■宮内庁長官羽毛田信吾の罪状(その二)

◎「愛子さまの参内少ない」発言で、天皇と東宮家の亀裂拡大を図つた宮内庁長官

 天皇と東宮家との対立工作を開始するにあたつて、奸臣羽毛田が目をつけたのは何だつたか? それは、ほかでもない、例の国民を驚愕させた愛子内親王の参内問題なのだ。

 事実関係を振り返つてみよう。

 事の発端は、平成20年2月13日に行はれた宮内庁長官の定例記者会見だつた。そこで羽毛田長官は次のやうな発言をした。

 《天皇陛下の一昨年のお誕生日の記者会見で、愛子さまと会ふ機会が少ないことは残念だといふご発言があり、皇太子殿下はそれを受けて、昨年の会見でこれからも両陛下にお会ひする機会をつくつていきたいと思ふとお述べになつた。しかし、昨年一年を見る限りは、ご参内の回数は増えてゐない。両陛下も心配しておられると思ふ。殿下ご自身が記者会見でご発言になつたことなので、大切になさつていただければと思ふ》

《天皇陛下が皇太子であられた時代には、当時の両陛下がご在京で両殿下もご在京の場合、できる限りご一家で毎週一回、ご参内になるのを定例になさつておられた。陛下がお招きになられる場合や、行事に伴つてご参内される場合を別にすると、殿下のご発意によりご一家でご参内になられるのは年に二、三回といふ程度にとどまつてゐる》

 実に面妖極まりない記者会見だつた。愛子内親王は天皇の孫である。四人おられる孫(この二年前に悠仁親王が誕生されてゐる)のおひとりにすぎない。天皇が孫に会ひたいといふのは、天皇といふお立場を離れても、祖父として当然の感情であらう。しかし、天皇が孫に会ふ回数が少なすぎるとマスコミを通じて訴へるといふことが、果たして宮内庁長官の仕事なのか? 常識的な国民はさう考へる。

 今、訴へるといふ言葉を使つたが、記者会見を通じて羽毛田が訴へたかつた相手は誰なのか。皇太子か。

 しかし、記者会見の質疑の中で羽毛田はこんなことを述べてゐる。

《(この件について)東宮職にも話したし、殿下にもお話はしました。努力をしたいといふことは言つておられました》

 皇太子には羽毛田の意見は既に伝へてあり、努力したいといふ返事も得てゐるといふ。

 さらに羽毛田はこんな事実までばらしてゐる。
 
《今日もお話をしました。まもなく会見が来るもんですから。今回初めて申し上げたといふやうな話じやない。》

 つまり、この記者会見当日も、皇太子に会つて話をしたといふのだ。

 ここで大きな疑問がわく。羽毛田はこの日、皇太子に会つた時、その後に予定されてゐる記者会見において、自分が参内問題を持ち出すことを皇太子に伝へてゐたのか?

 もし伝へてゐなかつたとすれば、これは皇太子に対する不意打ちだ。自分がこれから記者会見で皇太子を槍玉にあげる、しかし、その事を当の皇太子に伝へない。皇族に対するこれほどの背信行為はない。

 もし、「この後の記者会見で殿下のことを取り上げる」と伝へてゐたとすれば、「記者会見を通じて圧力をかけるからそのおつもりで」と皇太子に最後通告したに等しい。

 羽毛田は、天皇が孫と面会するといふにすぎない問題を「公的」問題に粉飾するために巧妙な策略をめぐらせた。それは「皇太子が約束を果たしてゐない」といふ一点に絞つて、皇太子を非難するといふ戦略である。

 羽毛田は会見で、天皇から《一昨年のお誕生日の記者会見で愛子さまと会ふ機会が少ないことは残念だといふご発言》があり、これに対して皇太子から《昨年の会見で、これからも両陛下にお会ひする機会をつくつていきたいと思ふ》といふ発言を紹介した。その上で、今も面会は《年に二、三回といふ程度にとどまつてゐる》と強調したのも、「約束を果たしてゐない皇太子」といふイメージづくりのためだ。

 羽毛田が皇太子攻撃の火蓋を切つた平成20年2月13日は、皇太子殿下の御生誕日(2月23日)の丁度10日前。2月21日には、皇太子の記者会見が予定されてゐた。このタイミングを偶然とみるものはゐないだらう。記者会見における皇太子の発言にはいやがうへにも注目が集まつた。

 しかし記者会見において皇太子は、参内問題について事実上コメントを避けた。この後、皇太子は以前にもまして心を閉ざし、天皇と東宮との関係はますます悪化した。

 しかし一方で、対皇室世論、特に反東宮派の間で羽毛田長官を評価する声が一気に高まつた。「天皇陛下が愛子さまに会へないなんて可愛さう」「年に二、三回はあんまり」といふ声が噴出し、「宮内庁長官は天皇陛下のお心をくみとつて皇太子に苦言を呈した」「天皇陛下の意を受けての発言」と、いつのまにか羽毛田長官を支持する世論が優勢になつた。

 記者会見で「参内が増えない理由は」と聞かれた羽毛田は、「分かりません。(皇太子さまが)おつしやれば私もご披露したつて構はないけれども、特におつしやらない以上、申し上げようがない」とシャーシャーと答へた。

 愛子内親王の参内が少ない原因は、国民のだれもが知つてゐる。東宮妃にあることを。東宮妃の常軌を逸した振る舞ひが天皇と東宮の不和の根幹にあることは明白である。皇太子は明らかに東宮家における当事者能力を欠いてゐる。

 天皇と東宮との関係がこのやうに悪化した時、公家も華族も藩屏も存在しない現在、関係修復に乗り出せる立場にある人間は多くない。宮内庁長官はその中の一人、といふよりほとんど唯一といつていい公人かもしれない。

 しかしこの宮内庁長官は天皇と東宮の関係修復にまつたく動かうとしなかつた。関係修復に動くどころか、おそるべきことに、逆に天皇と東宮との対立を煽る方向に走り始めてしまつた。

 目的はただひとつ、天皇に対して自分が忠臣であることを印象付けること。この目的の下にすべては計画的に遂行された。

 羽毛田の逆上を知るためには、秋篠宮妃の御懐妊の時までさかのぼらなければならない。

 長官に就任して以来、羽毛田に最大の衝撃を与へたのは、平成18年の秋篠宮妃御懐妊だつた。

 皇室典範有識者会議の報告書通り、女系天皇を認めるための改悪皇室典範を国会に提出しようとした矢先に、秋篠宮妃御懐妊の報が日本中をかけめぐつた。ところが秋篠宮妃御懐妊といふ重大事実を、なんと宮内庁長官が知らされてゐなかつことが発覚した。秋篠宮家側が宮内庁長官に知らせなかつたのはもちろん、秋篠宮家から事前に報告を受けてゐた天皇も宮内庁長官には黙秘を貫いたのだ。

 皇室典範改悪計画達成まであと一歩のところで邪魔が入つたといふ無念。秋篠宮妃御懐妊といふ国家的ニュースの中で、宮内庁長官がカヤの外におかれたといふ屈辱。

 天皇がこの宮内庁長官にまつたく信を置いてゐなかつたことが天下に知れわたつてしまつたわけだ。それが厚生労働省局長時代のノーパンしゃぶしゃぶ接待の前科とどのやうな関係があるのか私は知らない。しかし、天皇が秋篠宮家の第三子づくりにゴーサインを出し、秋篠宮御夫妻がそろつてコウノトリの歌を詠むといふ「極秘お世継ぎ作戦」を振り返つてみれば、天皇と秋篠宮は宮内庁長官による妨害を警戒してゐたことが分かる。天皇は、羽毛田が小泉官邸と足並みを揃へて女系天皇実現に向けて突つ走るのを快く思つておられなかつた。

 天皇から信頼されてゐないと気づいた宮内庁長官は愕然とした。しかし女系天皇を実現するためにはこのままおめおめと引き下がるわけにはいかない。奸臣は考へた。天皇の「信頼」を勝ち得るためにはどうしたらいいか。さうだ、天皇に対して「忠臣ぶり」を発揮しよう。しかし、通り一遍のことでは、失はれた天皇の信頼(といふかそれまで一度も天皇の信頼など得たことはなかつたわけだが)を回復することはできない。さうだ、あの方に犠牲になつていただかう。あの方―皇太子である。

 天皇と東宮との間の紛争において、ひたすら天皇の側に立つこと。そして天皇の代弁者になること。東宮側からどうみられやうと知つたことではない。宮内庁長官が悪者になつて東宮に苦言を呈してゐるといふ構図は、天皇に対して忠臣ぶりを示すのに少しは効果があるだらう・・・・・。つまり、皇太子はスケープゴートにされたわけだ。

 かくて、宮内庁長官による皇太子攻撃が開始された。それが愛子内親王の参内問題だつた。国民の目からみると唐突で不自然な宮内庁長官の記者会見は、天皇の目を意識して演じられた大芝居だつた。

            (この項続く)
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プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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