■寛仁親王殿下の御無念

 薨去された寛仁親王殿下(三笠宮崇仁親王殿下の第一親王)は、皇室に巣食ふ奸臣グループに公然と戦ひを挑まれた勇気ある皇族だつた。

 奸臣グループが皇室典範有識者会議を発足させ女系天皇擁立に向けた動きが急展開する中、寛仁親王殿下は皇族方の中でただお一人、これらの策動を公然と批判する声をあげられた。

 有識者会議が中間報告を出して、事実上女系天皇容認を打ち出したのが平成十七年七月。その直後から寛仁親王は次々に雑誌等のインタビューに応じられ、女系天皇反対の御意見を表明された。

 平成十七年九月三十日 柏朋会会報      
 平成十八年一月三日 毎日新聞インタビュー 
 平成十八年二月号 日本の息吹      
 平成十八年二月号 文藝春秋       
 平成十八年三月号 正論         

 寛仁親王は女系天皇反対論を披瀝するに至つた御覚悟を次のやうに説明してをられる。(以下、引用記事はすべて「日本の息吹」)

《本来我々皇族は黙っていないといけないことだと思いますが、にもかかわらず私がこういうインタヴューに応じたり、かなり積極的に発言しているのは国家の未曾有の大事件と思うので、あえて火中の栗を拾いに行っているようなきらいがあります。》

 さらに、国民は誤つた情報操作によつて動かされてゐると警鐘を鳴らす。

《皆さんが民主主義を守っていこうとなさるのなら、個々人がしっかりして戴かないと困ります。皆さんが考えに考え抜かれたうえで結論がAになろうがBになろうが、我々にはそれに反対する理由はありませんが、もし情報が全くゼロの中で○か×かとやられたらたまりません。その意味で、この記事は出来るだけ広く読まれて欲しいし、真剣にメンバーの皆さん方が考えて下さって、また周りの方々に広めて運動体にして戴いて、本当の世論を形成して戴きたい。女帝に七十何パーセント賛成しているというような世論調査の結果は、まだそういう正しい情報が行き渡っていないからではないでしょうか。ですからしっかりした意見をもって皆さんが声を上げてくださることが今一番必要なのではないでしょうか。》
 
 続けて寛仁親王は、政治との絡みについてかう言はれる。
 
 《いまだかつて私は講演など公衆の面前ではいっさい政治に触れることは言っておりませんが、この典範問題は単純な政治問題ではなく、日本国の歴史が変わるか否かという大事と理解しています。ですから、今は遠慮なく皆さんの前でも発言するべしと現在は思っていますが、ひとたび法案が国会にかかってしまえば、皇族は政治的発言を封じられてしまっているわけですから、もう私は何も話せません。 》

 これは、皇族の政治的発言と批判されるのを承知の上で、自分は法案を通さないために発言してゐる、といふ大胆極まりない表明である。

 寛仁親王は奸臣グループに乗せられて皇室典範改悪に向けて突つ走る小泉首相の首相の姿もよくみえてゐた。

《皆さんが考え得ることは二つあると思います。一つは総理大臣が何としてでも任期中にこの大きな変革を自分の手でなしとげたいという気持ちがもし仮にあったとしたら、有識者会議はご自分のお作りになった私的諮問機関なので、万難を排してこの線でいけと指示を出しているという可能性が考えられます。》

 羽毛田長官がささやき回つた「女系天皇は天皇の意思である」といふデマについても、次のやうに暴露してゐる。
 
《もう一つは、これは絶対にあり得ないと私は思いますが、色々な人に聞くと、「これは陛下のご意思である」と言っている人がいるそうですね。周りの人たちが陛下のお気持ちを勝手に斟酌し、解釈してしまうことは、かつてのご訪中の時の二番煎じです。平成四年に陛下が中国をご訪問になった時に、私と私のブレーン四名は、二国間が平和な状況にないときに陛下に親書のために行っていただくことはまかりならんと反対論を唱えました。しかし、政治家や外交官が、「これは陛下のご意思である」と押し切って結局まとめ上げてしまったことがありました。》

《今度のことも、私は陛下と直接お話をしていませんが、陛下のお立場でああせよ、こうせよとおっしゃるわけがない。私は身内として陛下のお立場を考えた時に、陛下がおっしゃるとすれば、確かにこのまま行けば本当に先細ってしまうわけですから、平成の御代のうちに何らかの皇室典範の改定ということは必要であるから、きちんとしておいて欲しいということを宮内庁長官他に発言されたであろうことは想像に難くないと思います。ただし(女系だとか長子優先だとか)具体的におっしゃるわけがないということは声を大にして言っておきたいですね。陛下は、そういう細かな点を指示なさるようなご性格の方ではないということを私は良くわかっていますから、全く心配していません。総理がどうおっしゃったのかは知りませんが、陛下がどうこうおっしゃったということはまずあり得ないと思います。 》

 寛仁親王の御発言に対して、羽毛田が口封じに動いたのが、平成十八年一月十二日の記者会見。

《今年になつていろいろ(発言が)出てゐるので憂慮せざるを得ない。正直『困ったな』といふ気
持ちが強い》《皇室の方々が発言を控へていただくのが妥当》

 一月十二日はちやうど、歌会始めが皇居において営まれた日。例の秋篠宮・同妃のこふのとりのお歌が発表された日である。

 天皇秋篠宮による第三子作戦が着々と進行してゐて、秋篠宮・同妃が国民にシグナルを送られてゐたのに、このマヌケ長官はまつたくそのことに気づかず、寛仁親王の口封じに大わらわになつてゐたのだ。

 マヌケ長官は秋篠宮妃の御懐妊が二月七日に明らかになつて、天下に恥をさらすことになる。

 悠仁親王殿下の御誕生、寛仁親王殿下の御努力などによつて、小泉内閣時の女系天皇擁立計画はいつたん挫折せしめることができた。

 しかるに、昨年来、奸臣グループは「女性宮家」と名を変えて女系天皇擁立の策動を再び活発化させてきた。しかし、寛仁親王はもはや奸臣グループの策動に反対の声をあげることはできなかつた。既に声を失はれ、癌細胞に全身を蝕まれてゐたからである。殿下の御無念いかばかりかと拝察される。

 寛仁親王殿下は、平成の御世において時の権臣に反旗を翻した勇気ある皇族として永遠に記憶されなければならない。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック URL
トラックバック
プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ