Category : 小保方晴子さんへの手紙
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■小保方晴子さんへの手紙(第十五信)

 黄兎錫事件が韓国の国家的恥辱となつた理由(わけ)





 冠省

 韓国の黄兎錫事件の続きを。

 韓国で2004年に勃発した黄兎錫のES細胞論文捏造・詐欺事件では、愛国的科学者、黄兎錫教授を守れというヒステリックな叫びが国中を覆ひ、韓国世論を興奮の坩堝に巻き込んだのでした。

 しかし、愛国的科学者の化けの皮がはがれて、黄兎錫は「世紀の大詐欺師」という評価が定まるに及んで、韓国の国家的恥辱として刻印されるに至つたのが黄兎錫事件です。

 それから10年、韓国の国家的恥辱事件に新たなページを付け加へたのが、今回の旅客船沈没事故といふことになります。

 下着姿でいちはやく船から脱出する船長の衝撃的な映像は、今は船長への非難高揚の具として利用されてゐますが、あの映像は韓国国民にとつての恥辱として永遠に記憶されるはずです。

 事故で犠牲になつた修学旅行生の學校は反日教育で有名な高校ださうですが、幾多の若き愛国者たちを死に至らしめた元凶が、コソ泥のやうに浅ましい姿で現場から逃走を図つたとあつては、韓国国民も救はれない気がします。

 同じ国家的恥辱事件といひながら、今回の事件はことが人の生死に関はる問題なので、例へば日本に対して、犠牲者に対する哀悼の意が足りないなどと難癖をつけて対外的鬱憤晴らしを忘れないところがいかにも韓国流です。
 
 10年前の国家的恥辱事件に戻ります。

 ソウル大学の黄兎錫教授は一体どのやうな不正を働いたのでせうか?

 問題になつた黄教授チームの論文は次の2本です。

 2004年2月 ヒトクローン胚からES細胞の抽出・培養に世界で初めて成功したと「サイエンス」誌に発表した論文。
 2005年5月 患者適応型のES細胞11個の作成に成功したと「サイエンス」誌に発表した論文。

 最初の論文が発表されると、韓国国民は狂喜して、黄兎錫教授は国民的英雄に祭りあげられ、ノーベル賞への期待が沸騰します。

 韓国科学技術部は、黄教授を韓国版ノーベル賞ともいふべき「最高科学者」の第1号に認定。ヒトクローン胚作製を記念した記念切手が発行され、大統領に準ずる警護がつけられ、小・中・高校の教科書に登場し、黄教授の関与するプロジェクトには莫大な予算が投入され・・・・要するに黄教授には韓国国内で享受しうる最高の栄誉と待遇が与へられたわけです。

 疑惑の発端は、「ネイチャー」誌が2004年5月に掲載した、卵子の出処に関する疑惑報道でした。

 韓国国民の血を逆流させたのが、2005年11月に韓国文化放送 (MBC)が報道調査番組『PD手帳』で放映した「黄兎錫神話の卵子売買疑惑」です。国民的英雄への批判は許さないと韓国世論はMBCへの猛攻撃を開始し、スポンサーへの不買運動が繰り広げられ、スポンサーは次々に降板。結局、MBCは国民世論に屈服します。この時、世論に同調してMBC批判を展開したのが韓国のマスコミでした。

 黄教授の論文捏造の疑惑が次々に浮上してからも、「黄教授を守れ」「国益を守れ」といふ狂熱的な黄教授信者たちは、不正を追及する人々に襲ひかかります。

 最終的にソウル大学の調査委員会が論文の捏造を認定し、検察は詐欺、横領などの容疑で黄教授を起訴しますが、驚くのは、起訴されたあとも黄教授の不正を認めようとしない黄教授信者たちが多数存在したことです。捜査当局への抗議の自殺者まで現れました。 

 黄教授はES細胞の発表以前にも、乳牛「ヨンロンイ」のクローン、韓国牛「ジニ」のクローン、人の体細胞クローンの胚までの培養、BSE耐性クローン牛開発、などを相次いで発表して、生物学研究者として一定の名声を得てゐました。彼のマスコミ操作は天才的ともいへるものでした。マスコミを集めて新発見を大々的にぶち上げ、追試への疑問が出されたりすると、次の新発見を発表するといふ具合に、マスコミに話題を次々に繰り出してゆくのです。しかし、まともな論文は1本もなく、政治家、役人、マスコミの接待ばかりして、一体この人はいつ研究してゐるのだらうと周囲では訝つてゐたさうです。

 捜査の過程で明らかになつた黄兎錫の詐欺的手口は、研究費のかなりの部分を政治家や官僚にばらまいて彼らを手なずけ、さらなる研究費を手に入れるといふものでした。

 ジャーナリストに自分名義のクレジットカードを渡して高級バーで遊ばせる、政治家の後援会や冠婚葬祭にマメに出席してカネを包むといふ常習的手口から、青瓦台に接近して、大統領補佐官に巨額の賄賂を贈るといふ高度の手口まで駆使して、政府と民間から膨大な研究費や支援金をかき集めることに成功したのです。
 
 黄兎錫事件を特徴づけてゐるのが、不正の規模もさることながら、韓国世論とマスコミの反応です。

 詐欺師とマスコミとの関係、詐欺師と世論との関係については、『国家を騙した科学者』の著者(李成柱)が次のやうに分析してくれてゐます。

《彼は詐欺師の最大の武器である「華麗な言辞」を駆使して自分の研究領域を反証不可能な聖域にした。愛国心と国益に武装された彼のイデオロギーは、マスコミが大衆の要求と結びつけて強固なものとなった。彼の研究成果に対する検証は愛国と国益に反することになってしまったのだ》

《黄教授は1990年代の中頃からマスコミを利用しだした。マスコミは特に意識したわけではなかったが、黄教授の好イメージを伝え続けた。嘘みたな話に飛びついて騙された記者も多かった。その繰り返しによってイメージは次第に膨れ上がり、いつの頃かイメージそのものが一人歩きを始めた。そのイメージに、記憶力が悪い韓国のマスコミがと政治家が騙された。当然のことながら国民も騙された》

《黄兎錫教授事件では集団ヒステリーが偶像崇拝の形で現れたともいえる》

《2004年に『サイエンス』に論文を発表して聖域となった黄教授に『PD手帳』が反旗を翻すまでは、少しでも黄教授を批判すれば社会から村八部のされる雰囲気があった。・・・批判発言をした一部の科学者がリンチ同然の扱いを受けていたとき、知らぬふりを決め込んでいたのは、ほかならぬマスコミだった。》

 著者が最後に指摘してゐるのは、科学の詐欺師に対するこの国の寛大さ、といふことです。

《私が関心を持ったのは、黄教授が行った詐欺の実態より、事件を契機に浮かび上がった二十一世紀初めの韓国という国そのものにあった。実に残念なことだが、韓国は精神的に病んでいたと言わざるを得ない。どの国にも詐欺師はいる。科学だからといって例外ではない。しかし、科学の詐欺師にこれほどまでに寛大で、誰もが憐憫の情をいだく国が、はたして健全な社会といえるだろうか》

 STAP論文事件で日本にも、小保方さんは日本の恥だと息巻く人もなくはないが、さういふ人たちも愛国心やナショナリズムとさほど縁があるやうには見えません。愛国心やナショナリズムとは無縁といふ意味では、小保方さんを擁護する人たちも同じです。

 小保方さんを黄兎錫に比する人たちは、『国家を騙した科学者』をよく読んで、黄兎錫の悪党ぶりと、彼我の国情の違ひをこの際学習するのがよいかと思はれます。

 ではまた。

                             怱々 


 平成二十六年四月三十日


小保方晴子様

                        千葉展正         



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■小保方晴子さんへの手紙(第十四信)

 韓国的な余りにも韓国的な黄兎錫・ES細胞論文捏造事件




 冠省

 先のお手紙に黄兎錫・ソウル大学教授のES細胞論文捏造事件のことに少し触れましたが、今日はこの事件についての管見を述べたいと思ひます。

 韓国では旅客船転覆事故が継続中ですが、事故が起きてからの政府の対応、政府要人の行動、マスコミの論調などをみるといかにも韓国的です。大火災も大海難事故もこの国で発生すると、みんな韓国的色彩を帯びてしまふ。

 黄兎錫・ソウル大学教授のES細胞論文捏造事件もいかにも韓国的な事件です。韓国以外では起こりえない事件、韓国人の愛国心と密接に結びついた事件、愛国的集団ヒステリーが荒れ狂つた事件、それがES細胞論文捏造事件の正体です。韓国人のナショナリズム抜きにこの事件を語ることはできない。

 日本で小保方さんのSTAP細胞論文不正事件が発覚した時、韓国には「日本版黄兎錫事件」と呼んだマスコミもありました。日本でも同じやうな事件が起きたぢやないか、と韓国のマスコミが大喜びしたことは想像に難くない。いつもの韓国のマスコミならSTAP論文不正事件を大々的に追跡するところですが、最近はどうやら「日本版黄兎錫事件」説は韓国マスコミ界でも低調になつてゐるらしい。

 その理由について、ある日本の三流マスコミ(ライターの頭が三流といふ意味です)は、韓国には小保方さんを韓国にスカウトして、再生医学で世界のトップを走る日本を見返してやらうといふ動きがある。そのために、STAP論文事件への批判的報道を控へてゐるのだ、ともつともらしく解説してゐる。幼稚な分析もあつたものです。

 韓国のマスコミが、STAP論文不正事件を「日本版黄兎錫事件」と呼ぶのを控へ始めたのは、私見によれば、STAP論文不正事件がその後の進展で、黄兎錫事件とは似ても似つかぬことが韓国のマスコミにも判つてきたからです。STAP論文不正事件で日本はあんなに騒いでゐるけど、黄兎錫事件に比べれば、大したことないではないか、と当初の喝采が失望に変はつてしまつた。ここで下手に「日本版黄兎錫事件」などと叫んだりしたら、韓国人の間に逆に黄兎錫事件の悪夢を呼び覚ましかねない。それほど韓国にとつて国家的汚辱だつたのですね、黄兎錫事件は。

 私はこの手紙のはじめの方で、小保方さんは「世紀の大詐欺師ではなかつた」云々と申し上げましたが、その時私の念頭にあつた「世紀の大詐欺師」とは黄兎錫でした。

 詐欺、 横領、生命倫理法違反―これが黄兎錫が起訴された罪状です。

 日本でも、小保方さん憎悪に凝り固まつた人間の中には、STAP事件は黄兎錫事件と同じだと叫ぶ手合ひが少なからず存在しすが、彼らは最終的に小保方さんが刑法の詐欺罪で検察から起訴されるとでも期待してゐるのでせうか?

 理研の調査で不正が認定されれば、研究費の一部返還といふ可能性もあるかもしれない。でもそれはあくまで理研の内規によつて、です。

 理研によれば、STAP研究チームの年間予算は1千万円ださうです。3年間で3千万円。

 元東亜日報記者の李成柱が書いた『国家を騙した科学者』によれば、黄兎錫教授チームが、政府及び民間から受け取つた研究費・資金は7年間で1千億ウォン(百億円)を超えるさうです。

 STAP事件と黄兎錫事件は同じだと言ひつのる人たちの頭を疑ひます。

 馬鹿はどこの国にもゐるものですね。
 
 黄兎錫事件の続きは改めて次便で。

                     怱々




   平成二十六年四月二十三日


小保方晴子様

                        千葉展正         


 ■小保方晴子さんへの手紙(第十三信)

 小保方さんにとつてプラス100の価値があつた笹井会見




 冠省

 笹井さんの記者会見についての愚見の続きです。

 まず、記者会見余話から。 

 記者会見で集中砲火を浴びた笹井さんにとつて、ラッキーだつたことがひとつだけあるかもしれません。それは韓国で旅客船転覆といふ大惨事が起きたこと。ために、15日夜のテレビニュースは旅客船事故がトップニュース、笹井さんの会見は二番手に格下げになつてしまひました。

 今日(16日)の朝のワイドショーなんかも、頭はやっぱり旅客船事故。新聞の朝刊も、一面トップはほとんどが旅客船事故でした。全国紙で笹井会見を一面トップで扱つたのは産経新聞のみ。リケジョが好きなこの新聞は、STAP論文に肩入れしすぎて、軌道修正の必要性に迫られ、笹井会見をその好機とみてゐたのでせう。紙面づくりにもアリバイ努力のあとがありありです。

 今の笹井さんにとつて、STAP論文問題がマスコミに騒がれること自体が苦痛で、況してや自分の記者会見においておや。韓国で起きた旅客船転覆事故が笹井さんにとつてラッキーだつたなんて言へば、あの興奮しやすい国民を逆上させかねませんが、もちろん笹井さん御自身が事故を歓迎したなんて言つてゐるわけではありません。私の客観的分析です。

 それでは、笹井さん会見に関する分析を少し。

 笹井さんは、自分の役割が限定されてゐることを強調するあまり、結構とんでもないことを仰しやつてゐる。

 例へば、自分は最後の2か月間参加しただけ、といふご説明。

 この方、たつた2か月アドバイザーとして仕事をしただけで、論文のコレスポンディングオーサーの地位を獲得し、研究貢献三羽烏(小保方さん、若山さん、笹井さん)として記者発表の雛壇に並び、あわよくばノーベル賞共同受賞者の栄に浴するつもりだつたのせうか?

 笹井さんの会見で、一番傷ついたのは若山教授ではないでせうか。

 若山研究室の段階で多くのデータが実験ごとの図表にまとまつてゐた。自分は若山さんがチェックしたといふ前提で見てゐた。研究室の主宰者は管理責任が生じる―といふ発言。不正を見抜けなかつた直接責任は若山さん、自分は間接責任。言ひ方を変へると、小保方さんに騙されたのは、若山さんといふことになる。

 小保方さんとの「不適切な関係」を追及された時、持ち出したのがバカンティ教授です。STAP研究に関する情報を秘匿したのはバカンティ教授の意向が強く、その許可なしに情報を広げることが難しかつた、特に研究の根幹に関はる問題については、と。

 記者から、「でも、研究の根幹ともいへる酸処理は理研に来てからではないか」と突つ込まれると、笹井さんは、小保方さんの雇用はバカンティ教授の直接雇用で、バカンティ教授はラストオーサーとして情報管理した、などと逃げてゐる。小保方さんの身分は、理研とハーバードの間で非常に複雑とも語つてゐます。
(バカンティ教授―小保方ラインのことは、私も分からない部分が多くて、小保方さんにしてもその内実はあまり触れられたくないのでは)

 笹井さんの会見は失敗だつたといふ人がゐます。なるほど、笹井さんにとつては失敗といふ見方もできるかもしれない(自分に対する評価を上げることを記者会見の成功といふなら、笹井さんには退職表明でもする以外にその手だてはなかつたでせうが)

 では、笹井さんの会見は、小保方さんにとつて、プラスだつたのか、マイナスだつたのか?

 小保方さんがどうお考へか知りませんが、私はプラスだつたと思ひます。プラスどころではない、マイナス100からプラス100くらゐに転じたのではないか。

 STAP論文不正問題が、論文2か所の捏造・改竄を認定し、あなたが処分されたところで幕引きされてゐたら、どうなつたか?

 小保方さんがES細胞かなんかを使つてSTAP細胞を捏造したんだ、STAP細胞はやつぱりなかつたんだ、と誰しも受けとめ、世界中の研究者たちもさう考へたはずです。韓国のES細胞論文捏造事件の黄兎錫みたいに(この男こそ私が言ふところの「世紀の大詐欺師」です)。これは小保方さんにとつて耐え難いことだつた。

 しかし、笹井さんは会見で、
「STAP現象を前提にしないと容易に説明できないデータがある」
「STAP現象は、ES細胞の混入では説明できないことが非常に多い」
「反証仮説として説得力が高いものは見いだしてゐない」
「STAPは存在しないと思ふなら共著者になつてゐない」
「STAP現象は検証するに値する有望な現象」
「再現に成功した第三者は研究所内でも少なくとも発表前に1人、発表後にも1人ゐる」
等々、と証言してくれたわけです。

 笹井さんは、ES細胞との再生医学の世界的権威の一人です。その方から、STAP現象(笹井さんはSTAP現象とSTAP細胞は同義と言ひながら現象と細胞といふ言葉を慎重に使ひ分けてをられますが)についてこれだけの証言が引き出された。再現に成功した第三者が存在するといふあなたの発言も裏付けられた。

 小保方さんがひとりでSTAP細胞を捏造したんだ、で終はつてしまつたのとは途轍もない違ひです。少なくとも、小保方さんがひとりでSTAP細胞を捏造したといふ疑惑は、笹井会見によつて払拭されたと言へます。

 STAP細胞の存在を疑ふ人たちは、満足な実験ノートもない、データも残つてないではないかといふ。その批判は、小保方さんにもあてはまるが、笹井さんにもあてはまる。

 実験ノートもない、データもないといふ状況で、笹井さんもSTAP細胞の存在を信じてゐるといふなら、ES細胞・再生医学の世界的権威もあなたと同じレベルでSTAP細胞の存在を信じてゐることになる。それはそれで結構ではないですか。世界的権威とあなたは同じレベルにあるといふことなのですから。

 ではまた。
                      怱々


 平成二十六年四月十七日
                      千葉展正
   
小保方晴子様
                       
                        
 






■小保方晴子さんへの手紙(第十二信)


 どうせ理研に切られる運命なのに・・・
 笹井さんの弁明会見に思ふこと



 冠省

 本日行はれた笹井さんの記者会見についての愚見を。

 笹井さんの会見、話された内容は別にして、イメージからすると、先般の小保方さんの記者会見が花形役者の舞台なら、失礼ながら笹井さんの舞台は何だか裏方が舞台に上がつてきたやうな・・・。

 週刊誌は笹井さんのことを「黒幕」と呼んできましたが、黒幕にしては悪どさも迫力も欠けてゐて、ケビン・コスナーにしても、あんまり颯爽としたところもなくて、やつぱりこの人はよくも悪くも学者なんだなあと思つてしまひました。

 今日の笹井さんの会見を日本中で一番注視してゐたのはもちろん小保方さんです。私は会見中継のメモをとりながら、この笹井さんの発言を小保方さんはどう受けとめるだらう、と考へながら観てをりました。

 あなたからみると、笹井さんの説明にはウソや言ひ逃れが無数にあることは想像に難くありません(あなたと笹井さんの「共通のウソ」の話は別にして)。「この発言だけは絶対許せない」とあなたが目を釣り合上げる場面があつたかどうか。

 笹井さんの立場は微妙です。今日の会見は事実上理研がお膳立てしたらしく、笹井さん御自身もふだんはつけてゐない理研のバッジをつけて理研の一員であることを強調してゐました。配布資料も発言も事前に理研側とすりあはせが行はれてゐたと思はれます。

 笹井さんの発言の70%くらゐは、理研の承認を得たもの、理研の見解と大差ないもの、もしくは理研の見解の代弁で、残る30%が理研への弁明、そんな気がします(あなたを刺激しないやうにといふ用心深い配慮は全体に貫徹してゐる)。理研にとつて笹井さんは被告人的立場でもあるので、笹井さんとすればこの際、理研に対しても弁明しておかなければならない。

 論文の作成過程を4段階に分けて自分が参画したのは4段階目(それ自体は事実でせう)とか、実験の主要部分は若山研究室で行はれた(これも半分事実でせう)とか、プロジェクト全体の中でのご自分の役割がいかに小さかつたかを事あるごとに強調してゐたのが印象的でしたが、すべて理研向けの釈明とみれば納得がゆきます。

 可哀想な笹井さん・・・。

 どのみち笹井さんは理研に切られることになるのに、と思ふと、憐憫の情さへ覚えつつ、私は彼の弁明を聞いてゐたのでした。

 愚見の続きは明日のお手紙で。

                      怱々


 平成二十六年四月十六日
                   千葉展正
   

小保方晴子様

                       
 




■小保方晴子さんへの手紙(第十一信)

 ヴィヴィアン・ウエストウッドに関する一考察


 冠省

 9日に開かれた小保方さんの記者会見の後、日本中の研究者があなたのSTAP細胞実験200回成功発言に憤激するのをよそに、あなたの髪型はどこのヘアサロンだの、メイクのテクニックはどうのと、小保方さんの美容・ファッションに対する追及は割烹着騒動を上回る狂態ぶりを呈して、小保方フィーバーは頂点に達した感があります。果ては、小保方さんの使つてゐるファウンデーションのメーカーは○○、頬紅は○○なんて詮索が開始されると考へると空恐ろしくなります。

 記者会見の際にの御服はやはりヴィヴィアン・ウエストウッドだつたのですね。結局、あなたは服にしろバッグにしろ指輪にしろヴィヴィアン・ウエストウッド一本槍らしい。

 高級ブランドとは言ひながら、ヴィヴィアン・ウエストウッドは日本ではルイ・ヴィトンやグッチに比べると知名度において格段に劣るやうですが(私は名前も知りませんでした)、第一次(1月)第二次(4月)小保方効果が、ヴィヴィアン・ウエストウッドの知名度を飛躍的に上昇せしめたことは確実と思はれます。同社の売上げは一体、いくら伸びたものやら。ヴィヴィアン・ウエストウッド社はあなたに感謝状を200枚くらゐ贈るべきでせう。

 人のことは言へません。実は不肖も先般、ヴィヴィアン・ウエストウッドを買ひ求めようとしたことがあつたのです。女性用ハンカチを買はうと思つて(実は娘の就職祝ひです)デパートに行つたら、目に飛び込んできたのがヴィヴィアン・ウエストウッドのコーナー。この際、小保方さんにちなんでヴィヴィアン・ウエストウッドもいいなと選び始めるや、目が三角になりました。けばけばしい色、奇怪なデザイン。どれもこれも宇宙船みたいな絵柄が入つてゐて、宇宙船がないのもそれなりにどぎつくて、「女の新入社員がこんなハンカチを取り出したら、会社の人に笑はれやしまいか」と不安がよぎり、結局購入を断念。ヴィヴィアン・ウエストウッドの初購入体験は失敗に終はりましたが。

 女性のブランド商品には至つて疎い私ですが、世界的ブランドが確立されるまでのブランド・ストーリーとか、ブランドをつくつた人物の生き方だとかには限りなく興味をそそられるので、ヴィヴィアン・ウエストウッドのことも調べてみました。驚愕しました。この大英帝国勲章を受章した世界的デザイナーは、正しく怪女です。

 今年御年73歳。彼女の71歳の時のヌードにネット上で遭遇して、危うく目がつぶれさうになりました。黄色に近い金髪、どぎつい化粧、真つ赤な口紅。この顔が笑つたヌードといつたら、ちよつと形容の言葉がありません。

 「パンクの女王」、ロック、セックスピストルズ、「アバンギャルドの女王」「伝統をもって未来をつくる」―これがヴィヴィアン・ウエストウッドのブランド・ヒストリーのキーワードのやうです。

 無政府主義団体に所属するパートナー、マルコム・マクラーレンとともにロンドンのキングスロードにブティックを構へたのが1971年、30歳の時。2年後に店名を「SEX」に変更。ここで二人がプロデュースしたのがパンクロックバンド「セックスピストルズ」。バンドに着せた過激なパンクファッションが若者から爆発的な支持を受け、「パンクの女王」の異名をとることになりました。
 
 やがて、マルコムのアドバイスもあつてヨーロッパの伝統にも目を向け始め、反逆性にエレガンスを加味したアバンギャルドなデザインに方向転換を図つて、デザイナーとしての名声を確立。1982年にはパリコレクションにも進出し、このあたりから世界的ブランドへの飛翔が始まり、今日に至ります。日本進出は1996年、日比谷の旗艦店が始まりでした(今の旗艦店は青山にある由)。

 ヴィヴィアン・ウエストウッドの歴史を読むと、デザイナーとしての卓抜な才能と、女性部門のラインを分割したりメンズラインやカジュアルラインを新設したりと事業化としての才能に加へ、奇抜な服装で現れたり人を驚かすやうな発言(その中には英国王族の服装批判なんてのもありますが)をしたりしたりして、ヴィヴィアン・ウエストウッド自身がブランドの広告塔になつてゐることがよく理解できました。71歳のヌードはあんまり感心できませんが。

 それから彼女の人生で気がつくのが、男性の存在です。

 1963年、21歳の時、デレク・ウエストウッドと結婚(ブランド名でもあるウエストウッドは最初の夫の姓でした)。3年後に離婚し、ほどなくマルコム・マクラーレンとパートナーシップの関係に入りました。

 マルコムは仕事上のパートナーでもあり、この関係が以後18年間続いて、デザイナーとしての基礎が築かれたのがこの時期です。

 マルコムとの公私のパートナーシップ関係を解消したのが1983年。その翌年、新たなパートナー、カルロ・ダマリオとイタリアに移り住みます。
 
 カルロと別れた時期ははつきりしませんが、1996年には、25歳年下のアンドレアス・クロンターラーと結婚。彼女が一時大学教授をしてゐた時代の教へ子で、結婚後、仕事上のパートナーにもなりました(今はアンドレアスがクリエイテイブディレクイター、メインディレクイターがヴィヴィアンといふ役割分担のやうです)。

 ヴィヴィアン・ウエストウッドには、21歳で結婚して以来、73歳の今日まで、ほぼ切れ目なく、男性の存在があつたことが分かります。

 ブランド創始者と男性遍歴といふ話になると、私が頭に浮かべるのがココ・シャネルです。シャネルの5番のあのシャネル。

 大勢の男たちがココの生涯を通りすぎます。

 田舎で歌手を目指して頃から交際し、ココをパリに連れて行つた将校のエティエンヌ・バルサン。

 次の恋人が、ココが生涯で最も愛したといはれる実業家アーサー・カペル。1910年、彼の資金でカンボン通りに開店したシャネル帽子店がシャネルのスタートとなります。

 カペルとの仲は10年ほど続きますが、カペルの結婚で破綻。のちに再会して、二人が結婚を考へ始めた頃、カペルが交通事故で急死。

 サロンに出入りするやうになり、そこで知り合つたストラヴィンスキー、ジャン・コクトー、ロシアのディミトリー大公らと次々に交際。恋人のディミトリー大公から有名な調香師エルネスト・ボーボーを紹介されことが、香水の世界に進出するきつかけとなります。

 このあと、イギリスのウェストミンスター公と6年ほど交際。彼からプレゼントされた宝石類に触発されてジュエリーを製作するやうになります。

 50歳の時、ポール・イリブといふデザイナーと愛人関係になりますが、ココと一緒にテニスをしてゐた時、心臓発作で急死。

 60歳の時、30歳年下のドイツ人、スパッツとの恋が始まります。ココの最後の恋人。スパッツがドイツの情報機関に属してゐたことから、ココはスイスに亡命。敵国の男を愛した女としてフランス人は戦後もココを許さず、彼女は長い間沈黙を余儀なくされますが、1954年に活動を再開。最終的にシャネルブランドは世界制覇に成功したのでした。

 ココと数多の男たちとのドラマを読むと、あまりの波瀾万丈ぶりに圧倒されて頭がクラクラするほどです。

 さて、ヴィヴィアン・ウエストウッドとココ・シャネルのことを縷々綴りましたが、小保方さんは別にデザイナーの人生などには関心はなくて、ただヴィヴィアン・ウエストウッドのデザインが好きだから愛用されてゐるのかもしれません。

 あなたが恋多き女性かどうか存じませんが、私はヴィヴィアン・ウエストウッドやココ・シャネルの奔放な男性遍歴を振り返ると、今日本中のマスコミが血眼になつて追ひかけ回してゐるあなたのスキャンダルなんか、結局職場における単なる男女関係の問題にすぎないんじやないの、といふ意見をつぶやきたくもなるのです。

 日本の至るところの職場で発生してゐるであらう男女関係(愛憎どちらにせよ)。それとなんら変はるところはない。ただそれが、「ノーベル賞級の大発見」絡みの話だつたために、話がとんでもなく大きくなつてしまつた。

 「ノーベル賞級の大発見」といふ誇大広告を打ち上げてしまつたのは、もう一方の当事者であるあの方(小保方劇場第二幕にあす初登場なさるさうですが)御自身なのですけれども。
 
 職場の火遊び(失礼)のつもりがこんな騒動に発展してしまつて、正直、私は同じ男として、あの方を気の毒に思はぬでもありません。なんて言ふと、あなたに怒られるかな。

 ではまた。
                      怱々


 平成二十六年四月十五日
                       千葉展正 
 

小保方晴子様

                       

追伸

ヴィヴィアン・ウエストウッドの自伝が今秋出版されるとのこと。是非読んでみたいですね。その時まであなたへの関心を持続してゐれば。





プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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