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■森鷗外と三島由紀夫
 ―近代日本語の創始者と完成者と―


  ▼三島由紀夫の鷗外崇拝(第十回)

   鷗外の「文づかひ」をそのまま取り入れた『春の雪』

   「文づかひ」を選んだイイダ姫と聰子の類縁





 

 三島由紀夫の『春の雪』が森鷗外の「文づかひ」に依拠してゐるとみられるのは、ヒロイン綾倉聰子の造型ばかりではない。

 ほかでもない、鷗外作品のタイトルそのものの「文づかひ」、つまり手紙を誰かに託すといふ行為そのものが『春の雪』の中に取り入れられてゐるのである。

 そして、「文づかひ」と「文」=手紙をめぐつて『春の雪』の物語は回転してゆき、最後に劇的カタストロフィーが訪れるのだ。『春の雪』を注意深く読んだ人は、清顕と聰子の間に生ずる悲劇は、すべて「文」から生じてくることに気がつく筈である。

 『春の雪』の中に、「文づかひ」といふ言葉が登場するところがある。

 それは綾倉聰子が松枝清顕に恋文をおくる時の、次のやうな場面である。


《 松枝家に来た郵便物は一旦執事の山田の手をとほり、蒔絵の紋散らしの盆に麗々しく載せられて、山田みづから主筋へ配つて歩くしきたりになつてゐたので、それと知つた聰子は用心して、蓼科を文づかひに立て、飯沼に手渡すことに決めてゐた。》

 多くの使用人などを抱へてゐる松枝侯爵家では、郵便物が届くと、執事が一括して受け取り、盆に載せて配つて歩く。秘密の恋文など送つたらたちまち家中に知られてしまふ。
 そこで聰子は用心して、蓼科を「文づかひ」に立て、飯沼に手渡すことに決めてゐたといふのである。蓼科は綾倉伯爵家の老女である。飯沼は松枝侯爵家の清顕付きの書生である。

《 その飯沼が、卒業試験の準備にいそがしい折柄、蓼科を迎へて受けとり、清顕の手に首尾よく届けた聰子の恋文。》

 で、この後、「雪の朝のことを思ふにつけ・・・」で始まり、「この文は何卒お忘れなく御火中下さいますやうに」で終はる、綿々とつづられた聰子からの文が紹介されるわけであるが、眼をとめていただきたのは、ここの説明文に出て来る「清顕の手に首尾よく届けた聰子の恋文」といふ一句である。「首尾よく届けた」とある。

 さてここで、森鷗外の「文づかひ」をもう一度振り返つてみよう。

 ドイツに留学した日本人士官は、演習の途次に立ち寄つたビュロウ伯の城で、美しいイイダ姫に会ふ。そして、そのあくる日、彼はイイダ姫から、伯母である伯爵夫人に手紙を届けてくれるやう託されるのだ。

 イイダ姫は云ふ。演習が終はればあなたはドレスデンにゆかれ、王宮にも招かれ国務大臣の館にも迎へられるでせう。国務大臣ファブリイス伯爵の夫人が私の伯母であることはお聞きになつてゐるここと思ひますと云つて、イイダ姫はドレスの間から文を取り出して士官に渡し、「これを人しれず大臣の夫人に届け玉へ、人知れず、」と頼む。

 士官は怪訝に思ふ。昨日知り合つたばかりの、しかも異国の人間に、大事な文を伯母に渡すやうな大役を託すとは。しかも、この伯母がゐる館にはイイダ姫の姉も一緒に住んでゐるのである。この城の人に知られたくなければ、「ひそかに郵便に附しても善からむ」のに、妙な振舞ひに及ぶイイダ姫は「こころ狂ひたるにやあらずやに」とさへ考へてしまふ。

 そのやうな士官の心中を見透かしたやうに、イイダ姫は訳を説明する。

《 ファブリイス伯爵夫人のわが伯母なることは、聞きてやおはさむ。わが姉もかしこにあれど、それにも知られぬを願ひて、君が御助を借らむとこそおもひ侍れ。ここの人への心づかひのみならば、郵便もあめれど、それすら独出づること稀なる身には、協(かな)ひがたきをおもひやり玉へ。》

 わが姉もかしこにゐるが、彼女にも知られたくない。ここの人間に知られたくないだけなら、郵便もあるけれど、一人で外へ出ることの難しい身では、それさへもかなはない。

 誰にも知られたくないばかりに、郵便ではなく「文づかひ」といふ方法を選んだイイダ姫。

 『春の雪』の作者が、ここから、「誰にも知られたくないばかりに、郵便ではなく文づかひといふ方法を選んだ聰子」を発想したことはほぼ間違ひあるまい。

 鷗外の「文づかひ」では、イイダ姫から文を託された士官は後日、伯爵の夜会に招かれ、そこで伯爵夫人の傍に歩み寄り、事の次第を手短に述べて、
 「首尾よくイイダ姫が文を渡しぬ」
 とある。

 『春の雪』には、かう書かれてゐた筈だ。

 「清顕の手に首尾よく届けた聰子の恋文」

 『春の雪』の作者は、ここでも、鷗外の「文づかひ」を忠実になぞつてゐることがわかると思ふ。

    
    (續く)








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tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト・評論家。皇室問題やフェミニズム問題に取り組む。三島由紀夫研究家。國語問題研究家。


フェミニズム論の著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

皇室関連の著作としては『天皇を喰ひ物にした侍従長』『天皇と宮内庁の「背信」』など。

執筆には正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を使用、当ブログも正仮名遣ひを用ゐる。

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