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Category : 福田恆存
■福田恆存―孤高の精神





  ▼司馬遼太郎の乃木将軍愚将論を批判した福田恆存
 



 評論家の福田恆存は、「歴史と人物」昭和四十五年十一月号に「乃木将軍は軍神か愚将か」(単行本化の際に「乃木将軍と旅順攻防戦」と改題)といふ文章を寄稿した。

 福田恆存は、乃木将軍を稀代の愚将のやうに描く司馬遼太郎の『殉死』と福岡徹の『軍神』を読んで憤りを発して筆をとり、「乃木将軍は軍神か愚将か」を書いたのであつた。この原稿が発表されたのは、司馬が三島事件に関する所見を毎日新聞に寄稿した前月のことだつた。

 『殉死』は、司馬遼太郎が昭和四十二年に雑誌に発表した「要塞」と「腹を切ること」を一本にまとめ、同年単行本として刊行されたものである。

 『殉死』には、乃木希典の軍人としての無能さを強調する文言に満ちてゐる。

 「・・なぜ、これだけの大要塞の攻撃にこのような無能な軍人をさしむけたのか・・・」
 「精神主義は多くは無能な者の隠れ蓑であることが多いが、乃木希典のばあいには、そういう作為はない。しかしながら歴史の高みからみれば、結果としてはそれと多少似たものになっている。」

 「(ドイツ留学中)乃木はおもに服装と容儀に関心をもちつづけた。・・・いつのほどからか、乃木の調査は戦術戦略よりもむしろそのことに重点がおかれた。」

 「この独逸留学中、その生涯で唯一というべき近代戦術の習得の機会において、要塞と要塞攻撃に関する研究はなかったようであった。」

「乃木希典は近代要塞に関する専門知識を示さなかったし、示すほどの知識はこの精神家にはなかったようにおもわれる。」

 「乃木が参加した最初の戦争は西南の役であったが、この戦争では、一戦場での死傷は桁が十であった。・・・その記憶がつねに物事を発想する要素になっているのであろう。」
「・・・児玉にとって乃木ほど無能で手のかかる朋輩はなく、ときにはそのあまりの無能さゆえに殺したいほどに腹立たしかったが・・・」

 司馬の乃木愚将論に対して、福田恆存は「私も将軍を智将とは思はない」としながらも、旅順攻防戦における将軍の行動を調べた限りでは「将軍を愚将と呼ぶ事は出来ない」と述べ、司馬らの旅順攻防戦観について四つの疑問点をあげてゐる。

 第一。旅順攻防戦を戦略の失敗としか見做してゐないこと。

 第二。それが乃木将軍を司令官とする第三軍の独善と無能によるといふ断定。

 第三。第三軍が、堅固な永久要塞がめぐらされてゐる東北方面を主攻とした事に対する非難。

 第四。満州軍総司令部総参謀長の児玉大将が、主功方面を転換せしめ、自から南下して、二〇三高地を攻め落とし、旅順港内の敵艦を撃滅して、漸く旅順要塞は陥落したといふ見方。

 これらの見解について、福田は事実を挙げて逐一論駁した。

 例へば、

・旅順要塞の攻略自体、大本営も総司令部も当初はその必要を考へてゐなかつた。

・大本営は旅順要塞の堅固さも理解してゐなかつた。

・第三軍は強大な旅順要塞を攻め落とした後、沙河、遼陽の会戦に参加するといふ二重三重の役割を担はされてゐた。

・バルチック艦隊の来航予測について海軍側の大きな誤算があり、これが第三軍の総攻撃を急がせた。

・第三軍は肉弾を欲したのではなく砲弾を欲したがこの要求は退けられた。主攻方面を西方方面にとるといふ考へは大本営にも満洲総軍にも第三軍にもあり、二説に分裂してゐた。

・はじめから主攻を西方方面に選んでゐたとしても、二〇三高地は簡単にはとれなかつた。二〇三高地はとれても要塞は容易には陥落しなかった。

 乃木将軍愚将論に象徴されるやうな歴史の見方を、福田恆存は「合鍵を持つた歴史観」と呼んだ。後世の人間は戦争の帰趨を知つてゐる。結果を知つた人間が戦争の是非を論ずるのはやさしい。これが「合鍵を持つた歴史観」である。

 歴史を現在の「見える目」で裁いてはならぬ、歴史家は当事者と同じ「見えぬ目」を持たねばならない、と福田恆存はいふ。

 福田がこのやうに 『殉死』を厳しく批判を加へたころ、司馬遼太郎は産経新聞に『坂の上の雲』を連載してゐた。『坂の上の雲』で司馬は『殉死』より過激で露骨な乃木将軍愚将論を展開してゐた。

 福田論文が端緒となり、『坂の上の雲』に対する本格的な批判が出始めたのは昭和五十年年代後半になつてからである。『坂の上の雲』がいかに独断偏見に満ち、事実を捻じ曲げてゐるか。それを指摘する著作が次々にあらはれた。

 NHKは『坂の上の雲』を「是非大河ドラマに」と司馬遼太郎にたびたび持ち掛けた。しかし、司馬は結局首をタテにふらなかつた。少なからぬ人々は、この事実をもつて、晩年の司馬は『坂の上の雲』の欠陥を自認してゐた証左とみなしてゐる。












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 現行皇室典範の成り立ちを調べてゐたら、現行憲法の成り立ちも調べる必要に迫られ、憲法論を読みあさる中で福田恆存の「當用憲法論」も読み返す。

 この「當用憲法論」を私は一体何度読んだことだらう。振り返つてみるとこの数十年間、憲法のことを考へる時にはかならず「當用憲法論」読み返してきた。何度読んでも出色の憲法論だと思ふ。昭和四十年に書かれた文章がまつたく古びてゐない。日本国憲法論の本質を知りたければ、凡百の憲法論や憲法教科書を何十冊読むより福田恆存の「當用憲法論」一篇を読んだ方がいい。

 「當用憲法論」は、「憲法記念日」にNHKテレビの「憲法意識について」といふ座談会に出席した折の反応を枕にふり、あとは福田恆存流に緻密かつ大胆に日本国憲法の本質を迫つてゆくといつた趣の刺戟的な文章である。

 テレビの座談会に出席した折の反応といふのは、「改憲派」としての姿勢が鮮明でなかつたといふ、主として「改憲派」からの「誤解」で、これに対して氏はかう書く。《私はあの座談会に始めから冗談のつもりで出席したのです》。冗談も言へない憲法論議のタブーをは破つてやらうと思つて、《終始、冗談と皮肉で押し通したのです》。さうすることによつて、《平和憲法をタブーとし神聖視する人達を私と、それぞれの立つてゐる平面の相違を際立てようとしたのであり、私にとつて現憲法は戯画としか考へられないといふ私自身の真実を伝へようとしたのであります》

 現憲法は改正できない様に出来てゐると福田恆存はいふ。

 第九十六条には改正手続き条項が盛り込まれてゐるが、憲法前文に第九十六条を空文化してしまふ一節が用意されてゐる。「これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令、及び詔勅を排除する」と。かかる原理とは基本的人権、戦争放棄、主権在民を指す。

 欽定憲法は一見第七十三條の改定規定に従つて改定されたかに見えるが、《手続きさへ良ければ改訂の内容は如何様にも為し得るか》

 憲法の改定には限界があり、根本的条項には手をつけてはならぬ。そこまでいけば《もはや改定ではなく、革命と云はざるをえません》

 《独立国に非ざるものに、憲法を制定する権利も資格も有り得ない》《当時その事をはつきり口に出して反対した者は衆議院では六人しかをりませんでした。しかもそのうち四人までが共産党の議員であり、野坂参三氏などは第九条にも反対し、軍隊を持たぬ独立国は考へられぬとさへ言つてをります》

 なぜ現憲法を「當用憲法」と名付けたか? 《制定の経緯が當用漢字のそれと全く同じだから》である。

 當用漢字は保守派の国語学者、国文学者の手によつて提案されたもので、かれらは日本語のローマ字化を企図したアメリカに対抗する手段として當用漢字を勘案し、それ以上の漢字追放を阻止しようと考へた。当時、それに真つ向から反対したのは、後の国語審議会の主流派となつたローマ字論者や仮名文字論者だつた。かれらは、とにかく漢字といふものを残したらそれを前進基地としてふたたび漢字無制限時代がくると考へた。つまり、同じ制限漢字が保守派には吾が身を守る防波堤に見え、革新派には敵の前進基地に見えていた。

 しかし世の中が落ち着いて當用漢字に対する反対攻撃が始まると、その時は既に国語審議会の与党側に廻へてゐた仮名文字論者やローマ字論者の目には同じ當用漢字が漢字増加を食い止めるための防波堤に見えてきたのであり、またこれより後には引けない前進基地に見えてきた。

 《その点、国字問題と憲法問題とは全く同じ》だと、氏は言ふ。

 この「當用漢字」との比喩は卓抜であり、憲法問題を考へる上では今でも有効だと思ふ。

 《要するに、現行憲法は如何様にも改憲できる事を自ら範を示し、容認してゐるか、或は最初からその有効性の根拠がなく、飽くまで當座の用を為す當用憲法であるか、そのいづれかであります。が、前者を一度も認めたら、それこそ永久革命を認めるやうなもので、危険であるばかりでなく、憲法の権威は全く認められ難くなる。憲法そのものの権威が失はれるよりも、この際我々としては現行憲法の権威を否定する事によつて、憲法そのものの権威を守り、吾々の憲法意識を正常化するに若くはありますまい》《欽定憲法は決して死滅してをらず、理論上は生きているのです》

 このあと、「當用憲法」の英和条文を詳細に比較検討して、「當用憲法」は英文憲法の翻訳にすぎないことを明らかにした上で、《一日も早くこれを無効とし、廃棄する事にしようではありませんか》と結ぶのだ。

 「當用憲法論」は我が国で書かれた憲法論の中で最も明晰な憲法廃棄論である。







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tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト・評論家。皇室問題やフェミニズム問題に取り組む。三島由紀夫研究家。國語問題研究家。


フェミニズム論の著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

皇室関連の著作としては『天皇を喰ひ物にした侍従長』『天皇と宮内庁の「背信」』など。

執筆には正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を使用、当ブログも正仮名遣ひを用ゐる。

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