『入江相政日記』を讀む―天皇側近の人間学的研究―(第十二回)

◆魔女騒動(その六)
 
 ●女官長人事に勝利
  霊能者の啓示に傾倒する入江

 

「天声おまかせ道場」の教祖後藤至良からの啓示を受けて、入江は急遽、長官、侍従長となにやら協議する。その上で、皇后に拝謁することを決める。

《いよいよ明日、両女官長のことを申し上げることになつたので、どうも時々気になる》(十月十五日)

《・・皇后さまに拝謁。東宮女官長と、こちらの女官長とをからめていろいろ申上げ、つまり両方ともお許しを得る。また、ゆりかへしがあるかもしれないけれど、一応、これで済んだ。しかし珍しく緊張した。長官も侍従長も喜んでくれた。》(十月十六日)
 
 奥歯にものがはさまつたやうな記述。東宮女官長と女官長の話を絡めて、両方ともお許しを得たといふが、皇后が黙つて受け入れたとは考へられない。しかし皇后の言葉は一切ない。入江の提案は次のやうなものではなかつたか。「東宮女官長が辞めたいと言つてゐるので(もちろん入江のつくり話)、東宮女官長を交替させたい。ついては、これを機に、こちらの女官長もそろそろ決めたいと思ふ」

 女官長候補として北白川祥子の名はまだ出せない。一方、今城誼子のことは曖昧に逃げたのだらう。それが、皇后からの「ゆりかへし」の心配につながる。

 女官長人事と並行して、入江は祭祀廃絶計画を着々と進める。手始めに新嘗祭を簡素化させる。ターゲットは皇后である。

《長官の所へ行き新嘗のことなど報告。十時過ぎに皇后さまに拝謁。新嘗の簡素化について申上げたが、お気に遊ばすからとのこと。もう少し練ることになる。永積さんと相談。夕方、掌典職の案といふのをきかせてもらふ。これで行くことにならう。》(十月二十五日)

 祭祀の簡素化を持ち出すと、天皇が「お気に遊ばす」とい理由で皇后が難色を示したため、入江は作戦を練り直す。

 その三日後、入江は今城誼子に会ふ。

《魔女に会ひ新嘗のこと頼む。》(十月二十八日)

 新嘗祭簡素化で皇后を陥とすには、今城への根回しが必要と考へたのであらう、女官長人事で敵対するいまいましい魔女に面談してゐる。日記のなかで、魔女=今城と対峙する唯一の場面である。今城が何も言はなかつたはずはない。新嘗祭簡素化に対する今城の意見・反応は一切書かない。なにも書かないで「魔女」めいた印象を与へるところがミソである。

《掌典長と面談。新嘗のも段々整つてきた。》(十一月二日)

 宮中祭祀をつかさどるのが掌典職で、そのトップが掌典長。新嘗祭簡素化について掌典長と打ち合はせてゐる。
  

《あすの式典[新宮殿落成式]に魔女がお供だがといふことだが、と原田さんからの電話で女官長代理をおつれ願ひたい、と申し入れてもらふ。その後、何もないから多分さうなつたことと思ふ。》(十一月十三日)

 あすの式典とは新宮殿落成式のこと。皇后がお供に今城誼子を連れてゆくといふ連絡があつたので、今城ではなく女官長代理にしてもらふやうにと入江が指示を出した。この頃、皇后は今城を事実上女官長扱ひして、公式行事にも今城を伴つてゐたものらしい。それを阻止しようと入江は躍起になつてゐた。

《掌典長来室。新嘗の習礼を昨日、皇后さまに御覧になつたことについての話。》(十一月十九日)

 簡素化した新嘗のリハーサルが行はれ、皇后も御覧になつた。簡素化の内容やそれに対する皇后の意見は不明である。

《参集所へ行く。三十余年、お服上げやお供ばかりだつたが、今日始めての参列である。夕の儀は頗るあたたかかつた。暁の儀の時はさすがに寒くなり外套を着てゐても寒かつた。》(十一月二十三日)

 新嘗祭の日。次長に昇格し、はじめて参列者として新嘗祭に出席した。《三十余年、お服上げやお供ばかりだつた》といふ言葉には、ヒラの侍従として天皇の世話掛かりに甘んじてきた入江の怒りと悲しみがこもつてゐる。入江の宮中祭祀憎悪の背景は実はここにあるのだ。その問題についてはあらためて触れよう。 

《九時のひかり。十一時に名古屋着。駅に後藤さん、井上さん等迎へに来て下さり、すぐ洲崎神社。つづいておまかせ道場。女官長のことなど相談。勿論、名はいはずに。》(十二月二十二日)

 昭和四十三年師走の日曜日。入江は新幹線に乗つて名古屋に行き、洲崎神社に参拝した後、「天声おまかせ道場」に向ふ。そして女官長人事などについて後藤先生の神示を仰ぐ。「勿論、名はいはずに」といふところが意味深長だ。


《大正天皇祭。・・・・御神楽もないので気楽。》(十二月二十五日)

《九時前に出てあるいて出勤。短刀のとぎが出来てくる。君子が新しい短刀を一振りといつてゐたので、市川くんにきいたら二十万位との事。後藤先生にいはれた通り短刀を袋の上からよく握る。》(十二月二十六日)

 暮れも押し詰まつた十二月二十六日、研ぎに出してゐた短刀が出来て来た。その短刀を袋の上から握る入江。「短刀を研いで袋に入れ、袋の上から握りなさい」と後藤から「おさとし」が出たのであらう。このまじなひにどんな効験があるのか。残念ながらそれは記されてゐない。入江は霊能者の教へをひたすら実行する。

《祥君さんは、二、三年先に願ひたいとかいはれるとの事。困ったことである。》

 この時点ではまだ北白川祥子自身の諒承がえられてゐなかつたことになる。

 年が改まり昭和四十四年。

 一月十日、宮中において歌会始が開かれた。

《あるいて出勤。モーニングにかへてすぐ仮宮殿に行く。為年落ち着いてゐる。十時から御会。為年の講師。ちつとも間ちがへずよく落ち着いてゐて、たとへば東宮妃が十分おすはりになり切ってから一呼吸おいて東宮様のにかかるなどよくやつた。》

 為年は長男で、この日の歌会始で講師(こうじ)をつとめた。講師は歌を詠み流す重要な役なのに、歌心もなく一介のサラリーマンにすぎない入江為年が抜擢されたのは、父親が根回ししたとしか考へられない。入江の親馬鹿ぶりはこの記述でも知れるが、入江は息子や娘が三十、四十になつても「可愛い」と日記に書きつけてゐる。親馬鹿と馬鹿息子といふのはまさにこの親子のためにあるやうな言葉で、為年は後年、女をめぐるスキャンダルや詐欺まがひの事件を引き起こして、父親を悩ませることになる。馬鹿息子の歌会始人事も、この時期の入江の権勢を物語つてゐる。

 二月に入ると、侍従長が心筋梗塞で入院した。いよいよ侍従長ポストが見えてくる。

 三月下旬のある休日、入江は妻君子を連れて、都下にある「天声おまかせ道場」の信者仲間の家に向ふ。

《後藤先生もすでに見えてゐる。君子のこと、伊達さんのこと、そのあと二階で君子と二人だけでうかがふ。女官長のこと、侍従長のこと、為年のこと、みんな心配することはないとのこと。夕食御馳走になり車で送っていただいて帰る。》(三月二十一日)

 女官長のこと、侍従長のこと、それと馬鹿息子のことで後藤先生の霊示を仰ひだらしい。侍従長のことといふのは、自分が侍従長になれるでせうかと尋ねたのであらう。侍従次長である自分が昇格するのではなく、外部から招致する可能性もあつたから、入江はそれを恐れてゐた。しかし「みんな心配することはない」といふ後藤先生の有難い「おさとし」が出され、安堵して帰路についたと思はれる。

 その約一ヶ月後。入江は侍従長稲田周の病院を訪れる。

《病院の侍従長の所へ行く。夫人から一寸来てくれといふことで行つた。・・・・・長官に辞意を伝へてくれとのことだつた。》(四月十二日)

ついに侍従長が辞意を表明した。次期侍従長は俺以外にゐるだらうか? しかし時折不安がよぎる。
 
その二日後、入江はホテルニューオータニで開催されたリターンバンケツトに出席する。

《隣はあちらの女官長と上田外務省局長夫人との間。でもなんとか無事にすむ。》(四月十四日)

 あちらの女官長とは、東宮女官長牧野純子のこと。自分がクビを宣告した牧野と隣りあはせになつて、ペロリと舌を出す陰謀男。牧野にいつどのやうな形で辞職を勧告したかといふ記述は、日記にまつたく見当たらない。牧野はこの二日後の四月十六付けで辞任するのだが、そのことに関する記述も日記には一切ない。入江日記においては都合の悪いことはすべて封印されるのだ。 

 ここで入江は、矢継ぎ早に人事工作の手を打つ。

《長官と面談。侍従長の辞意のこと、祥君さんのこと、・・・などについて話し合ふ。》(四月十五日)

《徳川さんと三番町ホテル。・・・西野さんと能勢さんと既に見えてゐる。祥君さんのことはつきりいいといふことになる。》
(四月十七日)
 
 女官長の後任が北白川祥子にほぼ決まつたといふニュアンスであるが、この翌日の日記に注目したい。
 
《昨日の後藤先生のおさとしにより君子と二人七時に家を出てタクシーで往復、山王さまに参拝。新宮殿落成の報告。》(四月十八日)

 女官長候補は北白川にほぼ決まつたものの、この人事について霊能者後藤至良にまたまた「おさとし」を仰ひだらしい。夜遅く電話でもしたものか、朝一番で「山王さま」に参拝する。「山王さま」は永田町にある日枝神社で、江戸城鎮護の神を祀つた由緒ある神社である。《新宮殿落成の報告》とあるけれど、新宮殿は前年十一月に落成式を行つてゐる。あはただしく出勤前にタクシーで往復して報告するやうな事柄ではない。例によつてカモフラージュの匂ひがする。女官長問題がいよいよ山場を迎へて、入江は「おさとし」を求めたのだ。

 日枝神社参拝の翌日、入江は皇后に拝謁する。

《そのあと祥君さんのこと皇后さまに申し上げ御了解を得る。これですつかり安心した。肩の荷も全部おりた。》(四月十九日)

 ついに皇后に北白川祥子を女官長として認めさせた!入江は快哉を叫ぶ。しかし皇后の言葉を一切記してゐないことがなにやら暗示的である。
 
 この二日後、宇佐美長官が女官長人事で天皇に拝謁する。

《・・・長官お上に拝謁。女官長につきお許しを得る。》(四月二十一日)

 天皇の裁可を得て、空席期間が二年二ヶ月に及んだ女官長人事はここに決着した。北白川祥子は五月二十日に正式に女官長に就任する。

 女官長人事をめぐる皇后と入江の戦ひは、霊能者の教へに導かれた入江がひとまず勝利した。しかしここまでは皇后―入江抗争の第一幕にすぎなかつた。入江が勝利の余韻にひたる間もなく、やがて抗争の第二幕が始まる。そして入江が一段と霊界への傾斜を強める中で、対皇后との抗争は最終局面に至るのだ。

       (この項続く)



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プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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