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■天皇の国民に対する「背信」(3)


 天皇譲位の意向を知りながら作成された御陵関連文書




 天皇が譲位した場合、むかしはその御位を太上天皇、または上皇と呼びならはした。太上天皇・上皇が出家すれば法皇と呼ばれた。
 
 天皇の墓所を御陵といふ。太上天皇も天皇の位にあつたお方だから、太上天皇が崩御されれば御陵に葬られた。(崩御という言葉は、現在は天皇、皇后、皇太后に用ゐられるが、太上天皇がおわした時代には太上天皇にも用ゐられた。)
 
 天皇が御自分の墓所である御陵に関して言及されたとしても、そのこと自体に特に異をたてようとは思はない。
 
 しかし、譲位や太上天皇の制度が存在しない平成日本において、天皇が御陵や御喪儀に関して言及されれば、国民はどのやうに受け取るか。天皇が天皇の御位のまま崩御される、天皇はその時のことを考へてをられると受け取るのは当然ではないか。
 
 ましてや、天皇御自身が天皇の御位のまま崩御されるといふ前提で話をされてゐるのだ。
 
 三年前に宮内庁から発表された「今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち」と「今後の御陵及び御喪儀のあり方について」といふ二つの文書ほど、国民を惑はせた皇室文書は国史上まれなのではないか。
 
 天皇の御意向に従つて、御陵御喪儀に関する一年に及ぶ検討が宮内庁においてなされた。その結果、火葬をはじめとして天皇の希望はすべて取り入れられた。ただひとつを除いて。それは皇后との合葬である。合葬に反対したのは宮内庁か? 違ふ。皇后である。皇后が合葬を辞退されたのである。そのことについて皇后の御発言がある。
 
《上御一人かみごいちにん」との思いの中で、長らく先帝陛下、今上陛下にお仕えになってきた経緯からも、それはあまりに畏れ多く感じられるとされ、また、ご自分が陛下にお先立ちになった場合、陛下のご在世中に御陵がつくられることになり、それはあってはならないと思われること》(「今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち」)

 自分が陛下に先立ちつた場合、《陛下のご在世中に御陵がつくられる》ことになり、それはあつてはならない、といつてをられる。天皇が最後まで天皇の位にをられるといふ前提で話をされてゐることが分かる。

 天皇の譲位の御意向はこの時既に皇后もご存じだつたはづである。
 
 皇后のみならず、宮内庁幹部も天皇譲位の御意向は知つてゐた。その上で、これらの文書が作成されたのだ。
 
 天皇譲位をめぐる一連の動きの不自然さは、御陵御喪儀問題を抜きにしては考へられないと思ふ。
 
  (この項続く)






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■天皇の国民に対する「背信」(2)


   三年前には 「天皇として崩御」
  御陵御喪儀問題で発せられた天皇の「お気持ち」の不可解



 
 八月八日の「お言葉」で、天皇が強調されてゐるのは、天皇としてのつとめを果たすことに困難を覚えるやうになつたのはかなり前のことからだつた、といふことであらう。
 
 それは、次のやうに「二度の外科手術」にまで言及されてゐることからも分かる。
 
 
《そのような中,何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。》
 
  天皇の最初の外科手術は平成十五年(前立腺癌摘出)のことで、十三年前にまでさかのぼる。
  
 今回の天皇の「お言葉」と、伝へられる宮内庁幹部らの証言を重ね合はせると、天皇は少なくとも五年前には譲位の御意思を周囲に漏らされるやうになつたと思はれる(八年前にそのお話しを天皇からうかがつたといふ側近の証言もある)。

 譲位のことを天皇が御心のうちにとどめておくのではなく、側近に(しかも複数の)伝へたといふ事実は、天皇の譲位の御意思がこの五年ほどの間にかなり強固なものになつてゐたことを物語る。
 
 然るに、天皇は三年前に、ご自分の将来についてどのやうなメッセージを国民に送られてゐたのだらうか?
 
 宮内庁は平成二十五年十一月十四日、「今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち」といふ文書を発表してゐる。
 
 この文書は、タイトル通り、今後の御陵及び御喪儀のことに関する天皇皇后の「お気持ち」を宮内庁がまとめたものである。
 
 この文書の最大の眼目は、天皇の葬送方式が天皇の御意向により土葬から火葬に変はるということにあつた。
 
 この文書のなかの、次のくだりに目をとめられたい。
 
 《天皇、皇后両陛下には、ご即位以来、国と社会の要請や人々の期待にお応えになり、象徴として、あるいはそのご配偶として心を込めてお務めをお果たしになっていらしたが、いつとはなしに、将来のお代替わりのことについて思いを抱かれるようになり・・・・》
 
 《将来のお代替わり》といふ文言が登場する。
 
 なるほど、譲位も《お代替わり》には違ひないが、ここで言はれてゐる《お代替わり》とはもちろん譲位のことではない。天皇の御位のまま崩御としか受け取りやうがない。
 
 この文書を改めて読み返してみると、驚くべきことは、天皇はご自身が天皇の位のまま崩じて天皇としての喪儀が営まれるといふ前提で終始お話しされてゐることだ。
 
 「今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち」が発表されたのはわづか三年目のことである。
 
 をかしくはないだらうか? 私は素朴な疑問にとらはれる。
 
 なぜなら、この時すでに天皇は譲位の意思を固めてゐたからである。
 
 すでに譲位の意思を固めた天皇が、私が天皇として崩御した時には火葬にしてもらひ、天皇としての喪儀はこれこれにしてもらひたいといふメッセージを国民に発したのだ。 

 誠に不可解な天皇の御心と申し上げるしかない。
 
 (この項続く)





■天皇の国民に対する「背信」
 天皇のビデオメッセージの「お言葉」




 天皇が八月八日が国民向けに発せられたビデオメッセージ(宮内庁による正式名称「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」)を拝見し、その文章化されたものを何度も読むに及んで、私は次のやうな感想を持つに至つた。

 これは天皇の国民に対する背信ではないか、と。
 
 天皇に対して「背信」などといふ物々しげな言葉を用ゐたりすれば、反天皇分子と曲解されかねないが、背信とは「信義にそむくこと」(新潮国語辞典)といふ意味なのだから、ここで私が「天皇の国民に対する背信」といふのは、天皇は国民の信義にそむいてゐるのではないかといふ素朴な疑問にすぎない。
 
 ではなぜ、天皇が国民の信義にそむいてゐるのか?

    (この項続く)





     
■天皇譲位に色めきたつ「女系天皇」一派




 天皇の譲位問題を一番歓迎してゐるのは、「女系天皇」一派だらう。
 
 皇族の先細りを大義名分に、女性天皇の実現をとか女性宮家の創設をと叫んできた連中をここではひとまとめにして女系天皇一派と呼ぶ。
 
 小泉政権下での有識者会議を隠れ蓑にした女系天皇擁立計画は秋篠宮家の男子誕生とともに水泡に帰し、野田政権下で画策された女性宮家創設計画も民主党政権崩壊とともに中絶した。女系天皇一派の挫折感は深かつた。
 
 そのやうな時、天雷の如く出来した天皇の譲位問題に女系天皇一派は色めき立つた。天皇譲位は女系天皇を実現させる絶好のチャンスだ、と。
 
 女系天皇一派がどれほど、天皇の譲位問題を歓迎してゐるかは、例へば、小林よしのりと所功の次の如き対談がよく教へてくれる。
 http://ironna.jp/article/3719
 誰の感化やら知らぬがにはか女系天皇信者と化してチンドン屋的広告塔をつとめるのが小林よしのりなら、所功は一見皇室敬愛家を装つたエセ学者である。
 
 天皇譲位問題が起きて以来、朝日新聞などは、小泉政権時に女性天皇を認めた有識者会議の議論などを盛んに蒸し返してゐる。その意図は明かである。「愛子様を天皇に」の再現を目論んでゐるのだ。
 
 朝日新聞も、皇室敬愛家を装つた女系天皇一派たちも考へるところは一緒なのである。
















 
プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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