■「自分は上皇になる」と言ひ出したのは今上天皇である
 「譲位後の呼称」論議が触れたがらぬ天皇の「真意」




 天皇譲位に関する有識者会議で、天皇の譲位後の呼称をどうするかといふ問題が議論されてゐる。

 「前天皇」とするか、「上皇」と呼ぶか、「太上天皇」と呼ぶかといふ話である。

 3月22日に開催された第10回有識者会議では、意見を聞かれた3人の専門家(なんだらうね、一応」)たちは、ひとりが「上皇」派、二人が「上皇=太上天皇」派だつた。

 本来「上皇」は、「太上天皇」の「上」と「皇」をとつて、「太上天皇」を略したものだから、「上皇」と「太上天皇」は同じ意味だからどちらでもよいといふのが「上皇=太上天皇」派の意見である。

(「上皇」と呼ぶべきだと述べた人物(本郷恵子・東大資料編纂所教授)は「太上」には無上や至上の意味があるので、天皇との関係で上下感を生まぬやう「上皇」を使用した方がよいといふ珍説を開陳した。どうしても「上皇」を使ひたいので、「太上」の方に難癖をつけるといふ高等戦術を思ひついたものらしい。)

 さてここで、「上皇」といふ呼称について考へてみたい。

 「上皇」といふ呼称はたしかに「太上天皇」に由来するもので、「上皇」の正式な称号はあくまでも「太上天皇」である。

 しかし、歴史の上での使はれ方としては、「太上天皇」イコール「上皇」ではない。

 我が国の歴史において、「上皇」といふ呼称は半ば公称化されてゐたことをみんな忘れたふりをしてゐる。

 白河天皇は譲位後、白河太上天皇と呼ばれたわけではない。白河上皇である。

 鳥羽天皇は譲位後、白河太上天皇と呼ばれたわけではない。鳥羽上皇である。

 鳥羽上皇の執政の時代を鳥羽院政といふ。

 鳥羽院政の頃、「天下を政(まつりごと)するは上皇御一人なり」といはれた。

 院政の院とは、もともと上皇の御所を意味し、上皇の別称としても使はれるやうになつたのだ。鳥羽上皇イコール鳥羽院である。

 上皇という呼称は院政と分かちがたく結びついてゐる。

 「上御一人」(かみごいちにん)といふのが本来の天皇の在り方だが、院政の時代は「上皇御一人」だつたのだ。

 天皇の歴史からみて、いかに院政の時代が変則だつたかが分からうといふものだ。

 院政の時代の最高権力者は上皇と呼ばれた。太上天皇ではない。このことをまづ確認しておかなければならない。
 
 「太上天皇」も「上皇」といふ呼称も意味は同じだからどちらでも構はないなどといふのは、「上皇」といふ呼称の歴史上の使はれ方を故意に閑却した方便にすぎない。


  (この項続く)
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プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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