『入江相政日記』を讀む―天皇側近の人間学的研究―(第九回)

◆魔女騒動(その三)
 
 ●東宮女官長更迭を画策
  皇太子妃に甘言
  

 侍従職女官長ポストを皇后―今城ラインに渡さないためにはどうしたらいいか? 入江にあるアイデアが浮かんだ。それは、侍従職女官長(以下侍従職を略す)人事に東宮女官長人事を絡めるといふ構想である。東宮女官長のクビをすげかへる。東宮女官長が交替するのに、女官長ポストが空席なのはをかしい。そんな空気をつくり出して、皇后に圧力をかけるといふ作戦だ。

 この作戦を実行に移すべく、入江は昭和四十二年十一月十三日、東宮御所を訪れ、東宮妃(美智子様)に拝謁した。

《三時に出て東宮御所。三時半から五時四十分まで二時間以上、妃殿下に拝謁。近き行幸啓の時の御料理のこと。これが時間として大部分だつたが、終りに皇后さまは一体どうお考へか、平民出身として以外に自分に何かお気に入らないことがあるか等、おたづね。夫々お答へして辞去。》

 ここに出てくる《皇后さまは一体どうお考へか、平民出として以外に自分に何かお気に入らないことがあるか》といふ東宮妃の発言ほど入江日記からよく引用される文章はない。結婚してから八年も経つのに、美智子様は皇后陛下の自分に対する感情について思ひ悩んでゐた。それを信頼する侍従に打ち明けたといふ構図である。皇后による冷遇に悩む東宮妃の代表的なエピソードとして、この文章はしばしば紹介される。入江がそのやうに読まれるであらうと意図したやうに。

 ある人物の発言を日記に書き残す際、故意に状況をボカしたり前後の文脈と切り離したりたりして、相手の発言を自分の都合のいい文脈の中にハメ込むといふのは入江がよく用ゐたトリックで、その典型がこの日の東宮妃発言にほかならぬ。

 この日の拝謁の目的について《近き行幸啓の時の御料理のこと。これが時間として大部分だつたが》と記してゐるのがそもそも嘘。この日の日記には、午前に《長官、侍従長、次長と面会、今日午后の東宮妃殿下のお召しのことにつき協議する》とある。たかが料理のことで宮内庁長官、侍従長、次長が雁首揃へて協議するわけもない。この男は、すぐボロが出るやうな見え透いた嘘を平然とつく。東宮妃が《お召し》といふのも《お召し》の形にとりつくろつたまでのことで、拝謁は入江の側から申し出たのものだらう。

 入江が東宮妃に拝謁した目的は、東宮女官長の交替を伝へることにあつたと思はれる。「東宮女官長を替へて差し上げたい―」。

 当時の東宮女官長は牧野純子。男爵鍋島直明の長女で、宮内大臣・内大臣などを歴任した伯爵牧野伸顕の長男伸通の妻。誇り高き旧華族出の東宮女官長による民間出東宮妃に対する峻烈過酷な教育指導ぶりは、当時の週刊誌が競つて取り上げるテーマとなつた。牧野純子は、民間出の東宮妃に反対した常磐会(女子学習院の同窓会)の推薦で東宮女官長に抜擢されたといはれ、常磐会会長の松平信子(秩父宮雍仁親王妃勢津子の母)や女官長保科武子(北白川宮能久親王第三女王)とも親しく、松平信子、保科武子、牧野純子の三人は度々会しては東宮妃の悪口を言つてゐると伝へられた。

 牧野の東宮妃への態度があまりに厳しすぎるので、皇太子が牧野に意見をする場面もあつたといはれ、東宮御所では皇太子・妃と東宮女官長との間に悶着がたへなかつた。事あるごとに自分につらくあたる東宮女官長。その東宮女官長を交替させる? 本当に? 東宮妃が侍従入江の申し出をどのやうな思ひをもつて受けとめたかは想像に難くない。
 
 「女官長交替」といふキーワードを使ふと、《皇后さまは一体どうお考へか、平民出身として以外に自分に何かお気に入らないことがあるか》といふ東宮妃発言のナゾがとけてくる。

《皇后さまは一体どうお考へか》とは、入江が持ち出した東宮女官長人事について、《皇后さまは一体どうお考へか》といふ妃殿下からの問ひかけのだ。

 しかし皇后はこの時点で、東宮女官長の交替計画など知るよしもない。この人事計画は入江らが皇后に極秘で進めてゐたのだから。入江は得意の口八丁手八丁でごまかしたに違ひない、「実は皇后さまも妃殿下のことは大変御心配なさつてをられまして・・・」。

人事に関する皇后の意向は適当にはぐらかした上で、入江は様々な皇后情報を東宮妃に提供したはずだ。東宮妃の歓心をかふために。二時間以上に及んだ入江の独演会の最中に、東宮妃から、《皇后様は自分に何かお気に入らないことがあるか》といふ発言もあつたのであらう。

 これら妃殿下の発言をつまみ喰ひして次のコメンがつくられた。

《皇后さまは一体どうお考へか、平民出身として以外に自分に何かお気に入らないことがあるか》

 東宮女官長の交替問題は影も形もない。この文脈無視の合成コメントが、「皇后にいじめられる美智子様」といふイメージをどれだけ増幅させたことか。

          (この項続く) 

  
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プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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