Category : 皇室
■「自分は上皇になる」と言ひ出したのは今上天皇である(続)

 なぜ天皇は「自分は太上天皇になる」と言はなかつたのか?




 天皇の譲位後の呼称をどのやうにするかといふ問題で、有識者会議の出席者たちが触れたがらぬことがひとつある。それはほかならぬ今上天皇御自身が、譲位後にどのやうな称号で呼ばれることを望んでゐるかといふことである。

 それは既に明らかになつてゐる。

 天皇が望んでゐる称号は「上皇」である。

 「自分は上皇になる」
と天皇が発言されたといふ証言がある。

 その証言とは―。

 平成22年7月22日に御所の応接間で開かれた「参与会議」の席上、天皇は
「天皇の務めを十分果たせないやうな事態に至る前に譲位したい」
と切り出し、続けて、
「自分は上皇になる」
と言はれたといふものだ。

 天皇が初めて譲位の意向を表明したのがこの時の参与会議で、会議における天皇の発言はかなりの部分がすでに明らかなつてゐる。参与会議の出席者たちがマスコミにしやべつたからである。

 参与会議の出席者は天皇、皇后のほか、参与の3人、それと羽毛田信吾宮内庁長官、川島裕侍従長だつた。

 天皇譲位問題で、宮内庁が策定したマスコミ戦略がある。それは、まづNHKにスクープさせ、宮内庁がいつたんそれを否定し、天皇の「お気持ち」表明のあと、譲位をめぐる天皇の過去の発言をマスコミに一斉にリークするといふ巧妙なものだつた。

 NHKにスクープさせて天皇の「お気持ち」表明の下地をつくり、正式表明のあとは、天皇の譲位の決意がいかに強固なものであるかを国民にアピールするためにマスコミへのリーク作戦を全開させる。これが宮内庁の描いたシナリオだつた。
たのだ。

 平成22年7月22日の参与会議における天皇の発言も、出席した参与らの口からマスコミに語られたものだが、もちろんそんな話を参与らが勝手にマスコミにリークするわけがない。

 それらの証言はすべて宮内庁との綿密な打ち合はせの上になされたものであつたらう。参与らの証言はいはば宮内庁のお墨つきのもの、宮内庁公認の証言とみていい。

 つまり、天皇が「自分は上皇になる」と発言されたといふ参与の証言も、宮内庁「公認」の証言といふことになる。 

 重大な決意をもつて臨まれたであらう参与会議の席で、天皇が譲位の意向を明らかにすると同時に、譲位後の称号をも披歴したといふ意味はすこぶる大きい。「上皇」といふ称号も考へ抜かれた末のことであらう。

 有識者会議で、太上天皇も上皇も意味は同じなどと幼稚な意見を開陳してはばからなかつた「専門家」たちは、次のやうな疑問を持たなかつたのだらうか?

 なぜ天皇は「自分は太上天皇になる」と言はなかつたのだらうか、と。

 「太上天皇」とは本来、譲位した天皇に自動的に付与される称号だつた(太上天皇の称号を辞退する天皇が出たため、以後、新帝がたてまつるのが例となつた)。

 譲位を認めない今の皇室法制には譲位後の称号の規定はないが、過去の先例に倣ふなら、「太上天皇」で十分なはづである。

 譲位した天皇に「上皇」の称号を認めると、上皇と天皇の「二重権力」になるといふ議論があるけれど、歴史上、上皇と天皇の関係は「二重権力」などといふものではない。権力のヒエラルヒーといふ点からみると、上皇は絶対的に天皇の上に位置してゐた。院政が続いてゐた頃、上皇は天皇の継承者を思ひのままに決めることが出来たのである。

 もちろん、現在の法制下では天皇の継承順位は規定されてゐるから、新「上皇」といへど天皇の継承問題に関与する余地はないが、私には、今上天皇が「上皇」といふ称号に前(さき)の天皇といふ以上の意味を籠めてゐることは確かなことのやうに思はれる。




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■「自分は上皇になる」と言ひ出したのは今上天皇である
 「譲位後の呼称」論議が触れたがらぬ天皇の「真意」




 天皇譲位に関する有識者会議で、天皇の譲位後の呼称をどうするかといふ問題が議論されてゐる。

 「前天皇」とするか、「上皇」と呼ぶか、「太上天皇」と呼ぶかといふ話である。

 3月22日に開催された第10回有識者会議では、意見を聞かれた3人の専門家(なんだらうね、一応」)たちは、ひとりが「上皇」派、二人が「上皇=太上天皇」派だつた。

 本来「上皇」は、「太上天皇」の「上」と「皇」をとつて、「太上天皇」を略したものだから、「上皇」と「太上天皇」は同じ意味だからどちらでもよいといふのが「上皇=太上天皇」派の意見である。

(「上皇」と呼ぶべきだと述べた人物(本郷恵子・東大資料編纂所教授)は「太上」には無上や至上の意味があるので、天皇との関係で上下感を生まぬやう「上皇」を使用した方がよいといふ珍説を開陳した。どうしても「上皇」を使ひたいので、「太上」の方に難癖をつけるといふ高等戦術を思ひついたものらしい。)

 さてここで、「上皇」といふ呼称について考へてみたい。

 「上皇」といふ呼称はたしかに「太上天皇」に由来するもので、「上皇」の正式な称号はあくまでも「太上天皇」である。

 しかし、歴史の上での使はれ方としては、「太上天皇」イコール「上皇」ではない。

 我が国の歴史において、「上皇」といふ呼称は半ば公称化されてゐたことをみんな忘れたふりをしてゐる。

 白河天皇は譲位後、白河太上天皇と呼ばれたわけではない。白河上皇である。

 鳥羽天皇は譲位後、白河太上天皇と呼ばれたわけではない。鳥羽上皇である。

 鳥羽上皇の執政の時代を鳥羽院政といふ。

 鳥羽院政の頃、「天下を政(まつりごと)するは上皇御一人なり」といはれた。

 院政の院とは、もともと上皇の御所を意味し、上皇の別称としても使はれるやうになつたのだ。鳥羽上皇イコール鳥羽院である。

 上皇という呼称は院政と分かちがたく結びついてゐる。

 「上御一人」(かみごいちにん)といふのが本来の天皇の在り方だが、院政の時代は「上皇御一人」だつたのだ。

 天皇の歴史からみて、いかに院政の時代が変則だつたかが分からうといふものだ。

 院政の時代の最高権力者は上皇と呼ばれた。太上天皇ではない。このことをまづ確認しておかなければならない。
 
 「太上天皇」も「上皇」といふ呼称も意味は同じだからどちらでも構はないなどといふのは、「上皇」といふ呼称の歴史上の使はれ方を故意に閑却した方便にすぎない。


  (この項続く)
■三笠宮崇仁親王殿下薨去


 「薨去」といふ言葉を忌避するマスコミの病理



三笠宮崇仁親王殿下薨去に関する報道では、正しく「薨去」といふ言葉を使つたのは、ほとんど産経新聞のみといふ有様で、他のマスコミは例によつて「逝去」「ご逝去」で逃げた。

 共同通信などはひどいもので、薨去の第一報の見出しは、
「三笠宮さま、都内の病院で27日朝死去」
といふものだつた。
(その後の詳報では、見出しに「逝去」を使用した)
 
 もつとも、逝去も死去も、一般人に用ゐる言葉であることに変はりはなく、相手を敬つていふ時に使ふのが逝去だ。

 だから、弔電などでは、
 「ご母堂様のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します」
ともつぱら「ご逝去」を使ふ。

 あらゆるマスコミが皇族の訃報に一般人に用ゐる言葉である「逝去」を使ひ続けるのは、いふまでもなく、マスコミには皇室用語はなるべく使はないようにしようといふ暗黙の取り決めが存在するからだ。

 記者たちが薨去といふ言葉を知らないわけではない。

 宮内庁は皇族の訃報には一貫して「薨去」を用ゐてゐるのだから。

 宮内庁のホームページの記事はかうある。

《崇仁親王殿下薨去について

 崇仁親王殿下には、本日午前8時34分、聖路加国際病院において、薨去(こうきょ)されました。》

 大手マスコミではただ一社、正しく「薨去」を使用した産経新聞も、皇族の訃報記事で「薨去」を使用したのは、平成26年の桂宮宜仁親王殿下の訃報記事からだ。それまでは他のマスコミと同じやうに「逝去」「ご逝去」を使つてゐたから、会社として方針転換したと思はれる。

 昭和13年刊の「皇室辞典」(冨山房)によると、
「崩御」は、
「天皇、太皇太后、皇太后、皇后の神去りましたことをいふ」
とあり、
「薨去」は、
「前記のほかの皇族方並に王公族方の場合を申し上げる。また従三位以上の有位者の場合にも用ゐる」
とある。

 これらは大正15年に公布された皇室喪儀令にある規定で、宮内庁は戦後も皇室喪儀令を準用してゐるから、「崩御」も「薨去」も公的に活きてゐる言葉だといふことになる。この事実をどれほどの日本人が知つてゐるだらうか?

 昭和天皇の崩御に際して、「天皇死去」と見出しをつけたのは共産党の赤旗だつた。

 死去よりは逝去の方がマシと多くの人は考へるかもしれないが、私にいはせれば、皇室用語を忌避もしくは敵視する点においては一般紙も赤旗もそんなに変はらないと思ふ。


 言葉を正さなければ、皇室の世俗化現象はとどまることを知らないだらう。





■天皇の国民に対する「背信」(3)


 天皇譲位の意向を知りながら作成された御陵関連文書




 天皇が譲位した場合、むかしはその御位を太上天皇、または上皇と呼びならはした。太上天皇・上皇が出家すれば法皇と呼ばれた。
 
 天皇の墓所を御陵といふ。太上天皇も天皇の位にあつたお方だから、太上天皇が崩御されれば御陵に葬られた。(崩御という言葉は、現在は天皇、皇后、皇太后に用ゐられるが、太上天皇がおわした時代には太上天皇にも用ゐられた。)
 
 天皇が御自分の墓所である御陵に関して言及されたとしても、そのこと自体に特に異をたてようとは思はない。
 
 しかし、譲位や太上天皇の制度が存在しない平成日本において、天皇が御陵や御喪儀に関して言及されれば、国民はどのやうに受け取るか。天皇が天皇の御位のまま崩御される、天皇はその時のことを考へてをられると受け取るのは当然ではないか。
 
 ましてや、天皇御自身が天皇の御位のまま崩御されるといふ前提で話をされてゐるのだ。
 
 三年前に宮内庁から発表された「今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち」と「今後の御陵及び御喪儀のあり方について」といふ二つの文書ほど、国民を惑はせた皇室文書は国史上まれなのではないか。
 
 天皇の御意向に従つて、御陵御喪儀に関する一年に及ぶ検討が宮内庁においてなされた。その結果、火葬をはじめとして天皇の希望はすべて取り入れられた。ただひとつを除いて。それは皇后との合葬である。合葬に反対したのは宮内庁か? 違ふ。皇后である。皇后が合葬を辞退されたのである。そのことについて皇后の御発言がある。
 
《上御一人かみごいちにん」との思いの中で、長らく先帝陛下、今上陛下にお仕えになってきた経緯からも、それはあまりに畏れ多く感じられるとされ、また、ご自分が陛下にお先立ちになった場合、陛下のご在世中に御陵がつくられることになり、それはあってはならないと思われること》(「今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち」)

 自分が陛下に先立ちつた場合、《陛下のご在世中に御陵がつくられる》ことになり、それはあつてはならない、といつてをられる。天皇が最後まで天皇の位にをられるといふ前提で話をされてゐることが分かる。

 天皇の譲位の御意向はこの時既に皇后もご存じだつたはづである。
 
 皇后のみならず、宮内庁幹部も天皇譲位の御意向は知つてゐた。その上で、これらの文書が作成されたのだ。
 
 天皇譲位をめぐる一連の動きの不自然さは、御陵御喪儀問題を抜きにしては考へられないと思ふ。
 
  (この項続く)






■天皇の国民に対する「背信」(2)


   三年前には 「天皇として崩御」
  御陵御喪儀問題で発せられた天皇の「お気持ち」の不可解



 
 八月八日の「お言葉」で、天皇が強調されてゐるのは、天皇としてのつとめを果たすことに困難を覚えるやうになつたのはかなり前のことからだつた、といふことであらう。
 
 それは、次のやうに「二度の外科手術」にまで言及されてゐることからも分かる。
 
 
《そのような中,何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。》
 
  天皇の最初の外科手術は平成十五年(前立腺癌摘出)のことで、十三年前にまでさかのぼる。
  
 今回の天皇の「お言葉」と、伝へられる宮内庁幹部らの証言を重ね合はせると、天皇は少なくとも五年前には譲位の御意思を周囲に漏らされるやうになつたと思はれる(八年前にそのお話しを天皇からうかがつたといふ側近の証言もある)。

 譲位のことを天皇が御心のうちにとどめておくのではなく、側近に(しかも複数の)伝へたといふ事実は、天皇の譲位の御意思がこの五年ほどの間にかなり強固なものになつてゐたことを物語る。
 
 然るに、天皇は三年前に、ご自分の将来についてどのやうなメッセージを国民に送られてゐたのだらうか?
 
 宮内庁は平成二十五年十一月十四日、「今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち」といふ文書を発表してゐる。
 
 この文書は、タイトル通り、今後の御陵及び御喪儀のことに関する天皇皇后の「お気持ち」を宮内庁がまとめたものである。
 
 この文書の最大の眼目は、天皇の葬送方式が天皇の御意向により土葬から火葬に変はるということにあつた。
 
 この文書のなかの、次のくだりに目をとめられたい。
 
 《天皇、皇后両陛下には、ご即位以来、国と社会の要請や人々の期待にお応えになり、象徴として、あるいはそのご配偶として心を込めてお務めをお果たしになっていらしたが、いつとはなしに、将来のお代替わりのことについて思いを抱かれるようになり・・・・》
 
 《将来のお代替わり》といふ文言が登場する。
 
 なるほど、譲位も《お代替わり》には違ひないが、ここで言はれてゐる《お代替わり》とはもちろん譲位のことではない。天皇の御位のまま崩御としか受け取りやうがない。
 
 この文書を改めて読み返してみると、驚くべきことは、天皇はご自身が天皇の位のまま崩じて天皇としての喪儀が営まれるといふ前提で終始お話しされてゐることだ。
 
 「今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち」が発表されたのはわづか三年目のことである。
 
 をかしくはないだらうか? 私は素朴な疑問にとらはれる。
 
 なぜなら、この時すでに天皇は譲位の意思を固めてゐたからである。
 
 すでに譲位の意思を固めた天皇が、私が天皇として崩御した時には火葬にしてもらひ、天皇としての喪儀はこれこれにしてもらひたいといふメッセージを国民に発したのだ。 

 誠に不可解な天皇の御心と申し上げるしかない。
 
 (この項続く)





プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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