fc2ブログ
Archive
■天皇から遊離し始める元號(7)






   皇太子面会は保守派向けのパフォーマンス
   元号制定者としてシャシャリ出る安倍首相の不敬



 

 4月1日の新元号発表を3日後に控へた3月29日、安倍首相は東宮御所に参殿し、皇太子殿下に面会した。

 この席で、安倍首相から皇太子に対し、複数の新元号案について奉告がなされとみられる。

 安倍首相が皇太子に面会し、複数の元号案を開示するといふ情報は、事前に官邸サイドからマスコミに積極的に流されてゐた。

 保守派の諸団体は新元号の事前公表に強硬に反対してきたが、安倍首相はこれらの声を完全に黙殺し、4月1日の事前公表を表明したのはことしの年頭だつた。

 新元号の施行一ケ月前の公表・告示といふ案は、官邸が昨年春以来進めて計画そのものである。つまり、保守派の強固なる反対も、政府の当初方針になんの影響を及ぼさなかつたことになる。

 これまで安倍首相の数々の変節にも目をつぶつてきた日本会議なども、国体の根幹を揺るがすこの暴挙に、「遺憾の意」を機関紙にぶちまけ、保守派の中にも安倍首相に見切りをつける動きが顕著になつてきた。

 皇太子に対する安倍首相の複数新元号案提示は、不満を爆発させる保守派向けのパフォーマンスだつた。

 「公表前に皇太子に会つて新元号案を示したではありませんか」

 それにしても、複数元号案を総理から一方的に示された皇太子の胸中はいかばかりだつたか。

 皇太子は元号案を見せられるだけで、それについての意見を表明することは許されないのだ。

 現行憲法下では、政令の制定は内閣の権限に属し、天皇皇族がこれに関与すできないといふ建前になつてゐる。

 安倍首相は内閣法制局に、元号案を皇太子に示すだけで意見を聞かなければ法制上問題ないといふ見解を確認した上で、東宮御所に出向いた(この情報も官邸が率先してマスコミにリークした)。

 新帝である皇太子は、総理大臣から一方的に元号案を見せられるだけ。のみならず、新元号の政令には父帝である今上陛下が署名する。新帝の諡ともなる新元号の制定に、新帝はまつたく関与することがないといふ事実にかはりはない。

 皇太子への新元号案の提示は皇太子への配慮のやうにみえて、さうではない。逆である。ある意味で、これほど新帝に対して不敬な行為はない。

 なぜなら、安倍首相は皇太子に対して複数元号案を提示した時点で、自分はどれが次の元号になるか知つてゐたからである。当然である。それは総理大臣である自分が最終決定したものなのだから。

 元号案を見せられた皇太子はどれが次の元号になるのかと思ふ。しかし、これを提示した安倍首相は既にそれを承知してゐて、新帝の反応をみてゐる。これほど不敬な光景は考へられまい。

 新元号は3月29日どころかもつと前に事実上決まつてゐる。

 4月1日に開催される「元号に関する懇談会」など単なるセレモニーにすぎないことは周知のことだ。

 昭和からの改元では、「平成」は、竹下首相が早くから執着してゐた元号だつた。考案者は陽明学者の安岡正篤である。

 佐藤内閣の官房副長官だつた竹下登が昭和39年頃、新元号の考案を委嘱した安岡正篤から受け取つた案の中に「平成」があつた。「平成」は竹下が20年来温めてきた元号案だつたのだ。

 (のちに、当時の内閣政審議室長的場順三が、「平成」は東洋史学者で東京大学名誉教授の山本達郎であるといひ出したが、安岡正篤が考案したものを山本達郎に再提出させたといふのが真相である。安岡正篤は昭和58年に死去。物故者の元号案は採用しないといふ慣例があるため、山本達郎の案として提出させたのである。)

 昭和64年1月7日天皇崩御。午後1時3分から開催された「元号に関する懇談会」で、「平成」「正化」「修文」の3案が示された。

 しかし、懇談会が開かれる3時間以上前の段階で、新元号を平成とする政令は政府内で既に策定されてゐた。(毎日新聞3月31日朝刊)。
 
  懇談会は、国民の意見を聞いたといふ形式を整へると同時に、制定過程をカモフラージュするために設けられた単なる飾り物にすぎなかつた。

 それでも一応、出席者に示す3案のはじめに「平成」をもつてきたり、的場室長が、明治以来の元号の英語の頭文字が「正化」「修文」は「S」となり、「昭和」と重複してしまふと指摘してみせるなどの誘導工作は入念に準備されたのだつた。

 今回の改元は、昭和から平成への改元の前例を踏襲するといひながら、安倍首相は首相談話を自ら発表する。

 前回の改元時では、小渕官房長官が平成の新元号を色紙を掲げて発表した上で、竹下首相の談話を読みあげたため、小渕官房長官が「平成おじさん」として国民の記憶と歴史に残り、竹下首相の存在感は霞んでしまつた。

 竹下はほどなくリクルート事件で首相を退くが、改元発表時の功名を小渕にさらはれたことを終生悔いてゐたといはれる。

 どうやら安倍首相は竹下首相の轍は踏まないと決意したらしい。新元号発表の功名を菅官房長官の独り占めにはさせない。これが、4月1日正午に行はれる安倍首相の談話発表の意味である。

 新元号の事前発表で保守派を敵に回したとはいふものの、実は安倍首相は保守派の意向などさほど気にかけてはゐない。安倍官邸は新元号の発表を明日に控へた今、新元号前倒し発表の効用にはしやぎ回つてゐる。

 前倒し発表の効用とはなにかといふと、安倍首相がこの新元号を決めたのは私です、と国民に大々的にPRできるといふことである。

 もし5月1日の践祚・即位 と同時に新元号が発表・公布・施行されたなら、新帝が即位される厳粛なる日に総理大臣が、私から新元号の意義を申し上げますなどと悠長なことをやつてゐられるわけがない。
 
保守派の人々も4月1日には、元号制度の根幹を破壊する一方で、国民の新元号フィーバーに便乗しつつ、元号を政権延命の具に供する無定見総理の正体を思ひ知るであらう。


 (この項続く)
スポンサーサイト



■天皇から遊離し始める元號(6)





   元号の制定時期を明示しなかつた元号法の不備

 


 現行元号法によつて行われた昭和から平成への改元は、天皇の崩御に伴ふ諒闇践祚でああつたから、新元号の事前公表などありやうがなかつた。

 新元号を施行の一ケ月も前に公表するという元号史上類を見ない事態を出来せしめたのは、元号法の規定と大いに関係してゐる。

《1 元号は、政令で定める。
 2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。》

 これが元号法の規定である。

 元号法を、旧皇室典範と登極令の元号に関する規定と読み比べてみる。

○旧皇室典範第12条

 「践祚ノ後元号ヲ建テ、一世ノ間二再ビ改メザルコト、明治元年ノ定制ニ従フ」

○登極令第2条1項

 「天皇践祚ノ後ハ直チニ元号ヲ定ム」

 旧皇室典範では、「践祚ノ後元号ヲ建テ」るとされ、登極令では、「天皇践祚ノ後ハ直チニ元号ヲ定ム」と規定されてゐた。

 「元号ヲ建テ」、「元号ヲ定ム」のは践祚した新帝である。

 「践祚ノ後」「践祚ノ後ハ直チニ」とあるから、これは紛れもない。

 しかるに、元号法には「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める」とあるのみで、旧皇室典範と登極令に存在した「践祚ノ後」「践祚ノ後ハ直チニ」といふ元号制定の時間的要素が欠落してゐる。

 「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める」といふ元号法の規定は、御世代はり以外では改元をしないといふ「一世一元の制」の確認にとどまり、それ以外の要素は一切省かれたのだつた。

 元号法は天皇の譲位を想定したものではなかつた。

 天皇の譲位といふ事態に直面して元号法の不備が露はになりつつある。
 
 元号を政令で定めるのは内閣である。しかし、新元号を公布する時期についての明文規定がないから、公布時期は内閣に委ねられる。

 すなはち、先帝が元号を公布するか、新帝が元号を公布するかは内閣が自由に決められるといふことになる。

 国事行為と称されるにせよ、元号を制定する政令の公布は、天皇に残された最後の元号大権である。

 新帝が元号を公布できないのは、元号大権が完全に内閣に奪はれたことを意味する。

 新元号をめぐる現下日本の狂態ぶりは、元号が天皇から遊離しつつあることの反映にすぎない。



■天皇から遊離し始める元號(5)


   先帝への不敬と考へられてゐた践祚当日の改元





 我が国の元号の歴史の中で、新元号があらかじめ公表された例もなければ、新元号が先帝の詔勅によつて出された例はない。

 譲位による代替わりの場合にも、先帝が新帝の元号制定に関はることはなかつた。

 一世一元の制しか知らない現代日本人は意外に思ふかもしれないが、代始改元(代替はりに伴ふ改元)であつても、新帝の践祚・即位と同時に改元したのはまれだつた。

 史上わづか5例しかない。元正天皇、聖武天皇、孝謙天皇、光仁天皇、平城天皇の践祚・即位の当日改元である。

 元正天皇。和同8年9月2日、元明天皇の譲位を受けて即位、同日、霊亀と改元。

 聖武天皇。養老8年2月4日、元正天皇の譲位を受けて即位、同日、神亀と改元。

 孝謙天皇。天平感宝(しようほう)元年7月2日、聖武天皇の譲位を受けて即位、同日、天平勝宝と改元。

 光仁天皇。称徳天皇の崩御により、神護景雲4年10月1日、即位、同日宝亀と改元。
 平城天皇。桓武天皇崩御により、延暦25年5月18日、即位、同日大同と改元。

 平城天皇即位当日の大同への改元について、その約30年後に完成を見た史書「日本後記」が厳しく批判してゐるのは注目に値する。

《今未ダ年ヲ踰エズシテ改元シ、先帝ノ残年ヲ分ツテ、当身ノ嘉号ト成ス。終ヲ慎ミテ改ムル無キノ義ヲ失フ。孝子ノ心ニ違フ。之ヲ旧典二稽フル二。失ト謂フベシ。》
 
 それまでの即位改元は、即位後一両年を経て行はれることが多かつた。

 いはゆる踰年改元、年を踰(こ)えての改元である。

 践祚・即位と同時に改元することは、「先帝ノ残年ヲ分ツ」ことになり、慎みを欠いた、「孝子ノ心ニ違フ」所業であると非難してゐるのだ。
 
 先帝の定めた元号は、崩御・譲位のあつたその年には改めないことが古式にも礼にも適ふと考へられてゐたことが分かる。

 先帝の定めた元号は新帝といへども濫りに改変すべからずとは、天皇の元号大権はあくまで当代の天皇にのみ属するといふ思想に由来するのはいふまでもない。

 平城天皇より後代の天皇もほぼ例外なく代始改元を行つたが、践祚・即位当日の改元は絶えてなくなり、幕末に至るのである。



 (この項続く)






■天皇から遊離し始める元號(4)





  天皇の元号大権が侵犯される新元号への改元



  昭和天皇が崩御された昭和六十四年一月七日、竹下内閣が制定した「元号を改める政令」をもう一度掲げよう。

《元号を改める政令をここに公布する。

 御名御璽

 昭和六十四年一月七日

                  内閣総理大臣 竹下 登

 政令第一号

 元号を改める政令

 内閣は、元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づき、この政令を制 定する。

 元号を平成に改める。

 附則

 この政令は、公布の日の翌日から施行する。

                  内閣総理大臣 竹下 登    》

 来る4月1日に安倍内閣が制定する「元号を改める政令」はおそらくこの形式に倣ひ、次のやうなものになるはづである。

《元号を改める政令をここに公布する。

 御名御璽

 昭和平成三十一年四月一日

                  内閣総理大臣 安倍 晋三


 政令第○○号

 元号を改める政令

 内閣は、元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づき、この政令を制 定する。

 元号を○○に改める。

 附則

 この政令は、平成三十一年四月三十日の日の翌日から施行する。

                  内閣総理大臣 安倍 晋三    》


 昭和から平成への改元では、昭和64年1月7日、天皇崩御、新帝践祚、「元号を改める政令」即日公布、翌8日から施行された。

 平成から新元号への改元では、「元号を改める政令」の公布が4月1日、施行は1ケ月後の5月1日、新帝践祚の日になる。

 「元号を改める政令」が1ケ月前倒しで公布されるとどのやうな事態が起きるか?

 「元号を改める政令」には今上天皇が「明仁」と署名されることになる。

 当代の天皇によつて次代の天皇の元号が公布されることになるのだ。

 大化に始まり平成に至る元号の歴史において、当代の天皇が次代の天皇の元号を勅諚した例は存在しない。

 新帝からみると、天皇の元号制定権が侵犯されたといふことになる。他ならぬ先帝によつて。

 これが、元号の歴史ににおける革命的事態でなくてなんであらう。



 (この項続く)


■天皇から遊離し始める元號(3)






  現行法制化でも新元号を公布する権限を有する天皇


 
 昭和54年6月12日に公布・施行された元号法は、
《1 元号は、政令で定める。
 2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。》
といふ至つて簡潔な法律である
 
 昭和から平成への改元は、この元号法の規定に基づいて行はれた。

 昭和天皇が崩御された昭和六十四年一月七日、竹下内閣が制定した「元号を改める政令」は次のやうなものだ。

《元号を改める政令をここに公布する。

 御名御璽

 昭和六十四年一月七日

                  内閣総理大臣 竹下 登


 政令第一号

 元号を改める政令

 内閣は、元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づき、この政令を制 定する。

 元号を平成に改める。

 附則

 この政令は、公布の日の翌日から施行する。

                  内閣総理大臣 竹下 登    》


 政令は内閣によつて制定される命令であり、閣議によつて成立する。

 元号法において元号を制定する権限を有するのは内閣であるが、政令を公布するのは天皇である。

 それで、「元号を改める政令」の公布書には、天皇の御名が記され御璽が捺されてゐる。公布書に「内閣総理大臣竹下登」の署名があるのは副署である。
 
 現行憲法下でも、第7条「天皇の国事行為」の規定により、憲法改正、法律、政令、条約などは、天皇の名において公布される。

 従つて、現行法制化の改元手続きにおいても、天皇は新元号の公布といふ権限を有してゐることは明らかである。

 過去に天皇が有してゐた改元大権は、改元を公布するといふ形で保持されてゐると私は考へる。

 現行憲法下においても存続してきた天皇の改元大権の伝統は、しかし、平成から新元号への改元において、断ち切られようとしてゐる。

 どうしてそのやうなことになるのか?


  (この項続く)





■天皇から遊離し始める元號(2)





  幕府専横時代にも揺るがなかった天皇の改元大権



 大化に始まる我が国の元号は、しばしの断絶を経て、文武天皇5年(西暦701年)に大宝の元号が建てられてからは、歴代の建元が絶えることなく、平成の今日に至つてゐる。

 今上天皇が践祚された年は平成元年である。

 元年とは天皇の即位の始年をいふ。

 改元は、天皇の代替はりに旧元号を改めて元年を建てる「代始改元」がそもそもの本義だつた。

 しかしその後、祥瑞、災異、三革(辛酉、甲子、戊申)など様々な理由による改元も頻々とみられるやうになり、後醍醐天皇の御世のやうに、元応、元亨、正中、嘉暦、元徳、元弘、建武、延元と改元が8度に及んだ時代もあつた。

 室町時代、江戸時代には、改元に際して幕府がたびたび介入し、例へば江戸初期の第110代御光明天皇の改元では、「正保」は宮中諸家の勘文の中から将軍徳川家光が選んだとされ、「承応」は幕府が家綱の将軍就任にあたり要請したものだつた。

 しかし、改元にあたつて幕府などの容喙が甚だしかった時代にも、正しく守られてゐたことがある。それは、改元に際しては必ず天皇の詔書が発せられた、といふことである。

 徳川幕府といへども、天皇の詔書なくして、勝手に諸国に新元号を布告することなど許されなかつたのである。

 明治改元にあたり、一世一元の制が定められるに及んで、「代始改元」以外の改元は廃された。

 慶応から明治への改元、明治から大正への改元、大正から昭和への改元に際しては、天皇の詔書が発布されてゐる。

 「明治改元の詔」は明治元年9月8日に発布された。

《詔(みことのり)ス。太乙ヲ体シテ位二登リ、景命ヲ膺ケテ、以テ元ヲ改ムルハ、洵二聖代ノ典型二シテ、萬世ノ標準ナリ。朕否徳ト雖モ、幸二祖宗ノ靈二頼り、祗ミテ鴻緒ヲ承ケ、躬、萬機ノ政ヲ親ス。乃チ元ヲ改メテ、海内ノ億兆ト與二、更始一新セムト欲ス。ソレ慶應四年ヲ改メテ、明治元年ト為セ。今ヨリ以後、舊制ヲ革易シ、一世一元、以テ永式ト為ス。主者施行セヨ。 》(原漢文)

 明治天皇の崩御に伴ふ「改元の詔書」は明治45年7月30日に発布された。

《朕菲徳ヲ以テ、大大統ヲ受ケ、祖宗ノ靈ニ誥ケテ萬機ノ政ヲ行フ。
 茲ニ
 先帝ノ定制ニ遵ヒ、明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ、大正元年ト為ス。主者施行セヨ。

 御名 御璽             》


 大正天皇の崩御に伴ふ「改元の詔書」は大正15年12月25日に発布された。

 
《 朕皇祖皇宗ノ威靈ニ頼リ、大統ヲ承ケ萬機ヲ總ス。茲ニ定制ニ遵ヒ元號ヲ建テ、大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ、昭和元年ト為ス。

 御名 御璽             》
 
 大正への改元詔書と、昭和への改元詔書が、明治への改元詔書と異なつてゐるのは、改元の月日を明記してゐるところである。

 昭和から平成への改元では、改元の詔書は発布されなかつた。

 いふまでもなく、天皇の改元大権を定めた旧皇室典範と登極令が失効してゐたからである。

 昭和から平成への改元は、昭和54年に制定された元号法に従つて公布された。

 

(この項続く)
■天皇から遊離し始める元號

 


 カウントダウンの世界に入つた新元号の前倒し公布





 新天皇が践祚される5月1日に先立つて、新元号は4月1日に前倒しで公布される。

 テレビは、新元号の予測やら、新元号を当て込んだ商売の紹介やらの番組が氾濫し、新元号の発表まであと○○日と、ほとんどカウントダウンの世界に入つた感がある。

 軽薄さに満ちたこのやうな改元騒動は、昭和から平成への御世代はりの時にはもちろん起きなかつた。天皇の崩御に伴ふ改元では、天皇の御不例中に新元号の当てつこ遊びなどテレビがやれるわけもない。

 先の御世代りでは、在世64年に及んだ天皇が崩御されたといふ現実が圧倒的な重みを持つてゐた。

 明治以降の日本国民は、天皇崩御による諒闇を伴はない御世代はりを経験してゐない。しかし平成の御世に生きる我々日本国民は今、諒闇を伴はない御世代はりを経験しつつあるのだ。
 
 法制史家の瀧川政次郎はその著『元號考證』(永田書房、昭和49年刊)の中で、天皇と元號の関係について、

《元号は過去における天皇の時空に対する統治権の作用として生れたものであって、天皇は元を建て、元を改める権能を有しておられた。この権能は、何人もこれを犯すことのできない権能であって、私はこれを「元号大権」と名づけている。》

と書き、新井白石の『折たく柴の記』から、

《我が朝の今に至りて、天子の号令、四海の内に行わるる所は、獨年号の一事のみにこそおはしますなれ》

といふ文章を引用してゐる。

 「元号大権」とは瀧川の新造語だつた。

 瀧川政次郎は昭和47年に自民党の元号問題小委員会から招かれて元号について話をした。そこでの話を中心にまとめられたのが『元號考證』である。

 戦前、天皇の元号大権は皇室典範とその附属法である登極令に規定されてゐた。

 旧皇室典範は第12条に、「践祚ノ後元号ヲ建テ、一世ノ間二再ビ改メザルコト、明治元年ノ定制ニ従フ」と明治元年の一世一元制を踏まへた条文がおかれてゐた。

 登極令には第2条1項に、「天皇践祚ノ後ハ直チニ元号ヲ定ム」と規定されてゐた。

 昭和22年5月3日の新憲法と同時に施行された現行皇室典範によつて、旧皇室典範は失効したものの、憲法第98条の規定(憲法の条規に反しない法律、命令、詔勅は引き続き効力を有する)により、元号の在り方を定めた旧皇室典範第12条と登極令第2条1項はまだ生きてゐる、と瀧川は解釈した。

 元号に関する明文規定が存在しないことを憂へた保守各界の地道な運動が実つて、元号法は昭和54年6月12日に成立し、即日公布施行された。

 1 元号は政令で定める。
 2 元号は、皇位の継承あつた場合に限り改める。

 これが元号法の規定である。

 それでは、元号法制定下の現下日本において、天皇は瀧川のいふ「元号大権」を有してをられるのだらうか?



 (この項続く)



リンク
三島由紀夫「女系天皇容認」説の陰謀を暴く
「売文業者」渡部昇一の嘘八百を斬る
安倍政権が残した「負の遺産」
「富田メモ」と捏造された「スクープ」
天皇を喰ひ物にした侍従長
天皇と宮内庁の「背信」
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト・評論家。皇室問題やフェミニズム問題に取り組む。三島由紀夫研究家。國語問題研究家。


フェミニズム論の著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

皇室関連の著作としては『天皇を喰ひ物にした侍従長』『天皇と宮内庁の「背信」』など。

執筆には正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を使用、当ブログも正仮名遣ひを用ゐる。

amazon
Irreversible Damage
大衆の狂気
暴走するジェンダーフリー
ポリコレの正体
SDGsの不都合な真実
左翼リベラルに破壊され続けるアメリカの現実
日本を守る沖縄の戦い
領土消失 規制なき外国人の土地買収
爆買いされる日本の領土
誰が第二次世界大戦を起こしたのか: フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く
移民 難民 ドイツ・ヨーロッパの現実2011-2019
それでもバカとは戦え
令和への伝言
男と女の戦争
私の国語教室
断腸亭日乗
中谷宇吉郎随筆集
牧野富太郎自叙伝