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『入江相政日記』を讀む―天皇側近の人間学的研究―(第二十回)

◆魔女騒動(その十四)
 
 ●皇后の認知症進行にほくそ笑む侍従長


 皇后が、侍従長―侍従次長―女官長ラインによる皇后包囲網が築かれてゐると知つた時には遅かつた。裏工作をやらせれば天才的な能力を発揮する入江の謀略の前に皇后は屈し、最終的に今城罷免を受け入れることになる。天皇の《仰せ》に逆らふことはできないのだ。

《侍従次長と一緒に皇后さまに拝謁・・・□□罷免のこと申上げる。なんの抵抗もなく御承知になる。長官、永積、西野に報告。名古屋の後藤先生にも報告。・・・「山を抜く力も失せて今朝の雪」》(六月十六日)

 皇后に今城の罷免を伝へる。早速、教祖後藤先生に勝利報告の電話を宮内庁からかける。この頃、宮内庁の侍従長室と名古屋の天声おまかせ道場との間には、事実上ホットラインが開設されてゐたと思はれる。今城と皇后追ひ落とし工作の指令はすべて名古屋から出てゐた。

《昼前次長より魔女に申し渡し。「もう五六年つとめようと思つてゐた」など言つた由。・・・事は済んだと思はれる。》(六月十七日)

 七月二十九日、今城誼子は正式に退官する。(※注)

《二時半□□前女官退官につき両陛下に拝謁。・・・これですつかり済んだ。》(七月二十九日)

 そしてこの後、本稿の第四回で紹介したニクソンのアラスカ訪問の記事につながつてくるわけである。

 昭和四十六年八月七日。

《イギリスのリターンの招待客のこと。終り頃にみんな帰つたあと、長官が官長と予と残つたところで、アラスカへニクソンが迎へに来るといふこと報告、予はお上にとつては大変おとくなことだから是非実現させようといふ。その為に御出発が早まつても機中でお食事をすればいいと述べる。


 二十年も近侍した側近を奪はれた皇后の悲しみは深く、退官する今城に皇后は手紙をかいてゐる。(河原敏明『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』)

      ***********

         今城誼子に賜る

 苦労をかけて気の毒でした。大宮様より伺つて居りました通り誠実な人でした事を証明します お上の御身を思ひよくお仕へ申し私の為にも蔭になり日向になりよく尽してくれました
この度御上にざんげんする者あり残念なことですが退職させる様な事になりましたが良き時期に再任します 外に居ても気持は今まで通り頼みます 大変勝手なことですがよろしく頼みます

  昭和四十六年六月三十日
        良子(拇印)

      ***********

 手紙には次の二首の御歌も添えられてゐた。

 神々も守りますらむ大君につくしし人に幸多かれと

 己が身を忘れて我につくしたる人の身の上幸あれかしと

 日付が六月三十日とあるのは当初の退官予定日。河原敏明によると、元女官の久保八重子は「これが最後といふ日、皇后さまはお部屋で泣いていらつしやつたさうです」と語つた由。

 自分の一番信頼する側近を奪はれた衝撃で、皇后が精神に変調をきたしたことは想像するに難くない。訪欧の翌年(昭和四十七年)の日記の「年末所感」に入江は記す。

《この方[皇后]はヨーロッパの頃からそろそろだつたが、このごろはひどいことになつておしまひになつたらしい。女官長などはアメリカなんかたうてい駄目といはれる。そんなものかもしれない。これが目下の最大の悩みである。長年魔女におどされつづけてきたいらつしやつたことから来るお気落ちとでもいふものか。》 

「ひどいことになつておしまひになつたらしい」といふのは、認知症の進行を指す。まるで他人事のやうな口ぶりである。皇后の認知症進行に自分が一役かつたといふ自覚などはじめからない。といふより、冷血侍従長にとつて皇后の認知症進行は内心歓迎すべき状況だつたといへよう。

 オクの権力を手中にした入江の野望は、宮中祭祀を廃絶せしめることだつた。ウルトラシントイズムに凝り固まつた連中が仰々しく繰り広げる、くだらない祭祀。天皇の出御をやめさせれば、宮中祭祀は自然消滅する。入江にとつて皇后は、自分の祭祀廃絶工作を事あるごとに妨害するいまいましい存在以外の何者でもなかつた。その皇后に認知症が進行する。入江が嬉しからぬわけがない。


(※注)今城誼子は退官して二十二年後の平成五年二月十二日、養女に看取られつつ八十四年の生涯を閉じた。『入江日記』が刊行されたのが平成二年。自分が邪悪な魔女として陰湿極まりない攻撃を受ける『入江日記』を、今城は生前どのやうな思ひをもつて読んだらうか。河原敏明は『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』の中で、今城誼子が新興宗教「真の道」とも何の関係もなかつたことを明らかにしてゐる。


     (「魔女騒動」終り)
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『入江相政日記』を讀む―天皇側近の人間学的研究―(第十九回)

◆魔女騒動(その十三)
 
 ●皇后を呪ひ続ける侍従長

皇后が毎朝、御所を出てどこやらにお詣りする。この行動を不審がつてゐた天皇が、侍従長から、「皇后さまは今城に新興宗教を吹き込まれ、あんなことをなさるのです」と聞かされる。天皇はこれを信じきつて、今城を憎み始める。

 皇后の毎朝参拝が今城とまつたく関係ないことは、宮中のオクの人間はみんな知つていた。昭和五十八年に、《皇后陛下を巻き込んだ新興宗教のそうそうたる信者》といふセンセーショナルな記事が週刊新潮に掲載されたことがある(昭和五十八年五月五日号)。皇后の寒香亭参拝の習慣のこと、姪の久邇正子が皇后に大真協会への入信を勧誘したこと、皇后は天皇の顔面痙攣の治癒を願つて入信したこと、等が河原敏明ら関係者の証言を交へて詳細に報じられてゐる。大真協会について問はれた侍従長入江のこんなコメントも載つてゐる。

《また笑い話ですか。困っちゃうな。僕は大真協会なんて宗教、一度も聞いたことないよ。信者の中に元皇族がいるとか、皇后さまや女官までが新信仰しているなんて、そんな話、あるわけないでしょう。》

 例によつてすつとぼけてゐるわけだが、この記事が出た翌月、侍従の卜部亮吉は日記に次のやうな記述を残してゐる。

《侍従次長から洋楽演奏会に久邇正子さん陪聴のこと 侍従長にもお話し、皇后さまとの接触は避けねば(大真協会のこともあり)》
(『昭和天皇最後の側近 卜部亮吉侍従日記』第一巻 昭和五十八年六月二十三日) 

 宮中で催される洋楽演奏会に久邇正子が陪聴するといふので、卜部は《大真協会のこともあり》、皇后との接触は避けねばと心配してゐるわけである。皇后が大真協会を熱心に信心してゐたのは十年以上前のこと。昭和五十八年といへば皇后の認知症がかなり進んでゐた頃だから、久邇正子と接触したとしても、大真協会への信仰が再燃するわけもない。それなのに、侍従長の忠良なる部下である卜部は万全を期す。ことほど左様に、皇后と大真協会、久邇正子の関係はオクの世界で周知されてゐたのだ。

 さて、まんまと天皇を騙しおほせた入江は、あとは一気に今城罷免に向かつて攻撃を仕掛ける。

《「一寸」と仰せで拝謁。魔女のこと、良宮は楽観してゐるやうだがまだ話さないかとの仰せ。楽観と仰せになるのは大丈夫外国へつれて行けると思つていらつしやるといふ意味。それにつき色色申上げまたうかがひもする。》(二月十九日)

 この記事を信ずるなら、ここには側近の計略に完全にハメられた天皇の姿がある。

《お召といふことで・・・御製の追加をお下げになり続いてまた魔女退治のことを仰せになつた。重ねての御協力をお願ひしておく。》

 天皇をまんまと丸め込み、してやつたりの入江の表情が見えるやうである。

《長官室でいつもの四人の外遊会議。侍従職の供奉員を報告。》(二月二十六日)

 今城を訪欧の供奉員から排除するといふ天皇の「仰せ」が出されたので、宮内庁の人選もその方向で進む。

《昨夜、女官長より侍従次長に電話、皇后さまが奥のお供は女官長、武者、□□、市村、久保女嬬とおつしやつた由。》(二月二十七日)
(編者伏字、□□は今城)

《次長とお上に拝謁。今日皇后さまに申上げること、外国のお供のこと申上げる。・・・二人で皇后さまに申上げる。御機嫌悪くどうして□□いけないかなと仰せになつたが縷々申上げたら「そんなら仕方ない」とお仰有つた。下つてきて電話で長官に報告。》(四月二日)

《(天皇に)昨日皇后さまに申上げたことをすつかり申上げる。それならよかつたとの仰せ。庁舎に帰り昨日からのこと報告。・・・六時過ぎに帰宅。啓ちゅんが待っている。慶タクシーでぼたん。・・・・地下鉄で四谷三丁目。あとお岩稲荷の辺を教えてもらふ。》(四月三日)

《庁舎に帰り昨日からのこと報告》とある報告の相手は長官ではない、霊能者後藤である(長官には前日に報告済み)。この時、教祖からなにか霊示があつたのであらう。帰宅後、地下鉄に乗つて四谷の「お岩稲荷」にまで詣つてゐる。

《皇后さまちよつと来てほしいと仰有る。・・・・案の定□□を連れて行く。もし行けなければ私はヨーロッパはやめるとのこと。□□がわるくないといふことは必ず分かるとおつしやるから悪いといふことは必ずそのうちお分かりになると申上げ時間もないからまたいづれといふことにして下る。下らないことだ。長官にも言ひ次長にもいふ。「そんならヨーロッパをおやめに願はう」と申上げようといふことになる。》(四月五日)

 天皇の《仰せ》が出たからには、皇后をあしらふことなどわけはないといふ感情が露はに出てゐる。

 入江にとつて皇后が訪欧をとりやめることは大歓迎。天皇と皇后が対立してくれれば、これほど嬉しいことはない。敵は皇后なのだ。

《・・・侍従次長に呼ばれる。女官長と三人。又盛んに揺り返しをやつてゐる由。今朝後藤先生が「もう□□のことはおあきらめになつてゐる」と電話を下さつたので平気。》(四月七日)

 皇后はすでに今城をあきらめてゐる、と教祖様から有難いおさとしがあつたらしく、入江を俄然強気にさせてゐる。

《・・・御前に出る。魔女のこと。そんなに言ふことをきかなければやめちまへとまで仰せになつた。》(四月九日)

 入江は教祖のおさとしに従つて、天皇をしきりに煽り立てる。皇后が抵抗すればするほど、入江の思ふツボにはまる仕組みになつてゐる。皇后が何か口にすれば、今城にあやつられてゐるといへばいいからである。

《(皇后が)やはり魔女をと仰有り駄目なら外国行きをやめるとおつしやる。今度の御旅行はお上なので皇后さまはそのお供、おやめになりたいなら仕方ない、ただ理由としてはすつぱぬくほかない、もういい加減におやめになつたらと申上げる。》(四月十日)

 言葉で刺激して、相手が墓穴を掘るのを待つといふ入江のエスカレーション作戦。

 皇后攻略戦が最終局面に入つて霊能者後藤との交信も頻繁になり、翌日、入江は葉山まで足を伸ばす。

《六時に目がさめる。支度して六時三十五分に出て地下鉄で逗子、バスで葉山。すぐ御本邸。後藤先生の指示の石、御食堂のあたりで丁度いいのを拾ふ。すぐ折返しバスで帰つてくる。丁度間に合つたので君子と一緒に行くことにしてその前に選挙に行く。》(四月十一日)

 行つた先は葉山御用邸。食堂のあたりで《後藤先生の指示の石》を拾ふ。帰宅後、この石をどこやらに置きに行つてゐる。石一個を拾ふために葉山まで! 御用邸で拾はれたところからみると、この石も皇后を呪ふためのまじなひ用か。

 その二日後。

《そのあと散歩。千鳥が淵で柳の枝を折つてくる。》(四月十三日)

 帰宅してから千鳥が淵まで行き、柳の枝を折つて、持ち帰つてゐる。これも教祖のおさとしに従つた行動。

《昼前に徳川さんから聞くと今朝喜久君さんに招ばれて聞いたこと、十四日(お発ちの前日)皇后さまから電話で女官長を代へたいからいい人を見つけるやうに、どうもこの頃奥のことが表につつ抜けになつていけないと仰有つた由。魔女の最後のわるあがきといふもの。》(四月二十三日)

《その後拝謁。久々でその後の魔女事件の経過につき御報告申上げる。午后お召し。侍従次長と二人で魔女を去らしめることを早くやれとの仰せ。・・・この途中で皇后さまはなんとまた長官をお召し。女官長をかへてくれと仰有つた由。あきれたもの。》(四月二十七日)

 皇后が女官長を交代せよと云ひ出して、入江は自分がますます勝利に近づいてゐることを知る。女官長北白川肇子は、皇后と今城の動静を逐一侍従長に流してゐる入江の腹心的存在。兄の侍従次長徳川義寛とともに今城追放工作の片棒を担いでゐる。入江の女官長人事工作で、北白川の就任を皇后が認めた時点で、皇后の外堀は埋められたといつていい。皇后はそのことにやうやく気がついたがすでに遅い。

《長官から二度電話。あきれかへつたものである。拝謁のあと聞くと徳川と松平をやめろ、尤も外国のお供さへしなければ置いておいてもよし。「みんな□□にからんだことのやうに思はれます」と申上げたらガツクリとおなりの由。》(四月三十日)

 この時点で、天皇は《外国のお供さへしなければ置いておいてもよし》と考へてゐた。一連の工作の最終目標が今城追放にある入江は、長官をそそのかして天皇を翻意させようと図る。 

《長官拝謁。魔女のことみんな申上げお上も驚きだつた由。ヨーロッパのお供から完全にはずれたのであとはしばらくしてから罷免といふことに申上げる。》(五月四日)
 
 ここに罷免工作成功。

 その数日後、霊能者後藤を自宅に招いておさとしをうかがふ。

《出勤前に屋根から落ちたスレート二枚砕く。思つたより簡単に砕けた。・・・(帰宅)庭で楽しんだりスレートを破つたり。・・・後藤先生、伊達、津田夫妻、七時に来られる。すぐ食事。九時前から脇田さん、続いて予、その後君子。五月末に事は決る。決断をくづすなとのこと。十二時すぎにお帰り。》(五月八日)

 教祖さまから《五月末に事は決る。決断をくづすな》といふ力強い霊示をいただいて、入江は決意を新たにする。

 この日の朝、入江は屋根から落ちたスレートを砕くといふ不可思議な行動を見せる。
 
 その翌日。

《九時一寸すぎに出て君子と山王さまに参る。公孫樹の根方にスレートを破つたのをそつと蒔いておく。》(五月九日)

 日枝神社に参拝し、公孫樹の根方に破つたスレートを蒔いてゐる。皇后への陰湿な呪ひは執拗に続く。


 (この項続く)
プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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