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■東京オリンピックと三島由紀夫(6)




        閉幕式





 ▼ 「無秩序の美しさ」に酔ひしれた三島由紀夫



 十月二十四日の閉会式は午後五時から始まつた。

 各国旗手の行進。このあと、国立競技場にとてつもないハプニングが起きた。整然と入場行進してくるはずだつた各国選手団が、お祭り騒ぎのやうに群れをなして会場になだれ込んできたのだ。

 観衆たちははじめはあつけにとられて選手団の無秩序の乱入を眺めてゐたが、やがて国立競技場は歓喜と感動の渦にのみ込まれる。三島由紀夫もその一人だつた。

《 しかし、何といっても、閉会式のハイライトは、各国旗手の整然たる入場のあとから、突然堰を切つたやうに、スクラムを組んでなだれ込んできた選手団の入場の瞬間だ。開会式のやうな厳粛な秩序を期待してゐた観衆の前に、(旗手の行進のおごそかさは十分その期待にきたへてゐただけに)突然、予想外の効果をもつて、各国の選手が腕を組み一団となつてかけ込んできたそのときの無秩序の美しさは比べるものがなかつた。》

 三島由紀夫を圧倒させた「無秩序の美しさ」。
  
《 それからは、競技の圧迫感から解放された選手たちの、思ふままの荒っぽい友愛の会になつた。最後尾の日本の旗手は、旗もろとも、各国の選手にかつぎ上げられる。ただ一人シャツとパンツで走り出す選手もゐれば、雨傘をひろげてふりまはすのもゐる。ふざけて女の子のピンクの帽子を奪ひ、それをかぶつて逃げまはるのもゐる。またそのそばを、われ関せずえんで、大手を振ってまじめに行進してゐるのもゐる。》

 日本選手団だけが、最後に整然と入場した。

《 これをいかにもホストらしく、最後から整然と行進してくる日本選手団が静かにながめてゐるのもよかつた。お客たちに思ふぞんぶんたのしんでもらつたパーティーの、そのホストの満足は八万の観衆の一人一人にも伝はつたのである。》

 三島は書いてゐないけれども、実は「整然と行進してくる日本選手団」の中にも剽軽な黒人選手が一人紛れ込んでゐたのだつた。

 八万の観衆とともに「無秩序の美しさ」に酔ひしれた三島由紀夫だつたが、もちろん、閉会式の「多くの美しいパセティックな瞬間」を描くことも忘れない。

《 ・・・会場が暗くされ、各国の旗手は半円をえがき、国歌とともに、ギリシャ、日本、メキシコの旗がのぼつてゆくとき・・・。》

《 ファンファーレとともに、暗やみの中から合唱隊の無数の豆電気が、ちやうど夜間飛行の飛行機が谷間に見つけ出す小都会の灯のやうにきらめきだすとき・・・。》

《 聖火が消えかけて、なほ尽きず、なほ炎の舌を何度かひらめかせる空が、いまは晴れた夜空になつて、巨大な鳩の翼のような、白い一双の壮麗な雲が、聖火台の上にひろがつてゐるのを見るとき・・・。》


 華麗な修辞がふんだんに散りばめられた閉幕式レポートは翌日の報知新聞に掲載された。


                                          (続く)
 

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■東京オリンピックと三島由紀夫(5)



    生まれてはじめてスポーツを見て流した涙



▼「17分間の長い旅―男子千五百メートル自由形決勝」

 大会八日目、代々木総合体育館で男子千五百メートル自由形決勝を観戦。日本選手でただひとり決勝に残つた佐々木末昭選手が出場した。

 この観戦記では、行為者と非行為者といふ対比に目が注がれる。

《――六百メートルに近づき、佐々木は六位を保つてゐる。
 出発点へ選手が近づくたびに、大ぜいの記録員たちはおのがじし立ち上がり、ぶらぶらと水ぎはへ近寄り、スプリット・タイム(途中時間)を記録し、また、だるさうに席へ戻る。必死で泳いでゐる選手と記録員とは、こんなふうにして、十五回も水ぎはで顔を合はせるわけだ。そのときほど、この世の行為者と記録者の役割、主観的な人間と客観的な人間の役割が絶妙な対照を示しながら、相接近する瞬間もあるまい。》

 佐々木は六位だつた。

《 平然と上げてゐる顔を手のひらで大まかにぬぐひ、出発の時と同様、左の手首をちよつと振つた。それが彼の長い旅からの、無表情な帰来の合図だつた。この若者はまた明日、旅の苦難を忘れて、つぎの旅に出るだらう。》



▼「完全性への夢―体操」


 体操の観戦記ではまづ、かねて思ひをいたす「スポーツと芸術」について語る。

《 体操ほどスポーツと芸術のまさに波打ちぎはにあるものがあらうか?そこではスポーツの海と芸術の陸とが、微妙に交はり合ひ、犯し合つてゐる。・・・芸術の本質は結局、形に帰着するといふことの、体操はその見事な逆証明だ。》

 マット上に展開される各国選手の「人間わざとも思へぬ美技」を眺めながら生起する様々な想念。

《 ・・・われわれの体が、さびついた蝶番の、少ししか開かないドアならば、体操選手の体は、回転ドアのやうなものだ。・・・もつともバランスと力を要する演技が、もつとも優美な形な静かな形で示される。そのとき、われわれは、肉体といふよりも、人間の精神が演じる無上の形を見る。》

 しかし、スポーツとしての体操は「意地のわるい減点による競技であり、批評による競技」なのだ。
 
 選手たちはミスを犯す。

《 小野は徒手で、遠藤はあん馬で見のがしえぬミスをやつたが、実際、人間なら、あやまちを犯すはうがふつうで、あやまちを犯さないのは人間ではない。・・・半神であることを要求される体操競技では、人間性を示したら、たちまち減点されるのである。》

 「真のあやまりのない秩序を実現する」ために努力する選手たちを三島は讃へてやまない。

《 小野選手の右肩の負傷にもめげぬ敢闘にも心を搏たれ、同じ三十代の私は、年齢と肉体のハンディキャップを超えたその闘志に拍手を送つた。》


▼「彼女も泣いた、私も泣いたー女子バレー」

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 閉会式前日の十月二十三日、駒沢屋内競技場で日本対ソ連の女子バレー決勝を観戦した。

 試合が始まる前の会場の様子。

《 七時十五分、赤いトレーニング・シャツの大松監督があらはれ、椅子に掛けて、傲然と足を伸ばす。いつにかはらぬ、シェパードのやうな精悍なその顔に、なんの表情もあらはさない。
 選手たちの登場。宮本がそのすらりとしたからだと、栗鼠を思はせるかはいらしい顔で、機械人形のやうにおじぎをする。》

 試合が始まつて、三島を印象づけたのはキャプテン河西の動きだつた。

《 彼女が前衛に立つとき、水鳥の群れのなかで一等背の高い水鳥の指揮者のやうに、敵陣によく目をきかせ、アップに結い上げた髪の乱れも見せず、冷静に敵の穴をねらつてゐる。ボールは必ず一応彼女の手に納まつたうへで、軽くパスされて、ネットの端から、敵の盲点をつくやうに使はれる。
 河西はすばらしいホステスで、多ぜいの客のどのグラスが空になつてゐるか、どの客がまだサラに首をつつこんでゐるかを、一瞬一瞬見分けて、配下の給仕たちに、ぬかりのないサービスを命ずるのである。ソ連はこんな手痛い、よく行き届いた饗応にヘトヘトになつたのだつた。》

 勝負が決まつた瞬間の感動を、三島は率直すぎるほどに吐露した。

《――日本が勝ち、選手たちが抱き合つて泣いてゐるのを見たとき、私の胸にもこみ上げてくるものがあつたが、これは生まれてはじめて、私がスポーツを見て流した涙である。》

                (続く)
■東京オリンピックと三島由紀夫(4)





   「空間の壁抜け」をやつてのけた男


 

 ▼「白い叙情詩―女子百メートル背泳」

      tanaka
        四着に終はりプールを上がる田中聡子選手




 大会五日目の十月十四日、三島由紀夫は代々木総合体育館で水泳競技を観戦した。

 前日の十三日はオリンピックの取材はなく、後楽園ジムでボディビルのトレーニングに励んでゐる。

 日本人選手が出場しない飛び板飛び込みの決勝から観戦し、「人体が地球の引力に抗して見せるあの複雑な美技」に魅了された。
 
 続いて観戦した女子百メートル背泳には、メダルの期待を一身に背負つた田中聡子選手が出場した。

 その描写。

《 女子百メートル背泳の決勝で、ただ一人日本人選手として登場した田中嬢は、白い長いガウンに水泳帽、その黒い髪のほのめくさまが、遠くからも見えた。プールぎはの朱いろの椅子にかけた嬢は、つつましく膝をすぼめて、どの選手よりも優雅に見えた。
 しかしガウンを脱ぎ捨てて黒い水着姿になつた彼女は、その強靭な、小麦いろの体躯に、こまかいバネがいつぱいはりくめているやうな感じで、それはただ一人決勝に残つた日本女性の、しなやかな女竹のやうな姿絵になつた。
 田中嬢が泳ぎはじめる、もうあと一分あまりの時間ですべての片がつく。彼女は長い長い練習の水路をとほつて、ここにやつとたどりついた一艘の黒い快速船になる。水しぶきの列のなかで、帰路、彼女の水しぶきは少し傾いて、ともするとロープにふれる。・・・》

 これは観戦記だらうか? 「その黒い髪のほのめくさま」「しなやかな女竹のやうな姿絵」「やつとたどりついた一艘の黒い快速船」・・・。素人臭さ丸出しの作家たちの観戦記の中にあつて、三島由紀夫だけが「芸術」してゐると言つた人がゐるけれど、たしかに三島の「観戦記」はどれも選手たちの緊張が乗り移つたやうにピンと糸が張りつめてゐる。
 田中聡子は自己のベスト記録を0・8秒縮めたものの、三着の米国選手に0・6秒差で敗れて四着に終はつた。
 
《 泳ぎおはつた田中嬢は、コースに戻って、しばらくロープにつかまつてゐたが、また一人、だれよりも遠く、のびやかに泳ぎだした。コースの半ばまで泳いで行つた。その孤独な姿は、ある意味ですばらしくぜいたくに見えた。全力を尽くしたのちに、一万余の観衆の目の前で、こんなにしみじみと、こんなに心ゆくまで描いてみせる彼女の孤独。この孤独は全く彼女一人のもので、もうだれの重荷もその肩にはかかつてゐない。一億国民の重みもかかつてゐない。》 


  ▼「空間の壁抜け男―陸上競技」


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                       「空間の壁抜け男」ヘイズ


  大会六日目は国立競技場で、陸上競技を観戦した。観たのは、男子八百メートル準決勝と二万メートルの競歩のスタート、それから男子百メートル決勝である。

 はじめの方にフィールドの描写がある。これを読むと半世紀前の国立競技場がまざまざと甦つてくるやうだ。

《 開会式のとき、あんなに異様に緊張にみちて見えたフィールドは、今日は刻々記録が争はれてゐるにもかかはらず、のんきに、雑然と、まるでピクニックの野原のやうに見える。芝の一部の観覧席の影がさしてゐるほかは、ゆたかな秋の日ざしの中にあり、南のはうには、棒高とびのアンツーカーのまはりに、脱ぎ捨てられた赤や黄のシャツがあり、芝に敷いた毛布の上で、でんぐり返しをしたり、倒立をしたりしてゐる選手がゐる。一瞬、舞ひ上がる肉体、しなふボール、落ちるバー。北半分には、円盤投げのために扇形に描かれた線があり、遠いネットの中で、選手が独楽のやうに体をまはすと、円盤はきらめきながら飛んできて芝の上ではずむ。赤や紺のブレザーが芝生の上を行き交ふ色彩のあざやかさ。》

 男子百メートル決勝。
 金メダル確実と目されてゐたアメリカのヘイズは、準決勝で9・9秒の追風参考記録を出してゐた。
 
 ヘイズは第一コース、「選手たちがスタートラインについた。」

《 それから何が起こつたか、私にはもうわからない。紺のシャツに漆黒の体のヘイズは、さつきたしかにスタート・ラインにゐたが、今はもうテープを切つて彼方にゐる。10秒フラットの記録。その間たしかに私の目の前を、黒い炎のやうに疾走するものがあつた。しかも、その一瞬に目に焼きついた姿は、飛んでもゐず、ころがりもせず、人間の肉体の中心から四方へさしのべた車輪の矢のやうな、その四肢を正確に動かして、正しく「人間が走つてゐる姿」をとつてゐた。その複雑な厄介な形が、百メートルの空間を、どうしてああも、神速に駆け抜けることができるのだらう。彼は空間の壁抜けをやつてのけたのだ。》

 目の前で肉体の神業を見せてくれたヘイズを、三島由紀夫は「空間の壁抜け」男と呼んだのだつた。

                  (続く)





■東京オリンピックと三島由紀夫(3)





   「私はなりたい 戦争の第一日に 第一に倒れた兵卒に」
   
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  ボクシング会場の後楽園アイスパレス前で



 開会式の翌日、三島由紀夫は後楽園アイスパレスでボクシングを取材した。そして、「競技初日の風景―ボクシングを見て」といふ原稿を朝日新聞に書いた。

 世紀のイベントはどのやうに動き出したか、原稿はそこから書き出される。

《 昨日の大がかりな開会式に比べて、今日の初日は、たとへばこのボクシングにしても、簡単な宣誓式と共にサラリとはじまつた。その代はりに、いよいよオリンピックといふ巨大な機械が、冷酷に事務的に、おそろしくフェアに、勝敗を記録しはじめ、カタカタと音を立てて動き出したといふ感じがする。そして、後楽園アイスパレスの中央に設けられあた新調のリングの二十フィート四方の白い空間が、世界中のアマ・ボクシングの無数のリングのうちで、今もつとも重要な、もつとも歴史的な、もつとも光かがやく空間になつてゐることがわかる。たとへリング・サイドの各国役員が、威厳と無感動の渋い表情を並べてゐやうとも。》

 ボクシングの観戦では、試合そのものより、「お国ぶりの面白さ」を興味深く観察すゐる。

《 たとへば、褐色の肌の選手は、概してボクシングのために生まれたやうな、柔軟きはまる体と、強靭な腰と、すばらしいフットワークを持ってゐた。野獣の優雅がボクシングの身上であつて、ただ野獣であつても、ただ優雅であつても、いい選手にはなれないが、白い肌の選手たちはこのスポーツにおいて何か欠けるものがあるやうに思われた。何かしらこのスポーツには、密林的なものが必要だ、豹の一撃が必要だ。》  

《 お国ぶりで面白いのは、カトリック国のフィリッピンの選手トレビヤスは、相手をノック・ダウンさせたあと、十字を切って神様に感謝のお祈りをささげたし、自分の倒したフィンランドの選手を、抱いていたはりながらコーナーへ戻してやつたりした。》

 日本で開催される国際大会が日常化した今と違つて、競技場で目撃する国ごとの個性は当時の日本人には新鮮だつたし、三島由紀夫にとつてもさうであつたらう。

《 それぞれの国の観客の応援にもまた、お国ぶりがよく現れてゐる。ラテン系の声援は、すべてに派手で、大仰で、カメラマンもアルゼンチンの場合は、試合がすんでコーナーに戻った選手へ(まだ判定の下されぬうちに)大声でいろいろと呼びかけて、写真のポーズをとらせようとする。》

 この日の第一戦は、韓国の選手とアラブ連合の選手との対戦だつた。

 韓国の選手が登場して、三島はオリンピックと政治といふことを考へる。

《 日本の選手がなかなか出ないので、客観的な観客に終始してゐる私には、やはり各国選手の背後にあるものが面白い。韓国の選手が出てくれば、困難な政情の下にある国の、あの青年層の充たされぬ思ひの一つの突破口としてそこに一人の選手の姿をした希望が登場した、といふ感じがする。これは他国からながめた場合、どうしても避けられない一つの総括的な見方であつて、オリンピックの非政治主義は、政治の観念の浄化とみるほかなく、政治を人間の心から全然払拭することはできまい。》

 当時、韓国は朴正熙の軍事政権下にあつた。日本と韓国の間にはまだ日韓条約が結ばれてゐなかつたころである。(翌年締結)

 この試合では韓国選手が勝つたが、最後に敗者に思ひを寄せた詩を掲げられる。

《 これで最初の日の最初の勝敗が決まつたのであるが、韓国選手の謙虚な勝利者としての表情と共に、アラブ連合選手の心を思つて、私はシャルル・ビルドラックの「兵卒の歌」の最後の聯を思ひ出して、一種の羨望を感じた。
 「私はむしろ
  私はなりたい
  戦争の第一日に
  第一に倒れた兵卒に」(堀口大学氏訳)   》
 
 シャルル・ビルドラックはフランスの詩人・劇作家である。

 三島が観戦した韓国の鄭申朝選手は決勝まで行きバンタム級で銀メダルに輝いた。東京大会で韓国が獲得したメダルは計三個(銀メダル二、銅メダル一)だつた。


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  金メダルを獲得した三宅義信選手



 大会三日目は、渋谷公会堂で重量挙げを観戦した。重量挙げの競技会場となつた渋谷公会堂は、東京オリンピックのために突貫工事で建設され、翌年コンサートホールに生まれ変はつたのだつた。

 観戦記「ジワジワしたスリル―重量あげ」は翌日の報知新聞に掲載された。

 出だしの文章はいかにも三島由紀夫らしいもので、甚だよく知られてゐる。

《 何といふ静かな、おそろしいサスペンス劇だらう。他のどのスポーツにもこんな胸を押へつけるやうな、ジワジワとしたスリルで圧倒するものはない。見てゐるうちに、私は文字通り手に汗を握り、バーベルを前にした選手の緊張がのりうつつてきて、心臓が苦しくなつてきた。スピードを取り去られた戦ひの世界の異様な圧縮された空気!》

 ボディビルをやつてゐた三島由紀夫は、鉄のバーベルの重さはよくわかつてゐた。(ベンチプレスでは百キロを上げてゐた)

《 ・・・私は、いよいよバーベルにとりつく前の選手の緊張に興味があつた。多少ともバーベルにとりつく前の選手の緊張に興味があつた。多少ともウエート・トレーニングをした人間には、この瞬間の恐怖と逡巡がわかるはずだ。韓国のキン・へナム選手は必ずバーベルのぐあひをたんねんにしらべ、ポーランドのコズロフスキー選手は。手をかけてから長いこと腕の筋肉をふるはせ、日本の三宅選手は相撲の仕切りのやうに長い時間をかけて、何度か天を仰いだ。》

 三宅義信選手は重量挙げフェザー級で金メダルを獲得した。東京オリンピックの日本の金メダル第一号だつた。

《 金メダルを受けた三宅選手は、実に自然なほほゑましい態度で、そのメダルを観衆の方へかかげてみせた。彼はそのとき、あの合計397・5キロの鉄の全重量に比べて、金のたよりない軽さを感じたかもしれない。美麗の黄金(きん)の羽根のやうな軽さを!》 


          (続く)


■東京オリンピックと三島由紀夫(2)







   取材ノートが物語るオリンピックへの意気込み





 三島由紀夫が東京オリンピックの取材にかけた意気込みは並々ならぬものがあつた。

 オリンピック関連で新聞各紙に書いた原稿は計十一本。
 このうち二本は開催前、それぞれレスリングと体操の練習風景を取材したものだつた。   
 大会期間中は、精力的に各会場を取材して回つた。
 
 十月十日 開会式
 十月十一日 ボクシング予選
 十月十二日 重量挙げ
 十月十四日 飛び板飛び込み、女子百メートル背泳決勝
 十月十五日 陸上競技(男子八百メートル準決勝、二十キロ競歩、男子百メートル決勝)
 十月十七日 男子水泳千五百メートル自由形決勝
 十月二十日 男子体操
 十月二十三日 女子バレーボール決勝
 十月二十四日 閉会式

 観戦した競技をみると、三島由紀夫自身の関心が濃厚に反映されてゐることが分かる。
 ボクシングはかつてのめり込んでプロボクシングの観戦ライターになつたほどで、重量挙げはボディビルの延長線上にある競技だし、水泳はプールに通つた経験があつたし、「芸術とスポーツの接点」である体操には格別の関心があり(吊り輪を始めようとしたこともあつた)、それぞれ納得がゆく。
 三島が唯一無縁だつたスポーツが球技で、取材種目の中に女子バレーボールが入つてゐるのが意外に思へる。報知新聞の依頼によるものか本人が希望したものか分からぬが、観戦した女子バレーボール決勝戦は三島に多大な感動を与へることになる。そのことはあとで述べる。

 三島由紀夫が東京オリンピックの際に取材したノートが五年ほど前に発見された。三島家から山梨県山中湖村に移管された未整理の資料の中にあつたものだつた。

 B5判ノートの表紙に、「Olympic」とフェルトペンで表書きがあり、開会式からボクシング、重量挙げ、水泳、陸上競技、男子体操、女子バレーボール、閉会式まで、五十八ページにわたつて記され、選手の動きが微細に書き込まれてゐる。ところどころにはスケッチも入る。

三島ノート

三島ノート2

三島ノート3


 これを見ると、選手の一瞬の動きを見逃すまいとして凝視してゐた、三島の集中力と気迫が伝はつて来るやうである。

 三島由紀夫は、自分が心得のある剣道を主題にした小説(『剣』)を書いたときでさへ、剣道場に出かけて行つて、「幼児のやうな眼」で剣士たちの動きをスケッチした人だつた。何事によらず、なまじ自分が知つてゐるといふ意識は邪魔になるだけであるといふ意識は徹底してゐた。東京オリンピックでも、選手たちの動きを「幼児のやうな眼」で追つてゐたのであらう。

                    (続く)
 

■東京オリンピックと三島由紀夫





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    オリンピックの「特派記者」となつた三島由紀夫




 昭和三十九年に開催されたオリンピック東京大会は、「筆のオリンピック」とも呼ばれた。新聞各社や週刊誌が挙つて著名な作家たちを「特派記者」に起用し、開閉会式の印象記や各種競技の観戦記を書かせたからである。

 この有様を、「戦争中の報道班員のようにみんなが駆り出されていく」と自嘲気味に表現したのが遠藤周作で、彼は「水泳競技場につれていかれ」たが、背泳をみたあと、「選手はスタート台に立った、うしろ向きに飛び込んだ」と書いて特派記者を即刻クビになつたほどのスポーツ音痴だつた。

 このエピソードをもつて知れるやうに、新聞各社は普段はスポーツに縁のない作家たちをも総動員したのだつた。

 作家たちの中には、オリンピック無関心派はもとより反対派も少なくなかつた。
 後者の代表ともいへるのが松本清張で、「憂鬱なニ週間」と題する原稿を週刊誌に寄せ、「こんど、東京にオリンピックがはじまってもなんの感興もない。ただ、うるさいというだけである。何かの理由で、東京オリンピックが中止になったら快いだろうなと思うぐらいである」と言ひ放ち、オリンピック経済効用論や世界平和貢献論を自分は信じないと書いた。

 そのやうな中で、異彩を放つてゐたのが三島由紀夫であつた。
 三島は毎日新聞、朝日新聞、報知新聞三社の特派記者となつたが、それは駆り出されたなどといふものではなく、勇躍赴いたといつた感があつた。

 三島由紀夫ははつきりオリンピック肯定派の側に属してゐた。
 オリンピック否定派の考へ方に共感するものがあることは認めつつも、大会期間中は双眼鏡を首からぶら下げて会場を飛び回り、競技の取材に没頭したのだつた。

 十月十日の開会式、国立競技場の記者席に三島はゐた。
 開会式を終へると、毎日新聞社に行き、開会式の原稿を書き始めた。この原稿は翌日の毎日新聞朝刊に掲載された。

《 オリンピック反対論者の主張にも理はあるが、今日の快晴の開会式を見て、私の感じた率直なところは
「やつぱりこれをやつてよかつた。これをやらなかつたら日本人は病気になる
といふことだつた。思ひつめ、はりつめて、長年これを一つのシコリにして心にかかへ、つひに赤心は天をも動かし、昨日までの雨天にかはる絶好の秋日和に開会式がひらかれる。これでやうやく日本人の胸のうちから、オリンピックといふ長年鬱積してゐた観念が、みごとに解放された。》

《 日本人は宗教に寛容な民族であるが、そこにはまた、微妙な宗教感覚があつて、外国のお祭りで日本で本当に歓迎されるのは、クリスマスでもオリンピックでも、程度の差こそあれ、異教起源のお祭である。小泉八雲が日本人を「東洋のギリシャ人」と呼んだときから、オリンピックはいつか日本人に迎へられる運命にあつたといつてよい。》

《 午後二時、各国選手団の入場がはじまり、それが蜿蜒とつづくのがいかにも喜ばしい。祭りには行列がつきもので、行列は空間と時間とを果物かごのやうに一杯に充たしてくれなくてはならぬ。それに各国の衣服の色彩が、思ひがけない対照の美しさを見せ、スペインの土や血の色を思はせるあづき色のブレザーの群れの彼方から、北欧の夏空や水の色を思はせるスウェーデンのコバルトブルーの群れが近づいてくるときの、色彩の対照はすばらしかつた。》

《 坂井君は緑の階段を昇りきり、聖火台のかたはらに立つて、聖火の右手を高く掲げた。その時の彼の表情には、人間がすべての人間の上に立たなければならぬときに、仕方なしに浮べる微笑が浮んでゐるやうに思はれた。そこは人間世界で一番高い場所で、ヒマラヤよりもつと高いのだ。》

 オリンピックの起源、日本人の宗教感覚、日本がオリンピックを迎へることの意義などが三島一流の緊密な文体で語られ、その間に会場の情景描写が巧みに織り込まれる。
 三島由紀夫の高揚感がそのまま伝はつてくるやうなこの原稿は、次のやうに結ばれる。
《 オリンピックはこのうへもなく明快だ。そして右のやうな民族感情はあまり明快とはいへず、わかりやすいとはいへない。オリンピックがその明快さと光りの原理を高くかかげればかかげるほど、明快ならぬものの美しさも増すだらう。それはそれでよく、光と影をどちらも美しくすることが必要だ。オリンピックには絶対神といふものはないのであつた。ゼウスでさへも。》

 三島はこの原稿を毎日新聞に渡した後、日生劇場へ行き、自作の「恋の帆影」を観劇した。それが終はると歌舞伎座に回り、「ナイト歌舞伎」を観た。オリンピックの観光客を呼び寄せるために興行されたのが「ナイト歌舞伎」なのだつた。

                    (続く)


■『「富田メモ」と捏造された「スクープ」』発刊のお知らせ
 




 『「富田メモ」と捏造された「スクープ」』をKindleより出版しました。
 副題は「日本経済新聞社の偽装工作」

「内容紹介」と目次は以下の通りです。

    ***************

「内容紹介」

 日本経済新聞が、富田朝彦宮内庁長官の靖国メモに関する記事を掲載したのは平成十八年七月のことである。昭和天皇が靖国神社の参拝をやめたのは「A級戦犯」の合祀が原因―これが日経新聞が拵へたストーリーだつた。
 富田メモに関しては、報道の直後から多くの疑念が持たれてきた。だが、富田メモ問題はその後、本格的な検証をされることもなく、日経報道のストーリーだけがひとり歩きしてきた。
 ところが近年、『昭和天皇実録』『小林侍従日記』など、富田メモの解析に重要な手掛かりを与へてくれる貴重な資料が相次いで刊行された。これらの資料によつて、メモの書かれた昭和六十三年当時の、昭和天皇及び宮内庁内部の動静などを詳しく知ることができるやうになつた。
 本書では、これらの新資料を読み込み、メモと照らし合はせることによつて、「富田メモ」の真偽を改めて検証する。
 靖国問題で中国に屈服した中曽根政権と富田宮内庁長官との関係を洗ひ直したほか、日本経済新聞社と富田家のやりとり、元侍従長徳川義寛の策謀など、様々な角度から富田メモの正体に迫る。
 日経新聞が報道にあたり、都合の悪い記事をどのように隠蔽したか、さらにメモをどのやうに改竄したかが詳細に分析され、問題のメモの語り手が昭和天皇ではなかつたことが解き明かされる。
 日本経済新聞社は富田メモを改竄し、「スクープ」記事を捏造した。
 富田メモ報道は、戦後ジャーナリズム史に残る捏造事件である。
 本書はそれを解明する目的で書かれたものである。


「目次」
 はじめに―本書の構成について
 第一章 天皇の靖国親拝を予期してゐた侍従
 第二章 中曽根・後藤田の「お使ひ小僧」だつた富田宮内庁長官
 第三章 靖国神社宮司を激怒させた中曽根首相の不敬参拝
 第四章 靖国問題で中国に屈服した中曽根政権
 第五章 靖国神社親拝を途絶えさせた左翼の反対闘争
 第六章 日本経済新聞社による隠蔽工作
 第七章 日本経済新聞社による改竄工作
 第八章 靖国神社を貶めるデマを広めた徳川義寛
 第九章 昭和天皇は富田長官に靖国参拝のことを頼んでゐた!
 第十章 メモを放置したまま死んだ富田朝彦
 第十一章 左翼の靖国参拝反対闘争に言及した『昭和天皇実録』




■『天皇を喰ひ物にした侍従長』刊行のお知らせ





 『天皇を喰ひ物にした侍従長』をこのほどKindle本として刊行しました。
 副題は《『入江相政日記』に見る君側の奸の研究》です。

 「内容紹介」及び目次は下記の通りです。


【内容紹介】

 昭和天皇の時代、宮中を牛耳つた人物がゐた。
侍従長の入江相政である。
 侍従、侍従次長、侍従長として昭和天皇につかへること五十年。
 天皇と宮中にまつはる文章を書きまくり、出版した本が二十余冊。
 天皇を金儲けの種に利用した「天皇商売」―入江のやつてゐることはそのやうに称された。
 入江相政は様々な宮中工作の仕掛け人でもあつた。
 宮中祭祀の廃止工作、それに反対する皇后(香淳皇后)に対する追ひ落とし工作、怪しげな霊媒師を使つた女官の追放工作、皇后の重傷事故の隠蔽工作、侍医の追放工作・・・宮中で起きたスキャンダルの中心にはいつも入江相政がゐた。
 入江が残した『入江相政日記』には、昭和戦後期の宮中の出来事が赤裸々につづられてゐる。
 昭和天皇の最側近だつた男が、自分の利欲と権力欲のために天皇と皇室をいかに利用したか。 本書は、『入江相政日記』を読み解き、「宮中の語り部」の正体に迫る。


■目次

はじめに
第一章 「天皇商売」で稼ぎまくつた侍従長
 ▼スキャンダラスな急死
 ▼天皇ネタで得た巨額報酬と脱税疑惑
 ▼園遊会を利用してタニマチづくり
 ▼天皇会見で大金手にした「細川隆元事件」
第二章 皇后排除工作と霊媒師の影
 ▼「魔女追放事件」と霊媒師のお告げ
 ▼名古屋まで行き宮内庁人事の指示仰ぐ
 ▼「魔女が皇后を操つてゐる」と天皇に讒言
 ▼霊能師のお告げと丑の刻の呪詛
 ▼入江の讒言に嵌められた天皇
 ▼神がかりで皇后を追ひ詰める
 ▼側近を奪はれた皇后の悲嘆
第三章 「侍医追放事件」の真相
 ▼御用邸で起きた皇后の腰椎骨折事件
 ▼一夜にして態度を急変させた天皇
 ▼責任逃れのために「軽い腰痛」と発表した宮内庁
 ▼皇后の治療続ける外科医に突如辞職を勧告
 ▼次期侍医長候補の追放に成功#

                           









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tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト・評論家。皇室問題やフェミニズム問題に取り組む。三島由紀夫研究家。國語問題研究家。


フェミニズム論の著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

皇室関連の著作としては『天皇を喰ひ物にした侍従長』『天皇と宮内庁の「背信」』など。

執筆には正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を使用、当ブログも正仮名遣ひを用ゐる。

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