■「日韓合意」は第二の「河野談話」だ(8)


 「河野談話」といふ名の「日韓合意」
  韓国側の関与を隠蔽したカラクリ




 「河野談話」が出された平成5年(1993年)は政局が激動した年だつた。
 
 衆議院本会議で宮澤内閣の不信任決議案が可決されるや、宮澤首相は衆議院を解散。7月18日の総選挙で自民党は過半数を割り、宮澤首相は7月22日、退陣を表明。8月5日、総辞職。8月9日、7党1会派による細川連立内閣が発足し、自民党長期政権が終焉した。

 宮澤内閣は総辞職する前日の8月4日、慰安婦問題に関する調査結果を発表するとともに、河野官房長官が談話を発表した。これが「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」、通称「河野談話」と呼ばれるものだ。
 
 この「河野談話」には、二重三重のカラクリが仕組まれてゐたことが今では明らかになつてゐる。
 
 まず、「官房長官談話」といふ形式。
 
 「官房長官談話」なんてものが出されれば、日本政府は慰安婦問題に関する見解をこんな形で表明したと誰しも考へる。「談話」の作成者たちのつけ目もそこにあつたといへる。
 
 「河野談話」は日本政府が独自に作成したものではない。
 
 韓国政府と交渉が行はれ、韓国側の要求を容れ、両国で文言をすり合はせた末にでき上つた文書、それが「河野談話」の正体なのだ。
 
 従つて、「河野談話」とは、正しく言へば慰安婦問題に関する「日韓合意」文書といふことになる。
 
 「河野談話作成過程等に関する検討チーム」が平成26年に発表したレポート「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯」はそのへんの事情を克明に記してゐる。
 
 「河野談話」のカラクリを隠蔽するために日韓政府間で密約が交はされた。
 
 それは、河野談話の作成にあたつて韓国政府は一切関知しなかつたことにするといふ密約である。韓国政府は、日本側から送られてきた一枚のファックスによつて発表文をはじめて知つたといふことにしたいと述べた。最終的に両国間で「事前協議は行つておらず、今回の調査結果はその直前に伝達した」といふストーリーを取り決めた。

 だから、「河野談話」は、日韓政府間で密約がなされ上に成立した「日韓合意」文書と呼ぶのが正しい。
 
 「河野談話」は日本側が行つた元慰安婦の聞き取り調査(7月26日~30日)の結果をふまへて作成されたと喧伝されたが、これもウソ。実際は、元慰安婦の聞き取り調査が終了する前に、談話の原案はすでに作成されてゐたのだ。
 
 原案に対して韓国側はあれこれ要求を突き付け、「強制性」については、全体として個人の意思に反して行はれることが多かつたと受け止められるようにせよ、といふ韓国側の要求をのみ、「甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して」といふ文言で最終調整された。
 
 河野談話の発表前夜の8月3日夜、韓国側から「金泳三大統領は日本側の最終案を評価してをり、韓国政府としてはこの案文で結構である」といふ連絡が入つた。この事実ほど、河野談話が「日韓合意」そのものであることを示す証拠はない。
 
 慰安婦問題をめぐる韓国政府との事前調整は、平成4年1月の加藤官房長官による「加藤談話」が作成される際にも行はれてゐた事実も、同レポートによつて明らかにされた。
 
 まだ元慰安婦の聞き取り調査が行はれてゐた7月28日、日韓外相会談が開かれ、武藤外相は「この問題については右をもつて一応区切りをつけたい」と述べた。
 
 退陣前に決着をつけておきたいといふ宮澤内閣の姿勢が、「河野談話」といふ名の「日韓合意」を生んだことは明らかだが、この「日韓合意」が慰安婦問題を決着させるどころか新たな発火点になつたことは歴史が教へてくれる通りだ。
 
 「河野談話」が第一の「日韓合意」とするなら、安倍政権による「日韓合意」は第二の「日韓合意」と呼ぶのがふさわしい。そのやうに位置づけることによつて、安倍内閣「日韓合意」の本質がみえてくると思ふ。
 
 
 
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック URL
トラックバック
プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ