長編小説」。

 たしかに登場人物の細かな心理劇が織り込まれた小説として読めなくもない。

 とはいつても、そこは三島由紀夫である。手紙を書くについての実践的な知識と文例はそこここに盛り込まれてゐる。

 手紙の書き出しの文例。

●お手紙拝見。

●お手紙拝見いたしました。

●お手紙ありがたう。

●おもしろいお手紙をありがたう。

●いやはや、おどろきました。

●結婚後丸一年。最初の子供が生まれたお知らせを申し上げます。

●今夜は何事もない静かな初冬の夜です。

●今、大阪にゐます。

●今 志賀高原ホテルへスキーに来てゐます。

●新年そうそう、へんなお手紙を差し上げることになりましたが、なにとぞお許しくださいませ。

●ほんとうは、こんなこと、会つたとき言へばいいのだけれど、ずいぶん考へた末に、手紙で書くことにしました。

 手紙の結尾の文例。

●秋のたけなはの日々、何卒、ますます御健勝の段、伏して祈り上げます。

●御返事を待つてゐます。

●御返事をいただけたらどんなにうれしいでせう。

●今日はまた自動車教習所へ行くので忙しいからこれで失礼。

●では、ただ、喜びばかり自分勝手に連ねました。あしからず。   かしこ 

●ご安心のほどを。匆々。

●来週の木曜日の五時に、Kホテルのロビーで待つています。きつと来てくださいね。

 お見舞ひ状の文例。

●ご入院の由うけたまはり、びつくりいたしました。

●何卒、何卒、御身ご大切にあそばしますやう、お祈り申し上げます。  かしこ

 このほか、借金を申し込む手紙、未知の人に出す手紙など、甚だ実用的な文例も少なくない。

 「英語の手紙を書くコツ」とふ一章もある。

●物喜びをなさい。

●日常の些事をユーモアをまぜて入れなさい。

●文法や構文に凝るよりも、形容詞に凝りなさい。

 これは日本語の手紙を書くときも同じだといふ。

 作者がもつとも言ひたかつたことは次の言葉に尽くされてゐるだらう。

●手紙を書くときは、相手はまつたくこちらに関心がない、といふ前提で書きはじめなければいけない。他人は決して他人に深い関心を持ちえない、もし持ち得るとすれば自分の利害に絡んだ時だけだといふ苦い哲学を知らなければならない。(「作者から読者への手紙」)

 三島由紀夫にとつて、未知の読者からのファンレターほど始末の悪いものはなかつた。

 『三島由紀夫レター教室』には、悪しきファンレターの文例もチャント載つてゐる。










■幕末明治宮廷余聞(2)






   ▼天覧実験で中空に消え去つた軽気球





 明治十年十一月七日、明治天皇は築地の海軍兵学校に行幸された。

 海軍兵学校で、軽気球の「放揚」を天覧に供することになつてゐたのである。

 この年、西郷隆盛の西南の役が起こつた。薩軍は熊本鎮台の置かれた熊本城に襲来し、籠城する鎮台兵を薩軍が包囲した。

 この時、陸軍のなかに、軽気球を飛ばせば薩軍の状況を偵察することができるだらう。熊本城内に籠る鎮台との連絡にも使へるだらうとの議が起こつた。
 
 陸軍はすぐさま海軍に軽気球の製作を依頼し、海軍は兵学校機関科で軽気球製作にとりかかつた。

 はじめに石炭瓦斯を使つた軽気球をつくり、飛揚実験してみると成功した。しかし、戦地に石炭瓦斯を運搬するのは困難なことがわかり使用を断念した。

 次に水素瓦斯を使用することになり、気球と水素瓦斯製造機の製作に着手し、六月になつて完成した。しかしすでに熊本城の包囲は解かれたあとだつた。薩軍は壊滅状態で敗走してゐて、軽気球を使用する必要はなくなつた。軽気球は海軍兵学校にそのまま蔵しおかれた。

 西南戦争が終結して二か月後、海軍が製作した軽気球を天皇の前で「放揚」して御覧に入れるといふことになつた。

 放揚は海軍操練所において行はれ、天皇が校内の一室からそれを御覧になつた。

 この時西風が吹いてゐた。

 まず石炭瓦斯を使用した軽気球が揚げられたが、つくられてから半年たち球質が硬化してゐたため、飛揚するに至らず破裂してしまつた。

 次に水素瓦斯を使用した軽気球が揚げられた。「忽ち昇騰して凡八十間の上空に至りし」が、風が強かつたため、係留索が切れて、「気球は飄然として東方に去り、終に其の影を没す。」

 水素瓦斯の軽気球は「放揚」には成功したものの、中空に消えてしまつたのである。




「富田メモ」と捏造された「スクープ」
天皇を喰ひ物にした侍従長
反日種族主義
hannitikyouiku
靖国神社のみたまに仕えて
靖国神社宮司 退任始末
中国共産党「天皇工作」秘録
新版靖国論集
西洋の自死
寄生難民
真説 毛沢東
皇居 壁紙ポスター
あなたを幸せにする大祓詞
日の丸 旭日旗
天皇家のしきたり案内
amazon
プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
令和への伝言
天皇と宮内庁の「背信」
男と女の戦争
再考「世紀の遺書」と東京裁判
祖父東條英機「一切語るなかれ」
東京裁判をさばく
東京裁判の正体
皇室の祭祀と生きて
増補 皇室事典
三島由紀夫―ある評伝
三島由紀夫 死と真実
義のアウトサイダー
信時潔
逝きし世の面影
私の国語教室
福田恆存の言葉
大衆の反逆
ひとつの戦史
自死の日本史
amszon
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム