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◆天皇と皇后は《対等》ではない―御陵御葬儀改変に思ふ(その二)

  ―《合葬》は天皇制度を崩壊させる―


  天皇と皇后の《合葬》は、天皇制度を崩壊させかねない危険極まりないものである。この余りにも明白なことをどうして誰もきちんと指摘しようとしないのだらう? 私は不思議でしようがない。

 《合葬》は、天皇制度にとつてなぜ危険なのかといふと、難しいことではない。《合葬》によつて、天皇と皇后は《対等》になつてしまふからである。

 具体的な事例をあげて説明しよう。

 御陵において執り行われる祭礼に、例祭と式年祭がある。

 例祭と式年祭の対象は、いふまでもなく先帝はじめ歴代天皇である。

 しかし天皇と皇后が《合葬》された御陵といふことになるとどのやうなことが起きるか。参列者は天皇の御霊に拝礼すると、皇后の御霊にも同時に拝礼することになつてしまふのだ。天皇と皇后の御霊を分離することはできないからである。

 歴代皇后には天皇のやうな例祭と式年祭はないけれど、先后については、例祭と式年祭が御陵においても執り行はれる。天皇と皇后が《合葬》された御陵になるとどうなるか。参列者は皇后の御霊に拝礼する。同時に天皇の御霊にも拝礼する。しかし、祭礼の主体はあくまで皇后であるから、天皇は、俗な言葉でいへば「脇役」として拝礼を受けるといふ、見様によつては「不敬」以外の何物でもない事態が生じてしまふのだ。

 天皇皇后の《合葬》御陵で一番恐ろしいのは、御陵が必然的に世俗墓化するといふことだ。

 ○○家の墓といふ世俗墓は、先祖代々が眠る合葬墓である。○○家の墓においては、遠い祖先も近年物故した家族も、○○家のひとりとして等しく祀られてゐる。御仏の上下関係はまつたくない。すべて《対等》である。

 天皇と皇后の《合葬》御陵も、《合葬》である限り、世俗墓のそのやうな性質を帯びるのは避けられない。すなわち天皇の御霊と皇后の御霊の《対等》化である。

 天皇、皇后、皇太后の墓所を御陵といふが、大正十五年に制定された皇室陵墓令において、御陵の兆域面積は、

 ・天皇陵―2500平方メートル
 ・皇后陵及び皇太后陵―1800平方メートル

 と定められた。  

 御陵の兆域面積の差異は、単なる御陵の規模の差異ではない。天皇と皇后・皇太后の立場上の違ひを、御陵の大きさの差異で表現してゐるにすぎない。天皇といふ地位の特殊性は、陵墓にあつては、外形上の大きさによつて表現するしかないともいへる。天皇陵と皇后陵が一体となつた《合葬》御陵では、天皇といふ地位の特殊性を示すことができないのは明白だ。

 我が国の歴史上、天皇と皇后が《対等》であつたことはないし、《対等》であつてはならない。現行皇室典範でも、皇后は身位(皇族の身分)において筆頭の身位を有する《皇族》と規定されてゐる。皇后は《皇族》なのだ。皇后であつても他の皇族であつても、天皇が《皇族》と《対等》の扱ひを受けることになつたら、天皇といふ制度は崩壊する。

 陵墓の面から天皇と皇后が《対等》になつてしまつたら、現身の天皇の在り方にも影響を与へずにはおかないだらう。現身の天皇の皇后との《対等》化は時間の問題である。

 天皇と皇后の《合葬》御陵の危険性とは、さういふことだ。

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プロフィール

tensei211

Author:tensei211
ちば・てんせい。ジャーナリスト、政治評論家。フェミニズム論、天皇論を中心に執筆活動を展開してゐる。

北海道芦別市生まれ。千葉県在住。

フェミニズム論をまとめた著作として、『男と女の戦争―反フェミニズム入門』(展転社)など。フェミニズム関係の共著に『男女平等バカ』(宝島社)、『夫婦別姓大論破』(羊泉社)などがある。

執筆には、正仮名遣ひ(歴史的仮名遣ひ)を用ゐる。

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