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『入江相政日記』を讀む―天皇側近の人間学的研究―(第二十二回)

◆皇后腰椎骨折事件(第二回)
 
 ●天皇の御意思を豹変させたもの


 皇后の腰椎骨折事件の顛末については、詰め腹を切らされた侍医の杉村昌雄が文藝春秋昭和五十七年十月号に発表した《「皇后陛下の腰痛」前後》と題する爆弾手記によつて、その全貌が明らかになつてゐる。

 昭和三十年九月から侍医(外科)の職にあつた杉村昌雄は昭和五十二年七月の皇后腰椎骨折事件の後、入江侍従長らによる杉村追放工作の犠牲となり、昭和五十四年二月に退任に追ひ込まれた。
 
 杉村は昭和五十七年四月に『天皇さま お脈拝見』(新潮社)といふ著書を刊行した。二十年以上に及ぶ侍医生活をつづつた一種の宮中見聞録だが、この本では辞職に至る経緯についてはまつたく触れられてゐない。しかし、杉村は《私を辞職に追い込んだ宮内庁の体質、もっと具体的には両陛下のおそば近くに仕える人々の不可解な体質を変えなければ、天皇、皇后両陛下があまりに気の毒だからである》として、天皇側近らによる腰椎骨折隠蔽工作と杉村追放工作の一部始終を手記の形で暴露するに至る。

 以下、杉村の《「皇后陛下の腰痛」前後》から、皇后の皇后腰椎骨折事件の経緯をふりかへつてみよう。

《あれは昭和五十二年七月十七日のことである。東京の私のところに、那須の御用邸にいた侍医の冨家崇雄氏から電話がかかってきた。皇后さまが、朝方、お東所(お手洗いのこと)で転んで怪我をされたというのである。冨家さんは内科医だったが、皇后さまのお苦しみ様は大変なもので、
ぎっくり腰といったものではない。かなりのお怪我だとみて、すぐに外科医の私に連絡してきたわけである。》

《翌日、私は那須に飛んで行った。皇后さまは痛みですっかり興奮され、冨家さんがお飲ませ申し上げた鎮痛剤も、全然効果がみられない状態でおられた。私は早速、前の日に冨家さんたちが撮っていたレントゲン写真を拝見したが、明らかに第一腰椎の圧迫骨折であった。いうまでもなく重傷である。》

《私は、外科医として最善の治療をさせていただくべく、まず、皇后さまをもっと設備の整った、気持ちのいいところにお移ししようと考えた。
この年の那須は非常に暑かった。その暑い中で、皇后さまはなんと窓を締め切った部屋に寝ておられたのである。私があきれて、なぜ窓を開けないのかと女官さんたちにたずねると、外から見えると困るからという。見えてもなんでも、通風をよくしないと、お体のためによくないといっても、なかなかいうことをきかない。》

《そこで、私は天皇陛下に申し上げた。
「医師として申し上げますが、医師にとって大事なことは患者の苦痛を取り除き、生命を救うために最善の治療をいたすことでございます。そのことを考えますと那須では皇后陛下に十分なお手当をさせていただくことは不可能と存じます。速やかに東京にお連れし、宮内庁病院に入院していただき、大きなレントゲンで写真をお撮りしたり、立派なギブスベッドにちゃんとお寝かせするようにしたいのですが」
 そうすると、天皇さまは、
「杉村のいうことはもっともである。そのように取りはからってくれ。」
 と、はっきりおっしゃった。そこで、私も、
「すぐ手配をいたします」
 と、ご返事申し上げた。》

 天皇への拝謁は、杉村が那須に到着した夜のこと。ところが、次の日の夜、天皇からお召があつた。

《すぐに参上すると、陛下は、それまで拝見したこともないような厳しいお顔とお声で、
「杉村は患者のために東京に連れ帰ったほうがいいといったが、東京に帰ったら患者は大変なショックをうけるし、ちっとも患者のためにならんではないか」
 と、おっしゃったのである。私は驚き、かつお言葉を返すのも申し訳ないと思ったが、医師としての信念にもとづき、こう申し上げた。「皇后さまは、そのようなことでショックをお受けになるようなことはございません。私としては、皇后さまのご苦痛を軽くするのが第一と考えますので、昨日申し上げたように致したいと存じます」
 しかし、陛下は重ねて、次のようにおっしゃる。
「杉村の申すことは誤りである。ショックを受けるとともに、いま宮内庁病院には東久邇の叔母(明治天皇の第九皇女・聰子さん)が入院しているというではないか。そんなところに良宮を入院させるわけにはいかない。それに、現在、日本の社会情勢は非常に不穏であるというではないか。その中を、良宮を東京まで連れていくことは出来ない」
 私は、病院の御料病室は当然個室なのに思ったし、社会情勢が不穏であるという話も聞いたことなかったが、これ以上は不遜になると判断し
、「さようでございますか。それは残念でございます」
 と下がろうとした。すると陛下は、
「杉村、待て。ここでちゃんと返事をしていけ」
 と念を押される。そこで私は、
「はい。お言葉を返すようでございますが、私は侍医である前に医師であります。私個人の信念は昨晩申し上げたとおりでありますが、しかし、どうしてもそうしてはならんとおっしゃるなら、皇后さまにはお気の毒でございますが、那須で治療させていただくことにいたしましょう」と、ご返事して、お部屋から出た。》

 天皇の御意思を一夜にして豹変させたものはなにか?

        (この項続く)
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プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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