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『入江相政日記』を讀む―天皇側近の人間学的研究―(第十五回)

◆魔女騒動(その九)
 
 ●新嘗祭廃止の理由は侍従長の「脚の痛み」

 
 明けて昭和四十五年の日記。なぜか一月一日から六日の記事が抜けてゐる。

 一月七日、講書始。

《中程で大分おねむさうで心配したが無事に終つた。》

 この頃から、天皇が御進講などの最中に眠つたつたとか眠さうだつたといふ記述がやたらに登場する。これも祭祀廃絶計画にもとづく計算づくの記述で、天皇はお疲れだから居眠りが出る、だから祭祀の負担を軽減しなければならない―といふ論理が展開される。

《長官の拝謁が終はつてから皇后さまに拝謁。講書始の時におねむさうだつたことから十三日にまたあのやうなことがないやうそれには朝をお軽く遊ばしてなど申上げ予が申上げてまたお気に遊ばしてもいけないからと皇后さまにすべてお願ひする。》(一月九日)

 早速、《講書始の時におねむさうだつたこと》を皇后に伝へる。

 四月のある日、「天声おまかせ道場」の信者の集まりが入江の自宅で開かれた。もちろん教祖後藤至良も招かれる。

《十一時頃からボツボツ来られる。・・・お客は東京十二名、名古屋十三名計二十五名。でもすつかり食堂にはひる。酒盛り、有職の寿司。先生の天声。魔女七月頃から具合悪くなり始めるとのこと、・・・八時過皆大喜びで帰られる。大変だつたがよかつた。》(四月十二日)

 名古屋からも大挙して信者が押しかけてきて、自宅の食堂は信者で一杯になる。みんなで酒盛りをやつた後、メインイベントの教祖の「天声」。「天声おまかせ道場」では霊能者後藤の「おさとし」を「天声」とも呼ぶ。入江が教祖に尋ねたのはまたまた魔女=今城誼子のこと。《七月頃から具合悪くなり始める》といふ天声が示された。侍従長入江相政が霊界の住人であることがいよいよはつきりしてくる。

 この日の集まりでは信者からお金が集まつたらしく 、翌日、入江は銀行に行く。

《津田さん方の後藤先生に電話。昨日の御礼。九時に富士銀行。昨日の皆さんの浄財三万三千円を預金する。》

 祭祀をめぐる皇后との攻防は続く。

《十時過ぎに吹上で皇后さまがお召しとの事。何事かと思つて出たら旬祭はいつから年二回になつたか、やはり毎月の御拝が願はしい、何故かといふと日本の国がいろいろをかしいのでそれにはやはりお祭りをしつかり遊ばさないといけないとの事。貞明さまから御外遊まで洗ひざらひ申上げる。それでは仕方がないといふことになる。くだらない。》(五月三十日)

 旬祭の天皇拝礼を年二回(五月と十月)にしたことが皇后にバレ、《やはりお祭りをしつかり遊ばさないといけない》と叱責される。 昭和四十五年といへば、学園紛争の余燼がいまだ日本中にくすぶつてゐた頃で、皇后の《日本の国がいろいろをかしい》といふのはそれらの動きを指す。しかしゲバ騒乱などまるで外国の騒ぎにしかみえない入江にとつて、こんな話も馬耳東風。得意の「お上のため」論で反撃したら皇后もあきらめたと自慢げに記し、「くだらない」と吐きすてる。祭祀廃絶の情熱にとりつかれたこの男にとつては、皇后はただただ邪魔な存在でしかなかつた。

《皇后さまからは依然ゆりかへしなし。もう多分来ないだらう。・・・後藤先生にこの間からのことをお話したら何とすばらしかつたといつて喜んで下さる。それで一層安心した。》(六月五日)

 皇后とのやりとりを教祖様に逐一報告して、お褒めにあづかつたらしい。 

《この頃お口のパクパクずつと続いてゐた。》(七月七日)

《お口はまだおなほりにならない。》(七月二十日)

 このあたりから天皇の口元の痙攣についての記述が目立つてくる。
 
《永積さん来室。魔女を内掌典に入れたらといふ提案。これはすばらしいこと。》(十月五日)
 
 永積寅彦は掌典長。永積は祭祀をつかさどる掌典職のトップなのに、侍従長の祭祀廃絶計画のお片棒をかついでゐた人物。内掌典は宮中三殿に奉仕する采女で、大体二十代が多い。若い采女の中に還暦を超えた今城誼子を入れてやらうと掌典長と侍従長が謀議をこらす。

《七時前に出て羽田。先生の母儀のハワイ行き。先生を伴つて帰る。御外遊のこと、パクパクのことなど魔女のこともこめてうががひを立てる。皆予の考へてゐた通り。先生マッサージ。酒。》(十月八日)

「天声おまかせ道場」教祖の母親がハワイに出立する見送りに羽田まで行き、そのまま後藤を自宅に招いて「おさとし」。側近の侍従長が、「お上のお口パクパクの原因をおさとし願ひます」と霊能者におうががひをたててゐたことなど、天皇は知るよしもない。

《夕食の後徳川、杉村、冨家三君と魔女のことにつき話合ふ。》(十月十日)

 この年も新嘗祭が近づいてきて、侍従次長、侍医らと策動を始める。

《掌典長のところへ行き新嘗祭のことにつき相談する。》(十一月十三日)

《十時一寸過ぎから十一時前までお祭りのことにつき申上げる。結局、新嘗今年は夕だけ、来年から両方なし、四方拝は吹上、歳旦祭は御代拝といふ原案通りお許しを得る。》(十一月十六日)

《宮殿で拝謁。・・・そのあとお祭りを怠つて研究をして何とかいふ者はないかと仰せられるからそんなことは絶対になくお祭(お寒い時の)をおやめになることによつて御長命になり、国の為、世界の為に末永く御活躍いただくといふわけで今度のことは決して消極的なことではないと申上げる。よくお分かりいただき満足だつた。》(十一月十八日)

 入江日記を読むと、祭祀のサボタージュを入江が持ち出すと、天皇が誰かに批判されまいかと心配するといふパターンが多い。天皇に祭祀を何事にも優先させるといふ強い意志は見受けられない。その種の御言葉があつても意図的に排除したものか。しかし現実は入江の意図したやうに動いてゆくのだ。

《お召で吹上。新嘗のことだつた。・・・その後掌典長室で新嘗祭に出御のない場合のことにつき采女のことなど、明年以後のこと打合はせる。
》(十一月二十一日)

《夕の儀。脚は大して痛くなかつた。やはり夕の儀だけ。明年はなにもなしに願つてつくづくよかつた。》(十一月二十三日)

 新嘗祭当日の日記。《脚は大して痛くなかつた》―これが新嘗祭に対する入江の思ひのすべてを物語つてゐる。さう、問題は「脚の痛み」だつたのだ。

 外交官出身で、式部管長を経て、平成八年から平成十九年まで侍従長をつとめた渡邉充に『天皇家の執事―侍従長の十年半』といふ著書がある。この本の中に、新嘗祭における侍従長の役割について触れた一章があり、非常に参考になる。今上天皇は、入江が廃した「暁の儀」への出御も復活され、「夕(よい)の儀」とともに拝礼されてゐる。渡邉も侍従長としてこの古式にならつた新嘗祭に幾度となく臨んだ、その記録である。

《神嘉殿というのは、宮中三殿の西隣にある大きな建物で、ここでまず、二十三日の夕方六時から八時まで「夕(よい)の儀」が行われます。さらにその後、三時間おいて夜の十一時から翌二十四日の午前一時まで今度は「暁の儀」があります。つまり一晩に二回、二時間づつのお祭りがあるということです。陛下は、夕の儀と暁の儀の計四時間、正座されたままで、新穀などを神々にお供えになり、お告文を奏上され、ご拝礼になるとともに、ご自分も新穀を召し上がります。二時間も正座を続けるというのはよほど正座に慣れた人にとっても、難儀なことです。》

《侍従長は、新嘗祭以外の宮中祭祀のときは、御所から宮中三殿まで車に陪乗してお供しますが、陛下のご拝礼の間は宮中三殿の裏にある供待ち部屋でお待ちしています。しかし、新嘗祭だけは特別で、侍従長も装束に着替え、冠をかぶり、笏を持って神嘉殿までお供します。》

《神嘉殿では、陛下は一番奥の部屋に入られ、皇太子殿下が壁を一つ隔てた外側の西隔殿で正座しておられます。侍従長は、またその外側の廊下のようなところで、木の床に薄縁を敷いたところに二時間ずつ、母屋の方を向いてずっと正座していることになります。侍従長の左隣には東宮侍従長が二時間ずつ座り、その左隣には侍従と東宮侍従が一人ずつ、これは二十分交替で座っています。ところどころに燭の明かりがポッとついているだけで、侍従や掌典の白い装束がふわっと暗闇に浮かび上がるように見えます。》

《庭燎を焚く人たちは三十分ごとに交替します。私の左側で侍従と東宮侍従が交替するときに人の動く気配で「二十分たったな」、庭の方から庭燎の係りが交替する足音がすると「三十分たったな」といった具合に、時が経つのを感じます。足の痛さに耐え、しびれが来ないように少しずつ足の指を動かしたりすることに集中しているうちに時間が経っていきます。》

《二時間が経って、陛下がお帰りになるとき、廊下で平伏する渡し私たちの前をお通りになると、私はすぐにスッと立ち上がって陛下の後に続いて行かなくてはなりません。しかも、笏を持っていますので、立ち上がるときに床に手をついて体を支えるわけにもいきません。すぐ後には皇太子殿下が続かれます。これがうまくいくかどうか、私はいつも心配でした。正直なところ、二時間ずつの正座を二回続けるのは、大変に辛いことでした。陛下のお供であるということがなければ、とても続かなかったのではないかとさえ思います。》

 侍従長は、《木の床に薄縁を敷いたところ》に、二時間プラス二時間、計四時間、ただじつとして正座してゐなければならないのだ。

 渡邉は陛下に労はれたこともあるといふ。
 
《あるとき陛下が「侍従長は新嘗祭のときは大変だろうね」とねぎらってくださったことがあります。陛下ご自身は二時間の間に、お供え物をなさり、お告文を奏上され、拝礼をなさるから、多少体の動きがおありになるけれども、侍従長はただじっと座っているだけだからかえってつらいだろう、と思い遣ってくださったのです。》

 陛下に労らはれるほど大変な侍従長の役回り。入江が新嘗祭廃止工作を弄した意図も想像するに難くない。ただただ四時間の正座を回避したかつたのだ、自分が。

 《夕の儀。脚は大して痛くなかつた。やはり夕の儀だけ。明年はなにもなしに願つてつくづくよかつた。》

 ことしは夕の儀だけ、二時間だつたから正座も何とか堪えられた。《明年はなにもなし》―万歳!といふ述懐であることが分かると思ふ。

(この項続く)



















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プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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