■カルト集団独裁者が唱へる「平和憲法」遵守のお題目


 創価学会の池田大作はかつて、こんなことを言つてゐた。
 
「我が国の平和論として、平和憲法を徹底して遵守する。最近の『有事立法』の論議などは、平和憲法そのものを形骸化させかねない危険な動向」(昭和54年)

「平和憲法の精神と理想とを、あらゆる国々、あらゆる民族の心に植え付け、戦争放棄の人間世界を広げる」(昭和58年)

 絶対平和主義者を気取るこのカルト集団独裁者は、このやうに日本国憲法を世界に類なき平和憲法と賛美し、平和憲法遵守のお題目を唱へてきたのだ。
 
 日本の支配者を夢見る池田大作が創設した政治集団公明党が、独裁者の号令に服し、平和憲法を守りませうといふお題目集団と化したことはいふまでもない。
 
 「聖教新聞」「潮」「第三文明」など創価学会と公明党の媒体をあげて、池田センセーがどれほど熱心に「非暴力と平和活動」に取り組んでをられるかを宣伝し、外国の文化人を招いては対談していただき(近年の対談はすべて作文だが)、池田センセーにノーベル平和賞を受賞していただく―これが有害カルト集団信者たちの永年の悲願だつた。
 
 昭和四十年代から五十年代にかけての左翼全盛期、東京都庁に赤旗が翻つたことがある。美濃部都政の時代である。東京都庁はさながら左翼活動家と組合員たちのアジトの様相を呈した。
 
 ゴリゴリの左翼学者美濃部亮吉を都知事に担ぎ出したのが、社会党と共産党だつた。美濃部は都知事を三期つとめるが、二期目の途中から美濃部都政の与党になつたのが公明党。
 
 公明党は社会党、共産党と足並みをそろへて憲法改正絶対反対を唱へて「護憲」三派連合を形成、美濃部都政の自衛隊敵視政策などを強力に支援したのだつた。
 
 公明党といふ政党は共産党とも実に相性のいい政党だといふことを覚えておいた方がいい。
 
 公明党が美濃部都政の与党入りしたことについては、面白い話がある。
 
 ある時、池田大作がパリのホテルに滞在してゐた。ホテルの一室に池田を訪ねてきた人物があつた。美濃部都知事である。
 
 ドアを開けて入るなり美濃部は土下座した。そして、床に頭をすりつけて、「池田センセイ、どうかセンセイのお力によつて、この私をお助け下さい」と嘆願した。
 
 美濃部が退出すると、池田大作は東京の創価学会本部に電話を入れた。
 
 「おい、美濃部が来て土下座しやがつたぞ。今日から与党だ」

 バラマキ政策のツケで財政赤字が進行する中、少数与党で都政運営に窮した美濃部がすがつた相手がほかならぬ池田大作だつた。
 
 かうして公明党は美濃部都政の与党入りを果たし、与党といふもののうまみを知ることになる。

 

 

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プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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