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◆「女帝と易姓革命―ナカツスメラミコトの物語」◆ (第1回)

 さて、これからしばらく「女帝と易姓革命―ナカツスメラミコトの物語」といふテーマで文章を書きたいと思ひます。古代日本の女帝はついには易姓革命の思想を生むに至つたといふ物語です。女帝のことを中天皇(ナカツスメラミコト)とも呼びますが、私のナカツスメラミコトの物語は神護景雲四年(770年)、称徳天皇の崩御をもつて幕を閉じます。日本に易姓革命が起きてゐたら今の天皇制度はないわけですが、易姓革命が起きる一歩手前のところで回避されたのです、称徳天皇の崩御によつて。

 我が国の女帝は、推古(在位592-628)皇極(642-645)斉明(655-661、皇極重祚)持統(称制686-689、在位690-697)元明(707-715)元正(715-724) 孝謙(749-758)称徳(764-770、孝謙重祚)明正(1629-1643)後桜町(1763-1770)と8代10女帝を数へます。しかし称徳天皇から860年あまり隔たつた江戸時代初期に明正天皇が即位された頃には、女帝は天皇であつて天皇ではない、つまり女性天皇は名前だけの天皇にすぎないといふことがほとんど日本人の一般認識になつてゐたやうに思はれます。

 このナカツスメラミコトの物語は、途中あつちこつちに寄り道をしながら書き進めるつもりですから、終幕にたどりつくまで多少時間がかかるかもしれません。そのつもりでお読み下さい。

 それにしても次から次によく出るものです。女帝・女性天皇を扱つた本のことです。『日本の女帝』『日本の女帝の物語』『女帝の日本古代史』『古代日本の女帝とキサキ』『暁の女帝推古』『鉄の女帝持統』『物語日本の女帝』『女帝と皇位の古代史』『女帝の国、日本』『可能性としての女帝』『女帝―古代日本裏面史』『女性天皇』『日本の女性天皇』『古代日本の女性天皇』『女性天皇論』『歴史で読み解く女性天皇』『女性天皇誕生の謎』・・・・・。最近も岩波新書から『女帝の古代日本』(吉村武彦著)といふ本が出版されました。
 
 これらの本が主張したいことはただひとつ、女帝は中継ぎ的存在ではなかつたといふことです。曰く、女帝は天皇として権力を行使した、女帝は実権を握つてゐた、女帝も執政能力は男性天皇に劣らなかつた、女帝も多くの政治的業績をあげた、等等。女帝礼賛の声に満ちてゐることに驚かされます。

 私はこれらの本の基底にあるものを、女帝皇国史観と呼んでゐます。皇国史観とは「大和朝廷の支配を美化し、日本全史を通じて天皇の絶対化と天皇家の省長を中心的事件とみなす史観」(角川『日本史辞典』)のことで、簡単に言へば天皇絶対主義史観のことですが、女帝はあれもやつたこれもやつたと、女帝を美化してやまないこれらの女帝本に共通する思想は、まさに女帝皇国史観と呼ぶしかないものです。これらの著者たちはもちろん皇国史観の持ち主ではありませんが、かれらは時流便乗者といふ点で戦前の皇国史観鼓吹者と実によく似てゐると思ひます。

 これらの本を読むと、だれしも不思議に思ふはずです。女帝の時代がそんなに素晴らしかつたのなら、なぜ女帝の時代はずつと続かつたのだらうか、と。なぜ女帝の時代は1300年も前に幕を閉じてしまつたのでせうか? それをあらためて追求しようといふのがこの「女帝と易姓革命―ナカツスメラミコトの物語」なのです。 









 
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◎『社会運動の戸惑い』再論

《「バックラッシュ」の退潮とフェミニズム》について

 山口智美・ 斉藤正美・荻上チキ著『社会運動の戸惑い』(勁草書房)に関して、もう一回書きたいと思ひます。

 本書の第1章には、バックラッシュ派・バックラッシャ―と呼ばれた人々がある時期を境にフェミニズムや男女共同参画の問題から離れていつた経緯を取り上げた《「バックラッシュ」の退潮とフェミニズム》といふ興味深い一項があります。

 なるほど、本書に登場する友人・知人などを見渡してしても、ジャーナリストの野村旗守氏や世界日報の鴨野守氏などは今はフェミニズム問題とは別のテーマを追つてゐます。不肖自身はといへば、このブログのタイトルを「男女共同参画天皇への道」とし名づけてゐるやうに、一貫してフェミニズムへの関心を持続ゐるつもりですが、しかし、メルマガ(反フェミニズム通信)はやめてしまつたし、「反フェミニズムサイト」もずつと前に閉鎖してしまひました。フェミニズムへの関心といふ点からいへば、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)を出した平成16年あたりがピークだつたやうです。今取り組んでゐる女系天皇・女性天皇問題も、一方では天皇・国体の関心から、一方ではフェミニズムへの関心から発したものですが、天皇論に取り組むには、国史そのものと格闘しなければならない。天皇の問題を本格的にやらうとすると、とてつもないエネルギーが必要となり、そんなことから、男女共同参画行政とかフェミニズム問題全般に取り組む余裕がなくなつてきた、といふのが正直なところです。

 自分のことは棚にあげて、「バックラッシュ」の動きを社会現象としてみると、ジェンダーフリー旋風が吹き荒れたので「バックラッシュ」が起き、ジェンダーフリー旋風が沈静化したので「バックラッシュ」の動きもおさまつたとしか言ひやうがありません。著者たちは、あの時のバックラッシュの参加者たちはなぜ急速に引いてしまつたのだらうと考へますが、たしかに、現今の保守派の運動にうつろいやすい側面があることは否めません。フェミニズムから原発、尖閣とテーマと変へてゐる人も珍しくありません。次々に新たなテーマに取り組む姿勢といへば聞こえはいいのですが、悪くいへば移り気で、ひとつのテーマへの関心が持続しない性癖といへなくもない。

 しかし、もつと本質的な部分で、保守派の運動とはもともとさうしたもの、といふ気持ちも私の中にあります。それはきつと、若いころから読んできた福田恆存の影響かもしれません。福田恆存は「私の保守主義観」といふ文章で次のやうに言ひます。

《保守派は眼前に改革主義の火の手があがるのを見て始めて自分が保守派であることに気づく。「敵」に攻撃されて始めて自分を敵視する「敵」の存在を確認する。武器の仕入れにかかるのはそれからである。したがつて、保守主義はイデオロギーとして最初から遅れをとつてゐる。改革主義にたいしてつねに後手を引くやうに宿命づけられてゐる。それは本来、消極的、反動的であるべきものであつて、積極的にその先回りをすべきではない。》(『常識に還れ』)

 この福田理論をフェニズムにあてはめれば、フェミニズム運動が起きてはじめて反フェミニズムの運動が起きるといふことになります。フェミニズムの運動が起きる前に、反フェミニズムの運動が起きることはない。ましてや、フェミニズム運動を事前に抑へこむための保守派の運動といふものもありえないといふことになります。

 バックラッシュとはよくも名づけたものです。backlash とは、反動・反発の意味です。車が急停車するとガクンと跳ね返りの動きが起きる。あの動きがbacklashです。車が静かに止まつてくれれば何事も起こらなかつたのに・・・・。『社会運動の戸惑い』の副題ではありませんが、フェミニズムと付き合つた十年間を私自身「失はれた時代」と思はないではありません。
  









 
■ 山口智美・ 斉藤正美・荻上チキ著『社会運動の戸惑い』(勁草書房)書評

 「バックラッシャー」を通じて問ひ直すフェミニズム


 『社会運動の戸惑い』(勁草書房)といふタイトルの、ちよつと風変はりな本が出版されたので紹介したいと思ひます。著者は山口智美、 斉藤正美、 荻上チキの三人。『社会運動の戸惑い』といふ書名だけみると一体なにをテーマにした本なのだらうと思つてしまひますが、《フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動》といふ副題の方が本書の内容を直接に表現してゐるやうです。フェミニズムの研究家であり、実践家でもあり、つまりフェミストである著者たちは、ジェンダーフリーの嵐が吹き荒れフェミニズム運動が盛り上がりをみせた時期に各地で起きた反フェミニズム運動、いはゆるバックラッシュ運動に焦点をあて、それらの運動が、いつ、だれによつて、何を契機にして生起したのかを、当事者双方への聞き書きから明らかにしようとするのです。

 本書でとりあげられたバックラッシュ運動とは、宇部市の男女共同参画推進条例問題、千葉県の男女共同参画条例問題、「性的指向」をめぐる宮崎県都城市の条例制定問題、福井県の生活学習館「ユー・アイふくい」のフェミニズム図書撤去問題など。

 実は不肖千葉展正も、本書に登場(第3章 千葉県に男女共同参画条例がない理由)するので、今書いてゐるこの文章もまあ不肖の宣伝と思つてお読みいただきたい。著者らとは、『男女平等バカ』(宝島社)で一緒に仕事をした野村旗守氏の紹介でお会ひし、地元の喫茶店でかなり長いインタビューを受けました。一昨年のことです。千葉県における条例推進側だつた堂本元知事や大沢真理女史らへの取材は既に終へてゐるとの事でした。

 千葉県の条例問題といふのは、堂本知事が日本一の男女共同参画条例をつくるんだと豪語して、本当に日本一過激な男女共同参画条例案をつくつてしまひ、やがて条例反対運動が起きて、堂本知事案は棚上げになつたものの、今度は反対運動を展開してゐた保守が分裂、一方の保守が自民党を抱き込んで「良識的」な男女共同参画条例案をつくるも、この自民党条例案も最後は廃案になるといふ摩訶不思議な展開をたどりました。
 
 不肖は対堂本案のバックラッシャーのみならず、自民党案のバックラッシャーとしての栄誉まで担つてしまひ、そのへんのことは『男と女の戦争』(展転社)にも書いたのですが、訪ねてきたお二人(山口さんと斉藤さん)の関心も当然保守分裂の背景にあつたやうです。不肖は本来社会運動家でもなんでもないのですが、地元の千葉県でみすみす日本一の男女共同参画条例をつくらせるわけにはいかないので、この時ばかりは猛烈に動きました。自民党の有力県議たちに片つ端から会ひに行き、自民党政調会長に面談するために房総半島の先端まで車を飛ばしたなんてこともありました。メルマガ、ブログ、雑誌、ミニコミ、チラシ、ファクスとあらゆる媒体をつかつて条例案に批判を加へ、後半はその矛先が自民党案に向かつたといふ次第です。

 さて、『社会運動の戸惑い』に戻ると、本書にはバックラッシュ派への聞き書き以外にも、例へば、ジェンダーフリーといふ由来不明の用語がどれほど事態の混乱を招いたかを分析した第1章や、国立女性会館(ヌエック)を箱モノ行政として分析した第6章、フェミニズムとインターネットなどの関係を分析した第7章など、精緻克明なレポートが並んでゐます。これらを読めば、著者たちが、現下の政府主導による男女共同参画行政に根本的な違和感を抱いてゐることが分かると思ひます。さう。この本はフェミニストのひとたちがバックラッシュ運動を通じて、フェミニズム運動の問題をあぶり出さうとした試みだつたのです。

 『社会運動の戸惑い』はそもそもフィールドワークに立脚した学術書なのですが、著者らが「バックラッシャー」にファクス一本送るにも緊張してみたり、あるひはまた訪問先で「バックラッシャー」の仲間とバーベキューで盛りあがつたりと、異文化ならぬ異イデオロギー邂逅の物語として読んでも面白いかもしれません。その意味で「ちよつと風変はりな本」なのです。
プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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