fc2ブログ
Category : 諸書再見
■諸書再見





 ▼戴季陶著『日本論』

  なぜ日本は強く中国は弱いのか?
  中国人が比較した日本と中国



 戴季陶の『日本論』は1928年(昭和3年)に上海で出版された。日本では戦前と戦後に何度か翻譯本が出てゐて、私が所持してゐるのは昭和47年発行の社会思想社版(現在絶版)である。

 日本でさほど注目されたことはなかつたけれど、今でも中国研究者の間では、中国人による日本人論では白眉の一冊と評価する声が高い。

 著者の戴季陶は十代で日本に留学し、帰国してジャーナリストとして活動してゐたころ、孫文の知遇を得て、孫文の三民主義に傾倒。孫文の秘書兼通訳となり、1925年に孫文が亡くなるまで孫文と行動を共にした人物である。

 辛亥革命後、孫文に従つて訪日し、日本要人との会見にも通訳として立ち合ひ、第二革命に失敗した孫文が日本に亡命した際も秘書として同道してゐる。孫文亡きあと、国民党右派の理論的指導者となり、1949年に広州で死去した。

 1927年に国民党から日本に派遣され、滞日中に執筆されたのが『日本論』である。
 戴季陶に『日本論』を書かせた動機は、当時の田中義一内閣の対中国政策にあつた。「中国を統一させぬ」ことが田中義一の対中政策の本質であると戴季陶は考へてゐた。のみならず、「革命によつて中国を統一させぬ」こと、「革命の領袖である中山先生(孫文)によつて統一させぬ」といふ田中内閣の方策は、孫文を崇拝する戴季陶にとつて我慢のならないものだつた。
 
 陸軍きつての中国通であつた田中義一とは「親しい友人」の関係にあつたけれど、日本の指導者となつた田中義一の大陸介入を批判する筆致は厳しい。「日中が提携すれば東半球の平和が保持できる」と孫文に説いた桂太郎の姿勢とはなんたる違ひであらうか、と痛憤するのである。

(日本人物論では田中義一と桂太郎のほかに、「孫文の友」である秋山真之に一章が割かれてゐて、「神憑り的予言者」秋山真之の描写はバルザックの短編小説のやうな趣がある。)

 『日本論』の特質は、日本の大陸政策を分析するのみならず、日本文明と日本人の国民性の解明に筆を費やしてゐるところにある。

 戴季陶は日本民族の倫理性を高く評価し、日本人の民族意識の根幹は武士道にあると見る。このあたりの分析は、欧米によつて書かれた多くの日本人に比して卓抜とはいへかもしれないが、中国人によつて書かれた日本論として興味がつきないのは、随所に出てくる中国人と日本人との比較にある。

 戴季陶はまず。中国人の日本に対する無関心ぶりを問題にする。

 戴季陶が日本に留学してゐたころ、中国人の友人たちは日本語や日本文の研究を嫌つた。かれらに聞いてみるとその理由は二つ、ひとつは「英語なら帰国してから役に立つが、日本語や日本文は役に立たない」、もうひとつは、「日本そのものには研究価値がない。なぜなら、中国やインドやヨーロッパから輸入したもの以外に何もないからだ」といふものだつた。前者は「実利主義」、後者は「自大思想」の弊に陥つてゐると戴季陶は慨嘆するのだ。
 
《 われわれ中国人は、ただ排斥と反対の一点張りで、研究はおろか、日本字は見るのもいや、日本語は聞くのもいや、これではまるで「思想における鎖国」「知識における義和団」も同然ではないか。》

 中国人と日本人の気風はどのやうに違ふか。

《 その違ひがもつとも甚だしい点は、日本人はどの面においても、中国人の晋朝人のやうに清談にふけつて一切の責任を負はない風や、六朝人のような軟弱、デカダンの悪風が見られないことである。》

 文明する享受する仕方はどうか?

《 日本民族の文明は、まだ歴史が浅い。封建制度が廃止されたのは、わずか六十年前のことである、それにもかかはらず、社会の文化は、中国よりはるかに進歩してゐる。》

《(中国においては)すぐれた理論、すぐれた制度があつても、中国に入つたとたん、まるで別物になつてしまふ。》

《 政治にたずさはる人間はろくすつぽ本も読まないか、たとへ読んだとしても、読んだ一句をすぐスローガンにして吐き出してしまふ連中ばかりだ。》

 中国においては、法律には人民の生活を保障する力がなく、政治には人民の行動を規制する力がない。

《 おまけに専制的な愚民政策ときてゐる。・・・民族の文化が日一日と野蛮の方向へ退化して行つたのは理の当然である。中国の礼教の長所が日本の社会に生かされ、礼教の腐つた、役に立たぬ惰力だけが中国に残されたのも、同じ理由からである。》

 日清戦争後、中国からには日本に留学生が押し寄せたものの、この日本ブームは一過性のものにすぎなかつた、と戴季陶はいふ。

《 中日戦争(日清戦争)後、とくに日露戦争から民国初年までは、東京の吸引力が頂点に達した時期である。全中国の青年は、日本維新の成功に魅せられ、日本に学ぶべく東京を目指した。日本留学は一つの流行となり、日本から帰れば難なく地位と金銭が保証された。かうなると、維新よりもこちらが魅力で、猫も杓子も東京へ行きたがる。最盛期には留学生三万にのぼつた。速成警察、速成師範、速成陸軍、何もかも「速成」で、東京に行きさえすれば、金と地位を手に入れる術をたやすく修得できたのである。だが欧州大戦後、空気は一変した。》

 ロシア革命の勃発とともに、日本ブームは共産主義ブームにとつてかはられてしまつたのである。

《 さあ、今度はモスクワだ。速成の革命者たちには、地位と名誉と金銭が思ひのままにえ得られた。かくて速成革命政治家、速成革命理論家、速成革命軍人の輩が町にも村にもあふれた。この流行病は、十五年前の東京熱と丁度見合つてゐた。》

《 五年にわたる大戦が中国青年をめざめさせた。突如としてロシアに労農革命が起こり、なにをおいてもマルクス主義に、ついでレーニン主義に走らせた。ロシアの野蛮専制を軽蔑する心理は一転して革命成功を崇拝する心理となり、圧迫に反抗する心理は援助受け入れの心理へと変はつた。》

 このあたりは、共産主義を嫌悪した国民党右派の重鎮だつた著者の見方がよくあらはれてゐる。

 第一次大戦とロシア革命の後、アジア政治の中心は東京とモスクワになつた。ところが中国は「世界の中心どころか、全国の中心さえつくり出すことができない」始末ではないか。

《 ここ十数年、中国の政治的変動はことごとく東京の出方によつて影響を受けてゐるのだ。最近七十年の東方の歴史は、前半が日本のロシアに対する臥薪嘗胆の生存闘争史。後半が日露両国の中国における争覇史であつた。そして大戦後は、両国の新しい争覇時代に入つた。》

 そのやうな状況にあつて、中国はどのやうに動いてゐるか。

《 東京に就くか、でなければモスクワに就くか、といつた意気地のないのが中国人の心理である。これぞみずから衰亡を招くものだ。》

 民族の生命とつて肝要なのは統一性と独立性であり、その統一性と独立性を育てるのに最も肝要なのが民族の自信である。しかるに、今の中国には統一性も独立性も自信もないではないか。

《 統一性と独立性ぬきの運動は、社会の各階級、各組織に、無自覚な破壊を生じさせ、止まるところがなくなる。自らの「動力」を失つた社会はいかなる制度も建設できない。日本民族の強、中国民族の弱、この強弱を分けたのは、まさにこの点である。》

《 あらゆる外からの勢力が、中国に侵入し、中国の民衆を圧迫し、中国の政局をかき乱し、中国の社会を混乱させたのも、その根本原因は、外にではなく内にある。》

 蒋介石による北伐が頓挫したのはなぜか。

《 今回の北伐戦争にしても。長江どまりで総崩れになつたのはなぜであらうか。もちろん、イギリス、日本、および共産党からの三大圧迫も失敗の原因であるが、それよりも腐敗堕落した社会を矯正できず、打算的な因襲を破れなかつたわれわれの弱点の方がもつと大きい。》

 戴季陶も、自国民と比較して日本人を誉めてゐるばかりではない。彼は日本社会に根本的な変化が起きてゐることに気がついてゐた。関東大震災の後、人心は大きく変化したと戴季陶は指摘する。

《 社会人心が日ましに「不平和」の方向へ悪化していくにつれ、尚武の精神も次第に消え失せていつた。・・・どの階級もことごとく打算的な商業心理、日本人のいはゆる「商人根性」に支配されてゐる。》

 日本の政治指導者たちの質も低下したといふ。

《 いまの日本は、政府の大臣であれ政党の領袖であれ、すべての政治担当者が、その日ぐらしの無気力、無意志、無計画の凡庸政客ばかりである。政権の獲得と保持だけに日夜汲々としており、日本民族の将来も、世界の将来も、かれらの念頭にはないのだ。このやうに政治の人材の払底してゐる日本は、前途は甚だ危険である。》

 戴季陶は国共内戦がほぼ終結した1949年2月に没し、その八カ月後に、中華人民共和国が成立した。

 今、戴季陶の『日本論』を読むと、中国人は当時も今もあまり変はつてゐないのではないかといふ気がする。「ただ排斥と反対の一点張り」なところ。今日本には大挙して中国人留学生が押し寄せてゐるけれど、かれらの目的は日本を知ることでも日本を研究することでもないといふ「実利主義」、そしてかれらが抱いてゐる潜在的な「自大思想」。

 汚職が蔓延する(といふより汚職が共産党支配構造の中に組み込まれてゐる)今の中国社会は戴季陶が嘆いた「腐敗堕落」した1920年代の中国社会そのままではないか。

 著者はことさら自国民の弱点をあげつらふために本書を執筆したのではない。「中国人はもつと真剣に日本研究に関心を向けるべきだ」「日本に反対し、日本を排斥するのも結構だが、そのためにはまず日本を知らなくてはならない」といふ思ひから書かれたものだ。しかし、日本と日本人のことを知るにつけ、自国民の不甲斐なさが思ひやられ、それを語らざるにはゐられなくなる。そんな印象を受ける。日中戦争がはじまる前に、中国人が自国民の弱点をこれほど率直に語つた書物はない。その意味で本書は貴重なのである。この本は国民党右派の代表的論客によつて書かれたものであるから、当然ながら大陸中国で出版されたことはない。


 
スポンサーサイト



リンク
三島由紀夫「女系天皇容認」説の陰謀を暴く
「売文業者」渡部昇一の嘘八百を斬る
安倍政権が残した「負の遺産」
「富田メモ」と捏造された「スクープ」
天皇を喰ひ物にした侍従長
天皇と宮内庁の「背信」
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト・評論家。皇室問題やフェミニズム問題に取り組む。三島由紀夫研究家。國語問題研究家。


フェミニズム論の著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

皇室関連の著作としては『天皇を喰ひ物にした侍従長』『天皇と宮内庁の「背信」』など。

執筆には正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を使用、当ブログも正仮名遣ひを用ゐる。

amazon
Irreversible Damage
大衆の狂気
暴走するジェンダーフリー
ポリコレの正体
SDGsの不都合な真実
左翼リベラルに破壊され続けるアメリカの現実
日本を守る沖縄の戦い
領土消失 規制なき外国人の土地買収
爆買いされる日本の領土
誰が第二次世界大戦を起こしたのか: フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く
移民 難民 ドイツ・ヨーロッパの現実2011-2019
それでもバカとは戦え
令和への伝言
男と女の戦争
私の国語教室
断腸亭日乗
中谷宇吉郎随筆集
牧野富太郎自叙伝