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■三島由紀夫雑記





   ▼「風流夢譚」事件と「憂国」




 右翼につけ狙はれるといふ体験を三島由紀夫にもたらしたのが、「風流夢譚」事件だつたことはよく知られてゐる。

 深澤七郎の短編小説「風流夢譚」が発表されたのは、「中央公論」の昭和三十五年十二月号であつた。

 革命らしきものが東京に起きて、皇居前広場に行くと屋台が出てゐて、その前で皇太子と皇太子妃が「マサキリ」で首を切られ、天皇と皇后の首なしの胴体が転がつてゐた―といふ荒唐無稽のポンチ絵小説、それが「風流夢譚」である。

 雑誌が十一月のはじめに発売されると同時に、革命ならぬ右翼勢力の総蹶起が促された。中央公論社を右翼が取り巻き、社長に面談を求め、同社は業務停止状態に陥つた。

 十七歳の右翼少年が中央公論社の嶋中社長宅に侵入して家政婦を殺害、夫人に重傷を負はせる事件が起きたのは翌年二月一日夜のことである。嶋中社長は出張校正で帰宅してゐなかつた。

 三島由紀夫は「風流夢譚」を発表される前に読んでゐた。中央公論社から原稿を読んでみてくれと渡されてゐたのである。

 「風流夢譚」を中央公論社に対して強力に推したのは三島由紀夫である、といふ風説が流れた。

 三島は昭和三十五年十一月一日から夫人ともに世界一周旅行に出てゐて、翌一月二十日に帰国、自分にまつはる風説を知つた。

 そして、帰国して十二日後に社長宅の殺傷事件が起きたのだつた。三島はただちに嶋中邸に参じた。

 事件後、右翼の抗議活動は一層激化し、三島宅にも脅迫状が相次ぎ、三島の身辺に警視庁の警護がつくやうになる。

 三島は日本刀を持つて庭を警戒して回つた。

 右翼につけ狙はれてゐた頃の三島の態度については証言が分かれる。ある人は警護の警察官をからかひ平然としてゐたといふ。ある人(実弟)は震え上がつてゐたといふ。

 自分に雪がれた汚名を晴らすべく、三島は週刊新潮のタウン欄に声明を発表した。

《 聞くところによると、例の「風流夢譚」掲載のいきさつについて、中央公論の嶋中社長がその掲載を反対したにもかかわらず、あたかもぼくが圧力をかけて掲載させたように伝わっているらしいんです。これはとんでもない誤解で、推薦した事実さえない。》

《 編集権を侵害しないというモラルは、ぼく自身いつも守ってきたはずだ。》

 「風流夢譚」騒動が過熱してゐた昭和三十六年一月、「小説中央公論」第三号に掲載されたのが三島由紀夫の「憂国」であつた。
 
 「憂国」を脱稿したのは昭和三十五年十月十六日。「小説中央公論」編集部の井出孫六が三島邸に原稿を受け取りに赴いた。この時のことを井出は回想する。

《 三島さんは深澤さんの「風流夢譚」を生原稿で読んでいたらしく、それを話題にしながら、こう言った。
「社に戻ったら、例の深澤さんの新作とこの「憂国」を並べて載せたらどうかと、編集長に伝えといてください」》

 井出は帰社して、それを「復唱」したらしいが、結局、予定通り「憂国」は「小説中央公論」に、「風流夢譚」は「中央公論」にと、別々に掲載されることになつた。

 三島由紀夫は「風流夢譚」に触発されて「憂国」を書いたのではないか、そして「憂国」を並べて載せれば「風流夢譚」の毒を少しは減殺できるのではないかと考へたのではないか―このやうに井出孫六は推測する。

 深澤七郎の「楢山節考」は昭和三十一年の第一回中央公論新人賞を受けたが、選考委員の三島は「楢山節考」を高く評価し、深澤七郎の短編集「東京のプリンスたち」の帯にも推薦文を書き、ギター奏者でもある深澤に映画「からっ風野郎」の主題歌を作曲してもらふほどの入れ込みやうだつた。中央公論社が「風流夢譚」の原稿を三島に見せたのもそのやうな経緯があつたからであらう。

 三島由紀夫は「風流夢譚」に触発されて「憂国」を書いたのではないかといふ井出説について、肯定的な見解を示したのは村松剛である。

 村松剛は、「憂国」初出稿には幾多の間違ひがあつた(のちに著者によつて訂正される)と指摘した上で、かう言ふ。

《 要するに三島は二・二六事件のころの軍人生活を、あまり調査することなしにこの小説を書いた。執筆にとりかかるまえには綿密な調査を行なう彼としては、こういうことは珍しい。それを考えると三島が「風流夢譚」に刺戟されて「一気呵成に『憂国』を書いたのではなかったか」という井出孫六の指摘は、ある説得力をもってくる。
 ごく控えめに見ても「風流夢譚」は、それを読んだ直後に彼が書いた「憂国」と、完全に無関係ではないように思う。》(『三島由紀夫の世界』)

 昭和三十五年は六〇年安保の年である。安保闘争の熱気に浮かれた頭で深澤七郎は「風流夢譚」を書いた。そして原稿を中央公論社に持ち込んだ。判断に困つた中央公論社は、三島由紀夫と武田泰淳(ともに中央公論新人賞選考委員)に原稿を見せた。三島がこれに反応した。・・・

 「憂国」は三島が、自分の小説の中からこれ一編を選べといはれたら「憂国」を読んでもらへばよい、とまで愛着した作品である。着想はかねてから抱かれてゐたにせよ、執筆を促す契機となつたのは「風流夢譚」であることは間違ひなさうに思はれる。

 深澤七郎は嶋中事件のあと数年間身を隠して各地を放浪し、それから牧場を始め、今川焼屋を開き、傷害罪で逮捕されたりして、昭和六十二年に死んだ。

 昭和四十五年の市ヶ谷事件のあと、深澤七郎は三島由紀夫をクソミソに貶してゐる。
 
《 三島由紀夫が死んだときに、ああ、この人は自分の小説が少年の世界、文学少年のまんまの小説だっていうのを、四十五(歳)の目で見てわかったんだなと思った。三島由紀夫っていう人は頭が良かったから、自分の小説が四十五歳の人間が書く小説ではないということがわかったわけです。そこに、限界を感じ、絶望して、それで政治に走ったなって思ったね。結局、文学の世界が三島由紀夫をああいうふうに殺してしまった。あんたもう、ダメですってね。》

《 要するに自殺というのは自然淘汰だと思うんです。昆虫とか動物には、自殺はないでしょう。人間にあるというのは、人間にだけある自然淘汰ですよ。自殺は、誰でもそうです。ただ三島さんを自然淘汰に追い込んだのは、武ではなく文で、現代の文学の世界が彼を自然淘汰したのだと思いますが、つまり、早いはなしが日本の文壇が彼を自然淘汰したのだと思います。彼の作品なんてまったく、少年文学で私はにせものだと思います。それを三島さんは才能があるからきがついたのですねぇ。それで、全然別の道で自殺を選んだのです。文から追い出されたのです。》

 これを三島由紀夫に対する忘恩と呼ぶ人がゐるけれど、もともと深澤七郎は社会的常識とは無縁のところに生きてゐた人種だつたと考へれば驚くにあたらない。

 労働争議がたへなかつた中央公論社は平成に入つて経営危機に陥り、平成十一年に読売新聞社に買収された。

 思へば、三島由紀夫のあのポレミックな政治評論として名高い「文化防衛論」が発表されたのも「中央公論」誌なのだつた。




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tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト・評論家。皇室問題やフェミニズム問題に取り組む。三島由紀夫研究家。國語問題研究家。


フェミニズム論の著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

皇室関連の著作としては『天皇を喰ひ物にした侍従長』『天皇と宮内庁の「背信」』など。

執筆には正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を使用、当ブログも正仮名遣ひを用ゐる。

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