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■コロナ利権を漁るパソナ―竹中平蔵と南部靖之の犯罪






  ▼安倍官邸公認に下に行はれてきたパソナへの利益誘導





 コロナの「持続化給付金」事業をめぐるスキャンダルで、電通と一緒になつてコロナ利権を喰ひ物にしてきた実態が暴露されたのが、公金寄生企業として名高いパソナである。
 電通、パソナ、トランスコスモスの3社が設立した一般社団法人「サービスデザイン推進協議会」が経産省の中小企業庁から「持続化給付金事業」を769億円で受託。同協議会は電通に749億円で再委託し、電通は子会社5社に645億円で外注し、さらに電通の子会社がパソナなど数社に外注してゐたといふコロナ利権転がしなのであるが、パソナへの外注費は170億円と突出してゐる。

 東京五輪の延期で莫大な利益を失つた電通は、五輪の損失を補填すべく経産省とつるんでコロナ利権確保に邁進したわけだが、コバンザメのように電通にくつついてコロナ利権漁りに狂奔してきたのがパソナなのだ。

 パソナの悪業については当ブログでもさんざん書いてきたので、そちらを読んでいただければ、この税金吸血企業の正体を理解してもらへると思ふ。

 次の二本の記事は、パソナのセックス迎賓館「仁風林」がASKA事件で脚光を浴びた時に書いたものである。

 政治家や官僚を接待漬けにし、帰りには参加者に南部が金の入った封筒を渡し、「喜び組」はお持ち帰り自由。「仁風林」の常連客の中には安倍晋三、竹中平蔵はもとより、いま新型コロナ対策大臣として有名になつた西村康稔経済再生担当大臣も含まれる。


セックス迎賓館の常連客だつた安倍晋三と竹中平蔵
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-146.html

色情魔経営者南部靖之の「喜び組」活用法
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-category-29.html


 以下の記事は、平成30年から31年にかけて、安倍政権の移民=外国人労働者拡大策を批判するために書いた記事のうち、パソナに関係した記事である。

 安倍政権の日本移民化計画の策源地になつてきたのが、「国家戦略特区諮問会議」なのであり、国家戦略特区諮問会議を牛耳つてきたのがパソナ会長の竹中平蔵であることが分かつてもらへると思ふ。

 パソナへの利益誘導は安倍官邸の公認に下に行はれてきたのである。



「農業」への外国人労働者派遣をゴリ押しした「パソナ」
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-295.html

日本移民化政策の策源地となつてきた「国家戦略特区諮問会議」
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-296.html

パソナを外国人家事労働者派遣企業に選定した国家戦略特区会議
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-297.html


安倍利権政治の汚れ役を担つてきた内閣府・地方創生推進室
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-298.html

国家戦略特区会議を仕切る内閣府と民間議員の結託
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-299.html


オリックス役員としての極悪政商の役割
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-300.html


法務省と厚生労働省の真つ当な主張を握りつぶした官邸
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-302.html


外国人問題で関係官庁の議論を封殺してきた安倍官邸
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-301.html


外国人奴隷労働の実態無視を決め込んだ安倍官邸
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-303.html


     (続く)

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■諸書再見





 ▼戴季陶著『日本論』

  なぜ日本は強く中国は弱いのか?
  中国人が比較した日本と中国



 戴季陶の『日本論』は1928年(昭和3年)に上海で出版された。日本では戦前と戦後に何度か翻譯本が出てゐて、私が所持してゐるのは昭和47年発行の社会思想社版(現在絶版)である。

 日本でさほど注目されたことはなかつたけれど、今でも中国研究者の間では、中国人による日本人論では白眉の一冊と評価する声が高い。

 著者の戴季陶は十代で日本に留学し、帰国してジャーナリストとして活動してゐたころ、孫文の知遇を得て、孫文の三民主義に傾倒。孫文の秘書兼通訳となり、1925年に孫文が亡くなるまで孫文と行動を共にした人物である。

 辛亥革命後、孫文に従つて訪日し、日本要人との会見にも通訳として立ち合ひ、第二革命に失敗した孫文が日本に亡命した際も秘書として同道してゐる。孫文亡きあと、国民党右派の理論的指導者となり、1949年に広州で死去した。

 1927年に国民党から日本に派遣され、滞日中に執筆されたのが『日本論』である。
 戴季陶に『日本論』を書かせた動機は、当時の田中義一内閣の対中国政策にあつた。「中国を統一させぬ」ことが田中義一の対中政策の本質であると戴季陶は考へてゐた。のみならず、「革命によつて中国を統一させぬ」こと、「革命の領袖である中山先生(孫文)によつて統一させぬ」といふ田中内閣の方策は、孫文を崇拝する戴季陶にとつて我慢のならないものだつた。
 
 陸軍きつての中国通であつた田中義一とは「親しい友人」の関係にあつたけれど、日本の指導者となつた田中義一の大陸介入を批判する筆致は厳しい。「日中が提携すれば東半球の平和が保持できる」と孫文に説いた桂太郎の姿勢とはなんたる違ひであらうか、と痛憤するのである。

(日本人物論では田中義一と桂太郎のほかに、「孫文の友」である秋山真之に一章が割かれてゐて、「神憑り的予言者」秋山真之の描写はバルザックの短編小説のやうな趣がある。)

 『日本論』の特質は、日本の大陸政策を分析するのみならず、日本文明と日本人の国民性の解明に筆を費やしてゐるところにある。

 戴季陶は日本民族の倫理性を高く評価し、日本人の民族意識の根幹は武士道にあると見る。このあたりの分析は、欧米によつて書かれた多くの日本人に比して卓抜とはいへかもしれないが、中国人によつて書かれた日本論として興味がつきないのは、随所に出てくる中国人と日本人との比較にある。

 戴季陶はまず。中国人の日本に対する無関心ぶりを問題にする。

 戴季陶が日本に留学してゐたころ、中国人の友人たちは日本語や日本文の研究を嫌つた。かれらに聞いてみるとその理由は二つ、ひとつは「英語なら帰国してから役に立つが、日本語や日本文は役に立たない」、もうひとつは、「日本そのものには研究価値がない。なぜなら、中国やインドやヨーロッパから輸入したもの以外に何もないからだ」といふものだつた。前者は「実利主義」、後者は「自大思想」の弊に陥つてゐると戴季陶は慨嘆するのだ。
 
《 われわれ中国人は、ただ排斥と反対の一点張りで、研究はおろか、日本字は見るのもいや、日本語は聞くのもいや、これではまるで「思想における鎖国」「知識における義和団」も同然ではないか。》

 中国人と日本人の気風はどのやうに違ふか。

《 その違ひがもつとも甚だしい点は、日本人はどの面においても、中国人の晋朝人のやうに清談にふけつて一切の責任を負はない風や、六朝人のような軟弱、デカダンの悪風が見られないことである。》

 文明する享受する仕方はどうか?

《 日本民族の文明は、まだ歴史が浅い。封建制度が廃止されたのは、わずか六十年前のことである、それにもかかはらず、社会の文化は、中国よりはるかに進歩してゐる。》

《(中国においては)すぐれた理論、すぐれた制度があつても、中国に入つたとたん、まるで別物になつてしまふ。》

《 政治にたずさはる人間はろくすつぽ本も読まないか、たとへ読んだとしても、読んだ一句をすぐスローガンにして吐き出してしまふ連中ばかりだ。》

 中国においては、法律には人民の生活を保障する力がなく、政治には人民の行動を規制する力がない。

《 おまけに専制的な愚民政策ときてゐる。・・・民族の文化が日一日と野蛮の方向へ退化して行つたのは理の当然である。中国の礼教の長所が日本の社会に生かされ、礼教の腐つた、役に立たぬ惰力だけが中国に残されたのも、同じ理由からである。》

 日清戦争後、中国からには日本に留学生が押し寄せたものの、この日本ブームは一過性のものにすぎなかつた、と戴季陶はいふ。

《 中日戦争(日清戦争)後、とくに日露戦争から民国初年までは、東京の吸引力が頂点に達した時期である。全中国の青年は、日本維新の成功に魅せられ、日本に学ぶべく東京を目指した。日本留学は一つの流行となり、日本から帰れば難なく地位と金銭が保証された。かうなると、維新よりもこちらが魅力で、猫も杓子も東京へ行きたがる。最盛期には留学生三万にのぼつた。速成警察、速成師範、速成陸軍、何もかも「速成」で、東京に行きさえすれば、金と地位を手に入れる術をたやすく修得できたのである。だが欧州大戦後、空気は一変した。》

 ロシア革命の勃発とともに、日本ブームは共産主義ブームにとつてかはられてしまつたのである。

《 さあ、今度はモスクワだ。速成の革命者たちには、地位と名誉と金銭が思ひのままにえ得られた。かくて速成革命政治家、速成革命理論家、速成革命軍人の輩が町にも村にもあふれた。この流行病は、十五年前の東京熱と丁度見合つてゐた。》

《 五年にわたる大戦が中国青年をめざめさせた。突如としてロシアに労農革命が起こり、なにをおいてもマルクス主義に、ついでレーニン主義に走らせた。ロシアの野蛮専制を軽蔑する心理は一転して革命成功を崇拝する心理となり、圧迫に反抗する心理は援助受け入れの心理へと変はつた。》

 このあたりは、共産主義を嫌悪した国民党右派の重鎮だつた著者の見方がよくあらはれてゐる。

 第一次大戦とロシア革命の後、アジア政治の中心は東京とモスクワになつた。ところが中国は「世界の中心どころか、全国の中心さえつくり出すことができない」始末ではないか。

《 ここ十数年、中国の政治的変動はことごとく東京の出方によつて影響を受けてゐるのだ。最近七十年の東方の歴史は、前半が日本のロシアに対する臥薪嘗胆の生存闘争史。後半が日露両国の中国における争覇史であつた。そして大戦後は、両国の新しい争覇時代に入つた。》

 そのやうな状況にあつて、中国はどのやうに動いてゐるか。

《 東京に就くか、でなければモスクワに就くか、といつた意気地のないのが中国人の心理である。これぞみずから衰亡を招くものだ。》

 民族の生命とつて肝要なのは統一性と独立性であり、その統一性と独立性を育てるのに最も肝要なのが民族の自信である。しかるに、今の中国には統一性も独立性も自信もないではないか。

《 統一性と独立性ぬきの運動は、社会の各階級、各組織に、無自覚な破壊を生じさせ、止まるところがなくなる。自らの「動力」を失つた社会はいかなる制度も建設できない。日本民族の強、中国民族の弱、この強弱を分けたのは、まさにこの点である。》

《 あらゆる外からの勢力が、中国に侵入し、中国の民衆を圧迫し、中国の政局をかき乱し、中国の社会を混乱させたのも、その根本原因は、外にではなく内にある。》

 蒋介石による北伐が頓挫したのはなぜか。

《 今回の北伐戦争にしても。長江どまりで総崩れになつたのはなぜであらうか。もちろん、イギリス、日本、および共産党からの三大圧迫も失敗の原因であるが、それよりも腐敗堕落した社会を矯正できず、打算的な因襲を破れなかつたわれわれの弱点の方がもつと大きい。》

 戴季陶も、自国民と比較して日本人を誉めてゐるばかりではない。彼は日本社会に根本的な変化が起きてゐることに気がついてゐた。関東大震災の後、人心は大きく変化したと戴季陶は指摘する。

《 社会人心が日ましに「不平和」の方向へ悪化していくにつれ、尚武の精神も次第に消え失せていつた。・・・どの階級もことごとく打算的な商業心理、日本人のいはゆる「商人根性」に支配されてゐる。》

 日本の政治指導者たちの質も低下したといふ。

《 いまの日本は、政府の大臣であれ政党の領袖であれ、すべての政治担当者が、その日ぐらしの無気力、無意志、無計画の凡庸政客ばかりである。政権の獲得と保持だけに日夜汲々としており、日本民族の将来も、世界の将来も、かれらの念頭にはないのだ。このやうに政治の人材の払底してゐる日本は、前途は甚だ危険である。》

 戴季陶は国共内戦がほぼ終結した1949年2月に没し、その八カ月後に、中華人民共和国が成立した。

 今、戴季陶の『日本論』を読むと、中国人は当時も今もあまり変はつてゐないのではないかといふ気がする。「ただ排斥と反対の一点張り」なところ。今日本には大挙して中国人留学生が押し寄せてゐるけれど、かれらの目的は日本を知ることでも日本を研究することでもないといふ「実利主義」、そしてかれらが抱いてゐる潜在的な「自大思想」。

 汚職が蔓延する(といふより汚職が共産党支配構造の中に組み込まれてゐる)今の中国社会は戴季陶が嘆いた「腐敗堕落」した1920年代の中国社会そのままではないか。

 著者はことさら自国民の弱点をあげつらふために本書を執筆したのではない。「中国人はもつと真剣に日本研究に関心を向けるべきだ」「日本に反対し、日本を排斥するのも結構だが、そのためにはまず日本を知らなくてはならない」といふ思ひから書かれたものだ。しかし、日本と日本人のことを知るにつけ、自国民の不甲斐なさが思ひやられ、それを語らざるにはゐられなくなる。そんな印象を受ける。日中戦争がはじまる前に、中国人が自国民の弱点をこれほど率直に語つた書物はない。その意味で本書は貴重なのである。この本は国民党右派の代表的論客によつて書かれたものであるから、当然ながら大陸中国で出版されたことはない。


 
■天安門事件と天皇訪中




  ▼ 中共の「広告塔」として利用された天皇訪中
    「日本を突破口にせよ」ー鄧小平の対日工作



 天安門事件31周年の日に、ネットで当時の動画などを見てゐたら、天安門に掲げられた毛沢東の肖像画の上部に学生ら数人がとりついてゐる画像が目に入つた。毛沢東の肖像画を取り外そうとしてゐるやうにもみえる。事件後の天安門広場の映像では、毛沢東の肖像画は依然として天安門に鎮座してゐたから、学生らの毛沢東肖像画撤去の試みは失敗に終はつたのであらう。

 天安門広場とその周辺を埋め尽くした100万のデモ隊は人民解放軍の戦車により一夜のうちに鎮圧された。中共政府は厳重な報道管制を敷いたが、CNNなどの画像が流失し、天安門広場の流血事件を世界が知ることになつた。

 軍投入の最終決定を下した鄧小平は、「200人の死が中国は20年の安定をもたらすだらう」 と指導部に語つた。(実際に死んだのは、鄧小平の予測人数の少なくとも10倍と今では見積もられてゐる。)

 事件の全貌は闇に包まれてゐたものの、戒厳部隊により学生らの虐殺が実行されたことは明白だつた。鄧小平の改革・開放路線を支持してゐた欧米諸国も、中共政府が一党独裁の本質を露はにした流血事件を目の当たりにして、対中制裁に踏み切ることになる。これにより、中国に対する海外からの資金援助や投資などは全面的に停止された。

 日本政府は、昭和63年(1988年)に竹下首相が訪中した際、第三次円借款(90―95年度、総額8100億円)の供与を約束してゐたが、これを凍結した。

 海外からの資金流入が途絶えてしまつたら、中国の経済は成り立たない。経済封鎖された中共政府が、経済封鎖を打開する突破口として目をつけたのが日本だつた。

 天安門事件当時の日本の政局は、混乱の極にあつた。事件二日前の6月2日、竹下首相がリクルート疑惑などで退陣、後継の宇野首相も参院選敗北で69日の超短命政権にをはり、海部政権に引き継がれるといふ慌しさだつた。政権づくりに忙しい自民党幹部たちにとつて天安門事件などまるで関心がなかつたといつていい。

 天安門事件から一カ月後の7月はじめ、中共政府は北京に駐外大使を集め会議を開いた。

 そこで共産党指導部が駐外大使に指示したのは、
  「我が国への経済制裁に大しては、矛盾を利用して、より多くの工作を行ふ。」
  「対外工作の中心となるのは日本である。まず日本に経済制裁を取り消させ、徐々に他国にも広げてゆく。日本工作を重視せよ。」
 といふ方針であつた。

 当時、中共政府の外相をつとめてゐた銭其琛は回顧録の中で、
「日本は西側の対中制裁の連合戦線のもつとも弱い輪であり、中国が西側の制裁を打破する際におのずとよい突破口になつた」
 と当時を振り返つてゐる。

 外務省のチャイナスクールを形成する幹部たちは、天安門事件を共産党独裁国家による人権弾圧ととらへた欧米諸国とは異なつて、天安門事件を単に中国の内政問題と考へてゐた。中国政府が日本政府を御しやすしとみたのも無理はない。
 
 中共政府は、竹下登が退陣後も隠然とした力を保持してゐるのに気がつき、竹下派(経世会)幹部に対する篭絡作戦を集中的に展開した。

 これが功を奏して、日本政府は平成2年(1990)11月、円借款の凍結解除を正式決定する。

 中共政府は、対中経済制裁を解除させる第一作戦に成功した。

 次の作戦目標は、天皇の訪中に定められた。

 銭其琛は書いてゐる。

 「天皇訪中が実現すれば、西側各国が科した中国指導者との交流禁止令を打破できることになる。」

 中共政府は天安門事件が起きる前から、日本政府に対して天皇の訪中を働きかけてゐた。円借款の凍結解除に成功した後、今度は天皇訪中を対中封鎖全面解除に向けた最大戦略と位置付けて、天皇訪中工作を猛然と繰り広げることになるのだ。

 天皇訪中が実現すれば、対中封鎖解除に役立つのみならず、天皇から「謝罪とお詫び」の言葉を引き出すことができれば、歴史認識問題における勝利にもつながる。さらに、天安門事件後は日本国民の間にも反中国意識が広がつてゐたから、「天皇を取り込めば日本国民の心もつかめる」といふ計算もあつた。

 天皇訪中に対しては自民党内に強固に反対する勢力が存在した。天皇訪中に反対する大規模な集会が開催されたほど国民の間にも反対の声は強かつた。

 天皇訪中工作において、中共政府が攻略のターゲットにしたのが自民党副総裁の金丸信だつた。自民党のドンと呼ばれた金丸信は政界の最大実力者である。当時の宮澤政権を操つてゐたのは竹下派で、竹下派の親分が金丸信だつたから、金丸信は煮え切らない宮澤首相に「さつさと決断せよ」と迫り、天皇訪中を飲ませたのである。

 金丸信はもともと親台湾派だつたが、中共側は天安門事件直後から金丸に接待攻勢をかけて「そろそろ北京に行きませんか」とささやき、平成2年(1990)8月に金丸の北京訪問を実現させた。北京では楊尚昆国家主席、江沢民国家主席、楊尚昆国家主席、李鵬首相がそろつて会談に臨んで金丸を持ち上げた。

 訪中した翌月、金丸信は日本社会党の田辺誠らと訪朝団を結成し、団長として北朝鮮を訪問した。金日成は訪朝団を平壌のスタジアムに招待し、数千人が参加するマスゲームを見せて金丸を感激させる。金日成は金丸を二人だけの会談に引きずり込み、北朝鮮側の通訳だけを入れた会談で、金丸から日朝交渉での日本側の賠償の言質をとつたとされる。これ以降、北朝鮮側はこの時の金丸発言を賠償請求の根拠とすることになるが、日本側にはなんの記録も残つてゐない。金日成は、マスゲーム程度の歓待で舞ひ上がつてしまふ「自民党のドン」の性格を見抜いてゐたのである。

 平成4年(1992年)10月23日、天皇は皇后ともに中国を訪れた。

 この日の夜、北京の人民大会堂において歓迎晩餐会が開かれ、天皇のお言葉が語られた。

 これより6年後の平成10年、中国国家主席の江沢民が訪日した。中国元首としては初めての訪日であつた。

 江沢民は天皇主催の宮中晩餐会でスピーチした。

 「不幸なことに近代の歴史上、日本軍国主義は中国をはじめとしアジア諸国の人民に巨大な災害をもたらした。われわれは痛ましい歴史の教訓を永遠にくみとらなければならない。」

 外交儀礼に反するどころか、日本敵視あらはな江沢民のスピーチは参列者たち(天皇を含め)を凍りつかせた。
 宮中晩餐会に先立つて行はれた日中首脳会談でも、江沢民は小渕首相に対し、まくしたてた。

 「日本軍国主義は何度も中国人民に深刻な済南をもたらす侵略戦争を引き起こした。」 

「日本の閣僚は靖国神社に参拝して歴史を歪曲し、日本の右翼勢力は日本軍国主義が起こした南京大虐殺を否定するデマを流してゐる。」
 
「中日間の歴史問題をめぐる紛争は、日本側の一部勢力が挑発したものだ。」

 中国国内で反日教育や抗日施設の建設など反日政策を大々的に推し進めたのが江沢民政権である。江沢民の反日政策は以後の政権に引き継がれ、今の習近平政権に至つてゐる。

 習近平の国賓としての来日は延期になつたものの、習近平は国賓として訪日を諦めてゐない筈である。コロナウィルス禍の元凶としてアメリカはじめ世界中から指弾されてゐる今、日本の国賓として迎へられ、天皇とともに宮中晩餐会に臨むことの絶大な政治的効果を一番弁へてゐるのは習近平に相違ない。


■三島由紀夫雑記




  ▼ファッシズムは存在するか?
   ファッシスト呼ばはりされた三島由紀夫の答案



 昭和二十九年に発表された「ファッシズムは存在するか?」(のち「新ファッシズム論」と改題)といふ文章は、ファッシズムの思想と現象を正面切つて分析した政治論文である。

 「文化防衛論」を酷評した橋川文三のやうな政治学者でさへ、比類ないファッシズム論として激賞したほどの論文だつた。 

 論文といつても、冒頭にはいかにも三島由紀夫らしいふるつた前書きがある。

《 私がファッシズムに興味を抱いたのは、左翼系の某誌が私をファッシスト呼ばはりしてからであつた。大体、左翼の人は「ファッシスト」と呼ぶことを最大の悪口だと思つてゐるから、これは世間一般の言葉に翻訳すれば「大馬鹿野郎」とか「へうろく玉」程度の意味であらう。それにしても、この私が「何とかイスト」」呼ばはりされたのははじめてで、これが少々私の虚栄心をくすぐつた。共産党よりも口の悪い私の友人は、「お前も今までペデラストにすぎなかつたが、ファッシスト呼ばはりされれば、はじめてイストに昇格したんだから、大したもんだ」なんぞと云ふ。》

 三島由紀夫は、混乱したファッシズムの概念を、鋭利な刃物で見事に切り分けてみせる。

 ファッシズムとは何か?

●ファッシズムは、本質的に西洋的現象であり、主にイタリーとドイツのナチズムに限定して考へるのが本筋である。

●現存の政治形態は、技術的な政治と、世界観的な政治の二種に大別できる。前者の代表が議会制民主主義であり、後者の代表がファッシズムとコミュニズムである。

●世界観的な政治では、権力は体系的なものとなり、政治理念は宗教道徳科学芸術あらゆるものを包摂し、そのため一見文化主義のやうな形をとることさへある。

●コミュニズムが政治の科学化、乃至は科学の政治化を企てたとするなら、ファッシズムは芸術の政治家を企てたものといへる。

 しからば、二十世紀の日本においてファッシズムは存在したか?

 否、といふのが三島の答案である。日本は「二十世紀現象としてのファッシズムとは縁が遠かつた」といふ。なぜか。

●戦前の日本の右翼は悉く天皇主義者である。

●かれらの思想は極度に人工的な体系を欠いてゐた。

●ファッシズムは世界観的な政治形態であるから、自然発生的な天皇制とは相入れない。
●日本の戦時中の言論統制などは、技術的な政治の理論的混乱とより以上には考へられない。

●軍部独裁は歴史上にしばしばみられたところで何の新味もない。

●統制経済と言論統制は世界観的政治の技術的模倣にすぎない。

●日本の軍人の犯した悪は、ファッシズムの悪といふより、人間悪、権力悪の表現であつた。

●人間悪はファッシズムなんかを乗り越えて広大である。

 西欧のファッシズムはなぜインテリゲンチャの人心を収攬したか?

 「ファッシズムはニヒリズムにおもねつたからである」と三島は云ふ。

 ニヒリズムとファッシズムの関係は次のやうに説明される。

●ファッシズムは、反理知主義であり、何らの思弁的体系ではなく、特定のテーゼから出発してゐるものでもない。

●思索と行動は常に不可分であり、ファッシズムは行動に移されない思索を尊重しない。
●二十世紀初頭の西欧には、ニヒリズムによる反理知主義の風潮が滔滔たるものがあつた。

●このニヒリズムにおもねつて世に出たのがファッシズムである。

●無の絶対化によつてニヒリストは自我崩壊と世界崩壊に直面し、ファッシズムの受け入れ態勢を作つた。

●能動的ニヒリズムの一傾向がファッシズムを志向した。

●絶望者は自分の獲得した無意味を、最善の方法で保有しようと希む。ニヒリストは徹底した偽善者になる。

●ニヒリストは相対主義には決して陥らない。無の絶対化が前提になつてゐるから、絶対主義こそは無の最上のモデルとなる。

●ファッシズムの発生は西欧の十九世紀後半から二十世紀初頭にかけての精神状況と切り離せない。

●日本の右翼の楽天主義とファッシズムほど程遠いものはない。

 民族主義とファッシズムはいかなる関係にあるか?

「ファッシズムにとつて民族主義は二次的なものである」と三島はいふ。

●民族主義はファッシズムにとつて二次的なものであり、民族主義の基礎は唯我哲学の拡張にすぎなかつた。

●日本の右翼がファッシズムと相渉るのは、主としてこの二次的な面である。

●民族主義と全体主義の間には本質的差異がある。

 しからば、ファッシズムは再来するのであらうか?

 三島によると、今日ファッシズムの脅威と呼ばれてゐるものは、実は疑似ファッシズム、或ひは「反映としてのファッシズム」の脅威にほかならない。

 反映としてのファッシズムとは、本来技術的な政治形態の国家が、たとへば「反共」といふ観念に熱中して、おのれの相対主義を捨て、世界観的な政治を模倣することをいふ。
 「自由」なる観念が絶対的な一理念の姿を装つて、この絶対主義の無理な模倣が世界を覆つてゐる。これが「政治の理想主義の害悪」なのである。

《 西欧のファッシズムは、二十世紀前半の尖鋭な歴史的事件であつた。それがそのままの形で再現することは、私にはありさうに思はれない。》

 これが三島由紀夫のファッシズム分析の結論である。

 とはいひながら、暴力と残酷は人間に普遍的である。いやしくも絶望の存在するところには、必ずファッシズムの萌芽がひそんでゐる。

 で、最後に、三島由紀夫は「コミュニスト諸君」に呼びかけるのだ。

《 人をやたらにファッシスト呼ばはりするのはお止めなさい。ファッシストと呼ばれることが、正にその呼ばれた人間をファッシストにしてしまふのである。》

 三島由紀夫がこれを書いた昭和二十九年は、米ソの冷戦真つただ中の時代であり、日本でも左翼活動が盛り上がつてゐた時期にあたる。言論界やマスコミでは日本断罪論が主流で、歴史学者たちは戦前の日本をナチスドイツに比すべきファッシズム国家と規定してゐた。

 戦時中の軍部独裁体制について三島は、例へば、東條英機が政治的敵対者に対して懲罰召集を行つたことを激しく悪(にく)んでゐたけれど、東條がニヒリズムの権化であるヒットラーとは似ても似つかぬ「卑小」な人物であり、東條の犯した悪が小役人的「権力悪」にすぎないことは三島にとつて自明の理であつた。

 戦前の言論統制でひどい目にあつたといふ知識人たちの話を聞くたびに、三島由紀夫は、あんなものファッシズムでもなんでもない、と一笑に付してゐたのである。

 三島はこの文章を、ファッシズム関係のいくつかの文献を参照して書いたと断つてゐる。これら文献(左翼理論家を含む)の生硬な文章をわざわざ引用してゐるのは、「ファッシズムの世界観といふのはこんなにおどろおどろしいものなんだよ。こんなものが日本にあつたかね」と、甘つちよろい日本の左翼を揶揄つたのであらう。

 


リンク
三島由紀夫「女系天皇容認」説の陰謀を暴く
「売文業者」渡部昇一の嘘八百を斬る
安倍政権が残した「負の遺産」
「富田メモ」と捏造された「スクープ」
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Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト・評論家。皇室問題やフェミニズム問題に取り組む。三島由紀夫研究家。國語問題研究家。


フェミニズム論の著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

皇室関連の著作としては『天皇を喰ひ物にした侍従長』『天皇と宮内庁の「背信」』など。

執筆には正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を使用、当ブログも正仮名遣ひを用ゐる。

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領土消失 規制なき外国人の土地買収
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誰が第二次世界大戦を起こしたのか: フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く
移民 難民 ドイツ・ヨーロッパの現実2011-2019
それでもバカとは戦え
令和への伝言
男と女の戦争
私の国語教室
断腸亭日乗
中谷宇吉郎随筆集
牧野富太郎自叙伝